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螺旋階段は同じ所を通らない(8)

「そんなこと言ってくれるの、真壁さんだけだよ。気を遣ってくれてる?」 「いや、日頃からそう思ってるよ。俺が同じ年の頃は、宮下くんほど仕事できなかったなあって思ってた。言わないだけで、そう思ってる人はいるんじゃないかな」  真壁は社外の人間なので、宮下が自社でどのような扱いを受けているのかは分からない。「意外と仕事が出来ない」という評価も、言った側のやっかみや当てつけかもしれないのに、宮下が無暗に真に受けてしまっているだけの可能性もある。少なくとも、真壁から見た宮下は、爽やかで謙虚で説明が上手く、売場のメンテナンスも丁寧で、非の打ち所がない好青年だ。 「……真壁さんが褒めてくれるの、嬉しいです。でもごめんなさい、優しさに付け込むような態度を取ってしまって」 「付けこまれてるとは思わなかったけどな。上手くいかなくて落ち込む事なんて、誰にでもあるよ」  真壁は先程まで、宮下を自分と同じ人間とは思っていなかった節がある。仮に同じ人間だったとしても、自分とは別の世界に生きている人だと区別していた。彼の剥き出しの弱い部分を垣間見て、真壁の考えは少し変わりつつあった。宮下が悩み自己嫌悪する姿は、自分と同じだと思えるようになってきたのだ。彼も人の期待に応えようと努力している。その結果が表に出ているだけだ。何でもそつなくこなしているわけではない。  真壁は宮下の頭にそろりと触れる。今まで彼を誤解し、やっかんで傷つけてしまった罪滅ぼしだと思って、労わるように撫でた。  年下の友人は、目を丸くして俯きながらも、その手を受け入れた。その表情が柔らかくなっていくにつれて、真壁の頭はどんどん冷静になっていく。  ……これは友人相手に取って良い行動じゃないよな? スキンシップとして許されるのか?    今度は真壁が顔を青くする番だった。引っ込めようとした手は、宮下の大きな温かい手に包み込まれて、動きを阻まれる。じわりと汗の滲んだ手が、宮下の頬に押し付けられた。彼の目は真っ直ぐに真壁を射止めている。  宮下の鋭い視線に、先の行動を咎められているような気まずさを感じた。彼の目も口も緩んでなどいない。……だったら、優しい表情で真壁の手を受け入れていた先程の彼は、一体どんな気持ちだったのだろう。彼は今、何を考えているのだろう。尋ねることは簡単だ。後のことさえ考えなければ。この状況で本来質問するべき立場なのは宮下であって、真壁ではない。最悪の想像の中にいる宮下は、嘲笑いながら真壁を問い質している。どれもこれも、答えに窮するものばかりだ。  男の頭なんか触って何が楽しいんですか?  どんなつもりで俺の頭を撫でたんですか?  真壁さんってもしかして、俺のことそういう目で見てるんですか?  刺さる視線を受け止めるのが辛くて、またフローリングが視界に入る。  普通の同性間の友人関係が、仲の深め方が全く分からない。どうすれば怪しまれずに友人としていられる? 上辺だけの付き合いから脱却するには、どうすれば良いんだ? 宮下に恋愛感情を抱いているのがいけないのか?   友人として傍にいたいと願っていても、恋慕の情を抱いてしまったら、適切な距離を保つのは不可能なのだろうか。隠していても、ふとした拍子に表に出てきて、判断を狂わせてしまう。そんな感情を飼いならして平然と振舞えるような人間ではないのに、欲張ったのが間違いだったのか。  真壁の右手は、未だ温もりに束縛されている。最悪の想像に絡めとられる前に、早く断罪してほしい。  今、宮下はどんな顔をしている?  徐々に視線を上げていくと、真壁の右手が重力に従って落下した。右手が外気に晒されて、湿った手のひらの温度が下がる。  宮下は、いつもの清潔感のある爽やかな微笑みを浮かべていた。……業務用の笑顔と見分けがつかなくて、真壁の体は急速に冷えていく。 「ごめんなさい、真壁さん。まさか頭撫でられるなんて思わなくて、びっくりしちゃいました」  宮下の上ずった声に、彼が本当の気持ちを覆い隠していることを察知した。気持ち悪がられて罵られるよりも恐ろしい。どんな感情が裏側に隠れているのか、想像せずにはいられないから。 「ごめん。嫌だっただろ」 「嫌ってことはないですけど、頭撫でられるのなんて久しぶりで。ほら、俺って身長あるでしょ? 手、届かないから」  顔の横で手を振るジェスチャーをしながら、宮下は無邪気に笑う。その笑顔すら作られたもののように思えた。気を遣われている。疑われている。全ての言葉が、恐ろしい推測を補強する内容に変換されていった。 「……あ、の。ほんと、ごめん。長居しちゃったし、そろそろ、帰るわ」  支えのない震えた声で、謝罪の言葉を絞り出して真壁は立ち上がった。今すぐここから逃げ出したい気持ちで、頭の中がいっぱいだ。  宮下が壁掛け時計を確認して、「もう五時か」と呟いた声で、初めて時の流れを意識する。DVDを見終わってから、二時間も経っていた。本当に長居をしてしまったようだ。  宮下に申し訳なかった。DVDが終わってから二人で過ごした時間は、彼にとっては不快なことばかりだったろうから。真壁は、自らの軽率さと思慮の浅さ、未熟さが情けなかった。望むような人付き合いができない。相手に嫌な思いをさせてしまう。気持ち悪いと思われたかもしれない。自分が、男を好きになる男なのだとバレたかもしれない。この後悔も恐怖も、全部全部消し去ってしまいたかった。  足早に玄関に向かおうとすると、宮下に腕を掴まれて、心臓が飛び出るかと思うほど驚愕する。恐る恐る振り返ると、少しムッとした彼の顔が視界の端に映った。 「真壁さん、忘れ物です」  宮下はビニール袋を真壁の手に持たせる。中を覗くと、今日一緒に見たライブDVDが入っていた。貸してほしいと言ったのは真壁の方なのに、すっかり忘れていた。  これを貸してくれるということは、これを返す必要があるということだ。また、宮下と会うということ。……会っても良い、ということ。 「良いのか?」 「当然だよ。貸すって言ったじゃないか。家でじっくり見て下さい。あ、すぐに返さなくても良いですからね。会社でもプライベートでも良いけど、また会ったときに返してくれれば良いから」 「……あ、ありがとう」  いつの間にか、秋風のような爽やかな表情に戻っている宮下の言葉を真に受けても良いのか、真壁は悩んだ。  DVDを渡した後も腕が捕らえられたままだったので、余計に疑念と不安が増していく。 「あの、腕」 「ああ、すみません」  宮下は返事をしたものの、それに付随するべき行動を取らなかった。まだ何か用があるのか。緊張で体が強ばる。  宮下の手が近づいて、真壁の側頭部に触れた。そのまま優しく撫でつけられる。感触は心地良いが、この行動の意図が全く分からず、疑問符を飛ばすことしかできない。宮下が得意気な笑顔になったので、真壁はますます訳が分からなくなった。

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