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面倒なものほど愛おしい(1)

 たまに家に寄る程度の恋人のことを知りつくすには、どれだけの時間がかかるのだろう。まして、付き合って一年未満なら尚のこと、隠された性癖や価値観が表に出てくるのはこれからだ。そんなこと頭では理解しているけれど、自分達に限って価値観の相違なんて起こり得ないという思考が働いてしまうのも、恋に盲目な人の性だ。付き合って一年経たない恋人と、一週間限定の同居生活をする――これから真壁が身を置くことになる甘やかなシチュエーションは、宮下との関係を濁らせる危険性も孕んでいる。    一緒に暮らせば薔薇色の生活が待ってるなんて、おとぎ話も良いところだ。最初の内は共に過ごせる喜びだけで時間が過ぎていくのかもしれないが、大好きな恋人の嫌なところを見ずに済んでいたのは単に近くにいなかったからだといずれ思い知ることになる。  やれ食器を洗うのが遅いだの、脱いだ服を放置しておくなだの、残量僅かのトイレットペーパーを放置するのはやめろだの……傍から聞いていればみみっちいことかもしれないが、積み重なれば愛する相手との睦まじい仲にもゆがみが生じる。片方が「自分ばかりやっている」と鬱憤を溜めながら黙って処理してやるという不健全な関係が築かれることもあれば、互いの主張に落としどころがつけられずに険悪な雰囲気になることもあるだろう。人に咎められるような習慣が自分の身に染みている事実を受け止められないことだってある。ひとりのときは自分しか動き手がいないからきちんとやっていたけれど、ふたりになると自分がやらなくてもパートナーがいるという安心感でだらけてしまった……そんなだらしない自分を認められなくて、つい態度が頑なになってしまうとか。ちなみに、俺はそうはならないと豪語するやつに限って失敗する。  愛する人と一緒に暮らすのは生半可な覚悟でできることじゃない。相手の悪いところが目について、それが自分の生活を侵食し、残り続ける。お互いの指摘でそれらのひとつひとつを潰していったとしても、全てをなくすことは不可能に近い。  ……職場のパートさん方の伝聞や自らの経験則、インターネットで得た諸々の注意点を充分頭に入れた上で、真壁は宮下の家のインターホンを押した。最終日、帰りたくないと駄々をこねることになるのか、無言で恋人の家を立ち去るのか。全ては一週間の生活の仕方にかかっている。  ややあって扉が開き、張り詰めたようなぎこちない笑みに迎えられた。「お邪魔します」と軽くお辞儀をして靴を脱ぎ、埃一つ見当たらないフローリングに足を踏み入れる。宮下が掃除に気を遣う性分なのはなんとなく分かっている。彼の基準に合わせつつ料理などの別の家事に取り組むのは、下積みのない真壁にとって至難の業だ。片づけや自炊などの家事を遠い空の彼方に放り投げて生きてきた真壁が気をつけられるのは三点のみ。謙虚に、真面目に、穏やかに。つまりは人柄。頑張るという姿勢だけで戦っていかねばならない。  荷物を寝室の端っこに置かせてもらい、リビングで一息つく。水色のソファもテーブルに置かれたコップも、この家に来るときはいつも目にしているのに、真壁の心はざわざわして落ち着かない。今、自分がアウェーな場にいるのだと、なんとなく感じ取れる。  「お疲れ様でした、休んでて」と微笑む宮下は、なんとかいつも通りの調子を取り戻しているようだ。けれど、未だ表情には柔軟性がない。彼も彼で緊張している。真壁が今までと違う環境へ入り込まなければならないのと同じように、宮下は慣れた環境へ異物を――真壁を受け入れる必要があるのだ。新しい住居に移って、ゼロから同棲を始めるのとは別の苦しみがある。物質的には恵まれているが、精神的にはより厳しい。苦労の種類は違うかもしれないが、お互いに惰性で動いてきたものを変えていくという点においては同じだ。  ……戦うってなんだ。これから二人で協力して生活を回していく、の間違いだ。腹の底からゆっくり息を吐き出すと、肩の力が少しだけ抜けた気がした。  