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プロローグ
ウイキペディアの〝橘怜門 〟の項目には、こういう記述がある。
橘怜門。一九七×八月八日生まれ、東京都出身。
一九九一年〈花迷宮〉の西条アキラ役で俳優デビュー。同年、同役で日本シネマ大賞最優秀新人賞を受賞。
翌九二年〈斑雪 〉の緒方作之進役で最優秀主演男優賞に輝く──幕末の志士からシリアルキラーまで幅広い役柄をこなし、中でも路上生活者に扮するにあたっては実際に公園で寝泊まりしてみるなど、役作りには徹底したこだわりをみせた〟──
その後に出演作の一覧表が続く。
それはコメディからアクションものまで多岐にわたり、邦画の興行収入の記録を塗り替えた主演作も含まれていた。
そう、瞬く間にスターダムにのし上がり、不世出の名優と謳われ、のちには活躍の場をハリウッドに広げた橘の俳優人生は、すなわち栄光の歴史でもあった。
実際、内外を問わず名だたる監督からのオファーは引きも切らず、つぎつぎと送られてくる台本を吟味したうえで、えり抜きの作品に出演するのが常だった。
橘の世界は、まばゆい光に満ちていた。
後年、彼を呑み込んだ絶望という名の闇はそのぶん深かった。
禍福は糾 える縄のごとし。
現に、橘のプロフィールを紹介する記述は、こういった一文で締めくくられる。
〝二〇一〇年一月、失踪。その行方は杳として知れない〟──
我ながら華々しい経歴だ。橘は苦笑を洩らすと、インターネットの画面を閉じた。紫檀 の机に頬杖をつきがてら、上体をひねって抽斗 を開く。
そのはずみに右の膝が変な具合にねじれた。スラックスの上から膝と、そこにはめ込まれたソケットの継ぎ目を撫でた。
かつての橘は、地上二十メートルの高さでホバリングをつづけるヘリコプターから飛び降りるという離れ業をスタントなしで演じたものだ。
しかし往時、力強く大地を蹴った右足は、すでに荼毘 に付された。
義足が、それに成り代わった。
截 ち割られた断面は、肉が盛り上がって瘤 と化した。巾着状の縫合痕じたいも皮膚とほとんど同化して、白っぽい筋が消え残るばかりだ。
ところが時折、足の甲が存在したあたりに幻の痛みや痒みを感じることがある。
今も実体のない疼痛に悩まされる。端整と評するには、いささかアクが強い顔を微かにしかめた。
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