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面倒なものほど愛おしい(5)
シャワーを浴びる宮下の広い背中を尻目に、湯船に肩まで浸かった。狭いとは言わないが、膝を伸ばすことは到底できない。いつもは何とも思わない天井までもが窮屈に見えるのは、宮下の背の高さ故だろう。
ちらりと盗み見た宮下の腕は、相変わらず筋張っていて頼もしく、そのくせ無駄な肉はついていない。ここ二週間は基本的に同じ食事を摂っているし、何か特別なトレーニングをしている様子も見られないのに、真壁の少しぷにっとした腕とこうも違うなんて。これは生まれ持った体質なのか、それとも今までの行いの差というやつか。
俊明さんの番ですよ、と頭をぽんぽん叩かれ、真壁は宮下と立ち位置を変え、シャンプーを手のひらに馴染ませた。一緒に風呂に入っただけでは決定的なことは起こらない。もう一歩踏み込む必要がある。これが付き合いたてなら、閾値を越えるほどの気恥ずかしさやときめきが生まれて、平常心が保てなかっただろう。しかし真壁は、今の状況を日々の営みのうちの一つだと理解している。自分は男が好きなのだと自覚してから長年、そうするように理性で以て制御することに努めてきた。そうは言っても、宮下への興味と関心は尽きず、自然と目で追ってしまうのだけれど。
宮下の隣は安心できる場所なのだと、心も体も認識している。同棲期間を延ばしたのもそれ故だし、その延長分も明日には終わりを迎えるが、もういっそ、ずっとこのままで良いと思っている。彼の横で安らいでいたいし、彼にも同じ気持ちを感じていてほしい。けれど、安らぎと刺激を両立させたいとも思っている。我が儘なものだ。シャワーで泡を流しながら、真壁は自嘲した。
浴槽に身を沈めた宮下をちらりと伺う。長い脚を折りたたみ、ダンボール箱に収まる猫のように窮屈そうにしながらも、真壁をじっと見据えていた。その姿がおかしくて、真壁は口の端に笑みを零した。
「何か面白いことでもありました?」
「ごめん。狭そうだなって思って」
「……確かに、お風呂は狭いんですよね」
宮下の呟きに僅かな引っかかりを覚える。彼は広さを求めてこの家を借りたのだろう。ただそれだけのことなのに、真壁はどこか落ち着かなかった。
「そうだな、他の所は広いのに。ここって1LDKだし、リビングもキッチンも広くてコンロは二口あるし、全体的に狭い感じはしないよな。全然問題なく、二人で暮らしていける」
すらすらと感想を述べつつも、真壁の内心は穏やかではなかった。何かに焦っていて、不安が渦巻いている。知る必要のないことを、それでも掘り出そうとしている自分は、やはり根からの臆病者なのだろう。その正体を確かめないと安心できない。
「……悠人くんがこの家借りたのって、誰かと暮らすためだったの?」
俺じゃない誰かと暮らしてたんじゃないの? とは聞けなかった。宮下は真壁の問いに対して、否定も肯定もしない。ただ、上気した頬と気怠げな視線は、真壁を誘っているようにも、真壁に慰めを求めているようにも見えた。腰を下ろして顔を近づけると、ゆっくりと頭を引き寄せられた。
ぬるりとした舌の感触が、日々の生活にかまけて怠惰になっていた官能を煽り立てた。しとどに濡れた髪に宮下の指が差し込まれる。じわじわと髪をかきあげるように後頭部を撫でられ、背筋が震えた。息継ぎの合間に入り込む、水分を含んだ生温い空気を吐き出そうとして、余計に息が荒くなる。
「俺、お誘いするの一応遠慮してたんですよ。俺と暮らすの疲れるって思ってほしくないし」
「そう、なの?」
「それなのにさあ、嫌な人のこと思い出させるなんて酷くないですか?」
「……ごめん」
不安を解消するためとはいえ、余計なことを言ってしまった――進歩しない自分の言動が真壁は厭わしかった。思い出すのも嫌な人との記憶があるのに、それでもこの家に住み続けているのだから、捨てきれないほど大きな思い出だったのだろうか。けれど、その中身を更に探り出すのは横暴というものだ。
甘えた言い草で真壁を責める宮下の口元は、微かに緩んでいた。唇がすり減るんじゃないかと思うほど口づけをされて、いたぶられているような気分だったが、彼が本気で怒っているわけではないのは触れる手と唇の優しさから分かる。
「心配だったんですか? 俺がその人に未練たらたらかもしれないって」
心を見透かすような口振りで微笑んで見せた宮下に、真壁はおずおずと頷いた。けれど、本当に恐れていたのはそのことではなかったのだと、宮下の真っ直ぐな瞳を見てから気がついた。
ずっと、こうして見つめてもらいたい。終わりなんて来てほしくない。好き合っていた者同士も別れるのだという残酷な現実に抗って、俺達だけは違うのだと示してほしい。無茶な話だということは分かっているけれど。
「もしそんな未練があったとしても、俊明さんとの思い出で塗りつぶしてよ。もうほとんど、塗り替えられてるようなものだけど」
「……頑張る。だから、その昔の記憶を俺が全部塗り替えたら、俺とずっと、一緒にいてほしいな」
声が震える。こんな贅沢な、不可能だと分かっている恐ろしい願いをはっきりと口にしたことはなかった。今も、宮下に断られたらどうすればいいんだという心配で全身が慄いている。
「無理だよ」なんて直截な言い回しをしなくとも、額が触れるほどの近さなら、狼狽えたり迷ったりというような仕草はすぐに分かる。けれど、傷つくことを恐れて撤回するような、いい加減な覚悟で口にした言葉ではなかった。
「……今の発言が本気なら、一旦お風呂出てから話したいな。俊明さんの声が響いて良い気分なんだけど、夢の中にいるみたいで不安になる」
宮下の視線は揺るがなかった。覚悟を秘めた眼差しだった。
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