荷造りや運搬のやりやすさを考えて、一週間限定同棲生活の初日は土曜日に設定した。宮下に協力してもらいながら荷解きを終えた後、ソファにもたれて束の間の安寧を得る。  事前にある程度の衣類を宮下宅へ配送させてもらったので、荷物は少なくて済んだ。ノートパソコンやアダプターなどの電子機器、残りの衣類、洗面用具などは持参し、皿やお椀などは使い捨ての紙皿でも使えば良いと思い用意していたのだが、宮下がその辺りの食器類を全て買い足しており、そちらを使うように言い渡されたので備えは無駄となってしまった。「元々足りないと思っていたから丁度良い機会だった」という彼の発言をどこまで信じていいのか分からないが、有難く使わせてもらうことにする。更に言えば、彼はクローゼットの中に真壁の服の置き場まで用意してくれていた。  彼の厚意は純粋に嬉しいし、自分と暮らすことを楽しみにしてくれていたのだろうということも分かる。期間限定が永遠になるための外堀を埋められているような気もする。しかし、返せない借りを作ってしまったような後ろめたさがあるのも確かだ。身に余るものを受け取ると、その重みを支えきれるほどの価値が自分に見いだせなくて、潰れてしまいそうだ。  衣食住のうち、衣は持ち込みだが、住は宮下を頼ることが決定している。宮下に依るところの大きい同棲生活なので、真壁としては自分で負える分はできるだけ負いたい。同棲の場所も、できれば宮下の家でなく、別の場所の方が良いのではないかと真壁は提案していた。例えば、ウィークリーマンション。電化製品・家具類が備え付いており、契約時に煩雑な手続きが必要ないため、丁度今回のお試し同棲のような一定期間の滞在に役立ち、出張する社会人や受験生に使われることの多いサービスだ。宮下は場所について「自分の家が良い」という要望を出していたが、彼の負担が大きくなるのを懸念した真壁なりの代案だった。しかし別途で宿泊費がかかるし、入居場所によっては延泊ができない可能性があるので、話し合いの結果取り下げることになった。  同棲における負担を折半レベルにまで持っていき、「何かやらなければ宮下に申し訳ない」という心理的な負担を減らすには、真壁が食の分野を担当するしかない。ただ、真壁はシフト制の業種で不規則な勤務体系のため、勤務日のご飯の用意は難しくなる可能性が高い。早番の日ならともかく、遅番勤務時には帰りが夜八時以降になる。だったら個別で用意した方が宮下を待たせることもないのでは……。  まだ話し合ってもいないことについて真壁が悩んでいる間に、宮下がソファの隣にするりと入り込んで腰掛けていた。考え事をしていてすぐに気付いてあげられなかったので、少し気まずい。けれど、いつ声をかけようかとそわそわしている彼を放っておけるほど、真壁も薄情ではなかった。 「……ごめん、考え事してた。悠人くん、手伝ってくれてありがとね」 「ううん、こっちこそ、疲れてるのに気を遣わせちゃってごめんなさい」 「気にしないでよ。色々用意してくれてありがとう」  ソファに腰掛けた宮下は、もうすっかりいつも通りの涼やかな顔をしている。頼もしいけれど、多少なりとも不安とかはないんだろうか。彼と感情を共有できていないような気がして、真壁は寂しい気持ちになった。 「不安ですか?」 「うん、まあ。いろいろ、まだ勝手が分かんないし」 「そう、だよね。二人で家事のリズムとかやり方が違うだろうし、何か違和感あったら遠慮なく言ってね」 「……う、ん」  簡単に言ってくれる。言い方一つで何かが狂ってしまうかもしれないと思うと軽率なことはできない。まして、色々やってもらっているという負い目のある自分から何か望むなど、おこがましい。……そう思ったけれど、言えない。  表情が曇ったままの真壁を、宮下は優しく腕の中に閉じ込めた。彼の体から漂う爽やかな柑橘系の香りは、微睡みに揺蕩うときのような安心感を真壁にもたらしてくれる。

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