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第1話 1晩目 へびさんの言うことには

 俺の名前は神田コウ。何処にでもいる普通の、社会人生活に疲れて会社員を辞め、田舎に引越した独身男だ。何処にでもいる。ああ何処にでもいる、そうに違いない。  田舎の奥地に古い一軒家を買い取り、農業でもしながらのんびり暮らすのだと決めるには、まだ若過ぎるとみんな言う。けど、俺は疲れたんだ。何もかもに疲れてた。穏やかな日々が欲しかった。この何もない田舎の山の中で、ひっそり暮らしたかっただけなんだ。  それがどうしたって、こんなことになった。  俺は目の前に佇む、真っ白な着物に真っ白な長髪の美男子を見ながら、呆然としていた。 「あの時助けて頂いた、白蛇です」  どうか、私に恩返しをさせて下さい。  真っ赤な瞳が俺を見上げる。全身白い姿は幽霊みたいで不気味だ。そんな彼が、めちゃくちゃに美人なのが逆にめちゃくちゃ怖い。そして俺は、叫んだ。 「た、た、助けたんじゃねえ! 俺はお前を追い出したんだよっ! 恩返しとかいらないから、帰ってくれ! ヘビは苦手なんだあ!」  事の発端は、数日前のことだ。  田舎の古い家、を正直俺はナメていた。となりのなんとかみたいな自由気ままな暮らしができると夢を見ていたんだ。ところが、暮らしてみるとまあ、ワンダーランドだよ、悪い意味で。  まずそこら中に虫がいる。当然、家の中にも、そりゃあそりゃあ。飯食ってても、風呂入ってても、テレビ見てても、寝てても奴らは容赦なく現れる。俺は都会暮らしが長かったから、虫が苦手だ。かといって引っ叩いて潰すのも嫌だ。ひーひー言いながら、片っ端から窓の外に追い出す暮らしが続いたが、家自体が隙間だらけなんだから、いたちごっこってやつだ。もうこりゃ、慣れるのが先かノイローゼになるのが先かと思ったから、村の大工に家の隙間を塞いでもらうことにした。  こりゃ建て替えるほうが早えぞ、と文句を言われながら古い家を改修してもらって。ようやく安心して過ごせる我が家になった、と安心したもんだ。実際、虫は殆どいなくなったし。  で、そんなある夜、風呂に入って。ルンルンとパンツ一枚で部屋に戻ったら、いるわけよ。茶の間の座布団の上に、結構デカめの白いヘビ。 「う、ううううわああああ!!」  俺は叫んだ。いやー、叫んだね。虫ならなんとかできる。でもヘビはキツい。元々ヘビは苦手なんだ、あのよくわかんない鱗まみれの体と、ウネウネするところ、チロチロ舌が出るところ……うー、全部ダメだ! 俺は部屋の隅まで逃げて、壁に引っ付いて固まってしまった。  白いヘビは動かずに、座布団の上でトグロを巻いてる。なんだか元気じゃない。そういえば、動物園とかにいるヘビも、動いてるところを見たことがない気がする。俺はとっさに電話を探した。110番、と考えて、いやそれはあまりに迷惑と考え直す。  世の中にはゴキが出たって電話するやつがいるらしいけど、俺は今そいつらの気持ちがわかる。わかるぞ。これは事件だ。命の危機だ。でも俺は大人だ、冷静な、大多数の、一般的な大人だ。ここは自力でなんとかするしかあるまい。  幸いにも土間にはスコップがある。アレでヘビをすくって、そのままダッシュで玄関から外に放り投げれば俺の勝ちだ! 俺は完璧な計算をして、パンツ一枚のまま土間に走った。思えば、服を着たほうが完璧だったと思う。  スコップは日本ではシャベルと言ったりスコップと言ったりするらしいが、俺が持ってきたのはアレだ。地面に足で踏んで刺したりする本気のやつ。それを持って、茶の間に戻ってヘビを見ると、奴め、いつのまにか玄関に向かってウネウネ動き始めている。 「ひぃいいいい」  気持ち悪ぅい! 俺は悲鳴を上げながら、既に完璧でなくなった計画を、しかし遂行する使命に駆られた。玄関に向かっているならしめたものだ。スコップでつつきながら誘導して、玄関から追い出せばいいんだ。ドタドタと先回りして、玄関の戸を開いて、茶の間に戻る。白ヘビはノロノロとうねっていたから、「ほら! ほら!」とスコップで誘導して、玄関まで追いやった。  無事に白ヘビが玄関から外に出ると、俺はすぐに閉めて鍵をかけた。あーーーー怖かった。家の穴は塞いだのに、なんだってあんなデカいヘビが出るんだ。俺は怖くてその晩は電気を消して眠れなかった。  翌朝、恐る恐る玄関を開けても、そこにヘビなんていなかったから、俺は安心して暮らしてたんだ。  それが、どうだ。  その白いヘビだと名乗る美形が、何を勘違いしたか、ツルでもあるまいし、恩返しに来るなんて! 「追い出した……? でも、私は助かりました」 「そっちの事情なんて知らねえよ! とにかく俺は、お前を追い出しただけなの! 恩返しとかいらないから、ホント!」 「でも……」  美形が悲しそうな顔をするから、それはそれで困る。ヘビは苦手だが、美人は好きだ。男なのが残念だが、この白い奴は、外見は最高に好みだったから、対応に困る。俺だって他人を困らせたいわけじゃない。そういうところが優柔不断なんだって言われることもあるんだけど。 「あー……っ、その、お前があの時のヘビだとして……、なんで助けたなんて話になるんだよ、さっきから言ってるけど、追い出しただけだぜ?」 「私、恥ずかしながら長い間、貴方のおうちの中で迷子になっていまして……」  聞けば、いつぞ穴の空いていたこの家に入り込んで、虫や小動物をモグついていたのだが、気持ちよく寝てる間に元来た穴は塞がれていて、慌てて探索しても、何処にも外に出られそうな穴が見当たらなくなったという。数日潜んでいたものの、このままでは出られない、と、意を決して俺に姿を見せたところ、優しく(優しかったか?)玄関まで導き出された、と。 「蛇を嫌う方は多いですから、最悪殺されるかと思っていたのに貴方は何もせず、出口へ導いて下さったのです。是非恩返しをしたいと思って、人の姿に化け、今夜参りました」 「ええ……いやあ、でもなあ……っていうか、人の姿に化けられるなら、化けて外に出りゃよかったじゃないか」 「私は未熟な妖ですから、満月の夜しか人の姿になれないのです」  そう言われて外を見れば、確かにまんまるお月様が綺麗な夜だ。ああそう、まあヘビの言い分はわかった。でも俺は、ヘビの恩返しなんてお断りだ。 「俺に感謝してくれてることはわかったよ、でも、お構いなく、気にしないで大自然でのびのび生きてくれ」 「でも、」 「だいたい、ヘビの恩返しって何ができんだよ。ツルなら機織りでもしてくれるだろうけど」 「夜のお世話ができます」 「夜のお世話、……はぁ?! よ、夜のお世話っ?!」  俺はびっくりして二回言った。白ヘビは、とびきり美人な顔で、首を傾げている。 「させて、いただけませんか……?」  気付くと俺は、ヘビを家の中に入れていた。

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