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今日と同じ明日は訪れない(3)

 宮下といるときに感じていた居た堪れなさの原因が何だったのか、真壁はようやく気付くことができた。傍にいる時間が作れないくせに、彼に甘い言葉をかけるのは無責任な気がして、ただ謝ることしかできなかったからだ。  苛立ちに満ちた視線を発する宮下に対して、「好きだ」と伝えることができなくなっていった。「会いたい」「離れたくない」と彼を求める資格など、自分にはないと思っていた。けれど、共有できる時間の短さに業を煮やすのは、好意の裏返しだ。不機嫌そうな宮下を慰めるために本当に必要だったのは、空白の時間を埋めるほどの愛の言葉だったんじゃないだろうか。 「早く会いたいなあ」 『うん、俺も。いつもそう思ってる』 「うぐ、ごめ――あ、今のなし。謝ってないから。悠人くんはいつも俺のこと考えてくれてる、ってことだもんな」 『……そう、ですよ。はっきり言われるとすごく恥ずかしいな』 「うん、安心した。ありがとう。嬉しい」  白く染まる呼気が、冬の暮れかけた空に浮かんで、消えた。  こうして想いを伝えたところで、目に見える形で何かが残ることはない。けれど二人の間には、儚くて愛おしい記憶が確かに存在していた。今も少しずつ積み重なって、真壁の心の支えになっている。 『今日の俊明さん、照れ臭くなるようなことばっかり言ってくれるね。どうかしたの?』 「嫌だった?」 『まさか。すごく、幸せだよ』 「――うん、そうだな」 『今夜、覚悟しといてくださいね』 「……ん、分かった」  言葉を交わすうちに、二人の声は煌めきを帯びていった。寒空に小さな光が、一つ一つ姿を現していく。  幸せそうな宮下の口調が、真壁の相好を崩す。自分の言葉が恋人の心を満たしていることを実感して、不思議な充足感に包まれた。 「もう暗くなってきたな」 『……そうか。俊明さん、外にいるんですね。寒くないですか?』 「大丈夫。俺、寒いの強いから。でも、そろそろ中に戻ろうかな」 『その方が良いと思います』  与えて与えられる、双方向性のやり取りには安心感がある。けれど、「幸せだよ」と宮下に言われたとき、彼に差し出した気持ちをきちんと受け止めて貰えるなら、それだけで十分だと思えた。与えることそれ自体に喜びが伴っているような気がする。 『……あの、たくさん嫌な態度を取ってしまってすみません。休みのことなんてお互い様だって分かってたんですけど』 「謝らないでよ。俺も、勝手にプレッシャー感じて雰囲気悪くしたからさ。平気そうな顔されてたら、それはそれで傷ついてたと思うし。思うところがあったら、飲み込まないで伝えてくれたら嬉しい、かな」 『……分かり、ました。ありがとうございます。それじゃあ、また後で』  最後に聞こえたのは、憑き物が落ちたような穏やかな声だった。  宮下も、本当はもっと恋人に寄りかかりたかったのだろう。肝心の相手――真壁がどんどん辛気臭くなっていったせいで、素直に甘えることができなかったのかもしれない。だったら、少しくらいの我儘は聞いてあげようと真壁は思い定めた。 ***  閉店業務があらかた終わった後、真壁は他の従業員を先に帰して、売り場の点検を終わらせた。時刻は午後八時十分を示している。普段よりも早く帰れそうだ。  従業員通用口から外に出ると、刺すような冷風が真壁に襲いかかった。空には雲一つなく、雪の降る気配はない。車通りも減っていて、辺りもしんとしていた。宮下と電話していた時とは比べ物にならないほど寒かったが、空気は澄んでいた。  通用口の鍵を閉めて、携帯を取り出そうと歩きながら鞄を漁っていると、アスファルトを踏みしめる靴の音が背後から真壁の方に向かってきた。たまたま通りかかった人かと思いきや、肩を叩かれたので真壁に用があるらしい。忘れ物でもした従業員か知り合いかと振り返ると、道路を走る車のライトが、《《彼》》の姿を照らして走り去った。  最初に目に入ったのは、濃いグレーのダッフルコートだった。膝上に届く長めの丈と大きなフードには男らしさがあるけれど、緩やかなシルエットはどこか幼げで可愛さを感じさせる――彼自身を表しているようで、とても良く似合っていた。  車が去って暗闇が訪れてからも、ずっと彼を見つめていた。こんな寒空の下で偶然出会うわけがない。彼はマンションの四〇二号室で、真壁の訪問を待っているはずなのだから。 「俊明さん、俺です。気づいてないの?」  拗ねたように尖った唇が真壁の名を呼んだ。矯めつ眇めつ恋人を見つめていた真壁に、宮下は呆れているようだった。  差し出された両手が、真壁の頬をむにむにと揉み始める。指先の冷たさと頬の熱が溶けるように馴染んだ。   「んむむ、こら。ほっぺ伸びるだろ」 「何か言ってくれても良かったじゃないですか」 「ごめん。そのコートが似合ってて格好良かったから眺めてたの」 「……そうでしょ? これ、お気に入りなんです」  気を良くした宮下のあどけない笑顔に心惹かれる。彼の纏う清涼感は、冴えた夜気に一層際立っていた。 「俺のこと待っててくれたの?」 「もちろん。俊明さんに来てもらうより、俺が向かった方が早いし。待ちきれなかったんだ」  待っていてくれたことは確かに嬉しかった。けれど、いったいいつから、こんな寒いところで待っていたのだろう。彼への心配が渦を巻いて、真壁の胸を締め付ける。外にいるにもかかわらず彼に抱きついてしまいたくなるが、すんでのところで両手を握りしめ、耐えた。  後ろを振り返ると、建物を囲むしんと静まり返った駐車場には誰もいない、何の気配もない。誰もいないなら少しくらい引っ付いても大丈夫か……そう頭の片隅で考えた自分がおかしくて肩の力が抜けた。少し前の自分なら、誰かが見ていたらどうしようと恐れる気持ちが宮下への想いに勝ってしまって、頬を押し揉まれただけで振り払っていただろう。

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