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今日と同じ明日は訪れない(4)

「どうかした?」 「ん、なんでもない。……悠人くん、ちょっといい?」  返事も聞かないままダッフルコートに体を預ける。頭上の彼は、ほうと息を吐いた後、これといった動きを見せなかった。フリースの生地が頬に当たって気持ち良く、肌に貼りついた冷気が幾分かましになった気がする。  ふわりと回された腕が真壁の背を押して、二人の距離を徐々に詰めた。呼吸するだけで、生温い熱が体内を廻って染みこむ。触れ合う面積が広がって、甘い痺れが心臓を締め付けた。  ここらで切り上げて早く彼の家に向かうべきだと頭の片隅では分かっているのに、離れるための行動を取る気になれなかった。真壁の腕は宮下の体を囲っているし、宮下の頭も真壁の首のラインにぴったり嵌まっている。このまま、ただ留まっていたい。彼の腕の中で時を刻んでいたかった。  甘やかな望みは、ごう、と辺りを切り裂くような鈍い音に打ち壊された。空気が一段と冷え込み、耳の横をひゅうと高い音が通り過ぎていく。強い風が吹いたのだ。頭上からは「うわ、さっむ!」と悲鳴が上がり、真壁を支える腕の力が強くなった。  幸い、真壁は直撃を免れた。宮下が壁となり、ほとんど遮ってくれたらしい。大きな一発が通り過ぎてからも大気は不安定で、凍った風が揺れながら二人の頬を撫でている。 「俊明さん、大丈夫!?」 「お陰様で何ともないよ。悠人くんのこと盾にしちゃったみたいで悪いな。そろそろ移動しようか」 「その方が有難いです……」 「悠人くん、寒いだろ。つーか、待ってる間、ずっと寒かったんじゃないの?」 「うん、結構震えてました。だから俊明さんの家で温まりたいなって思ってるんだけど」  尤もらしい言い分に隠された、宮下の真の目的が垣間見える。早く会いたいのも本心かもしれないが、本命は真壁の家にお邪魔することだろう。真壁は自宅に恋人を招き入れたことがなかった。  何か疚しいことがあったわけではない。ただ、自らの家の雑然とした有様を思うと、恋人を招き入れるのは気が引ける。中心部のスペースを囲うように並べられた荷物の山は、例え恋人といえど人様に見せられるものではない。壁に寄せれば綺麗に見える理論は、人の訪問を想定していない、間に合わせの応急処置のようなものなのだ。   「部屋、汚いけど良いの?」 「うん。寧ろ楽しみです」 「……趣味悪くないか?」 「ひどいなあ。俊明さんがどんな環境で暮らしてるのか気になってたんですよ、ずっと」  自分への悪態を事も無げに笑い飛ばした宮下は、真壁の手を取り緩く握りしめた。積り固まった雪のように冷えた手が、真壁の指先に馴染む。  冷たい風が背を押したので、二人して悲鳴を上げて走り出す。早く帰って二人で温まりなさい、と急かすかのようだった。 ***  狭い。なんか、ある。  違和感で意識が浮上した真壁は、暫くの間ぼーっとしていた。  見知ったいつも通りの天井、慣れた肌触りの掛け布団。カーテンから漏れ出る朝日。どれも、いつもと変わりない。  寝返りを打とうとして違和感の正体に気付いた。じんわりと温かいかたまりが傍にあるのだ。目を向けると、人好きのする整った宮下の寝顔が間近にあった。  昨日の出来事が真壁の脳裏に甦る。宮下が外で自分を待ってくれていたこと。初めて宮下を自宅に招いたこと。……彼に、肩透かしを食らったことも。  昨夜、風呂から出て準備万端の真壁を待っていたのは、ベッドで眠りこける宮下の寝顔だった。辛うじて端に寄った位置取りから、宮下の遠慮が見て取れた。  ぐっすりと眠り込む宮下を見つめるのは初めてのことではなかった。彼の家に泊まって同じベッドで目覚める度、整った顔を拝んできたからだ。  宮下の寝起きが悪いことも、一回眠ってしまうとなかなか起きないことも分かっていた。無駄だと知りつつも肩を揺すったり頬を叩いて引っ張るなどして手を尽くしたが、彼はむにゃむにゃと不明瞭なうわごとを言うだけだった。  「今夜、覚悟しといてくださいね」と胸をときめかせるようなことを言った当の本人が、一足先に夢の世界へと旅立ってしまったのだ。真壁は大いに落胆した。  あんなに期待させておいて、いざとなったらお預けなんて耐えられるものか――行き場のない衝動が胸の中を荒らしていく。  そう、あんなに期待させておいて。待ちきれなかったなんて言って会いに来てくれて。寄り添う身体を抱きしめてくれて。……寒い中、ずっと待ち続けてくれて。  宮下が眠りに落ちてしまったのも仕方のないことだと、心の底では分かっていた。寒風吹きすさぶ中で体力を消耗してしまったのだろう。むしろ、風邪を引かないかどうか心配してやるくらいが丁度良い。  「俺が向かった方が早いし」と微笑んだ宮下の姿を見たとき、彼が耐えた冷たさを思って胸が苦しくなった。けれど、喜びを感じたこともまた確かだったのだ。もしもあのとき、恋の炎とやらが真壁の中に存在したのなら、赤々と輝きながら燃え上がっていたに違いない。  ――恋人という立場に免じて。君の健気さに免じて。俺の胸のときめきに免じて。  宮下の肩まで毛布をかけてやりながら、心の中で念じた。  ――許してあげる。その代わり、明日は覚えてろよ。  

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