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面倒なものほど愛おしい(4)
日曜日が休日というのは万人に言えたことではない。非該当者である真壁は一人目を覚まし、狭いベッドから重い腰を上げた。
昨夜は大事をとって、みだりに体力を消耗するようなことは避けようという話になった。お互い気を張っていたし、真壁は仕事なので寝過ごしでもしたら困るからだ。
「おはよう」
「…………んー」
案の定、明瞭な言葉は返ってこない。煩いほどに鳴り響いていたはずのアラームを急いで止めるような気遣いなど、宮下には不要だった。にこにこと幸せそうな寝顔が今は憎らしい。横であと三時間は眠っていたいという原始的欲求を理性で抑え、朝食を摂りにリビングへ向かった。
昨日炊いた後に冷凍しておいた米をレンジで温め、卵と醤油、だしの素を少しかけた卵かけご飯を腹に収める。
シンクに食器を置いた後、放っておいて良いのだろうかと不安になり、結局自分が使った皿や箸は洗ってキッチンマットの上に並べておいた。着替えも身だしなみも歯磨きも、いつもやっていることなのに、近くに宮下が居ないだけで心細さが五割増しだ。やはりここは自分の家ではなく、人の家なのだ。
出かける前に自分の姿をもう一度鏡に映し、おかしな点がないかチェックして、鞄の中身を改め家の鍵を手中に握る。起こすのも申し訳ないかと思ったが、声だけはかけておこうと寝室の扉を開けると、宮下は変わらずすやすやと穏やかな寝息を立てていた。
「いってきます」
この挨拶を口にしたのは何年ぶりだろう。大学時代に牛田と共に居たときですら、こんな言葉かけていなかったんじゃないだろうか。返事がないのは寂しいことだけれど、どんな呼びかけも口にする必要がなかった一人のときと比べて、孤独の隣に温もりを感じる余地があった。
革靴に履き替えて家を出ようかというとき、家の壁に穴でもあいたのかと思うほどに大きな破裂音が背後で鳴り響いた。振り返ると、寝室の扉が大きく開いていて、この家の主が床に力なくへたり込んでいる。
「い、いってらっしゃい……」
寝癖で広がった頭を壁につける宮下は酷く具合が悪そうだった。思わず近寄ったところを制止され、「低血圧なんです、大丈夫」と外に出ることを促される。
「しんど……でも、起きれた。よかった」
「無理して出てこなくていいのに」
「声かけてくれて嬉しかったんです。俺、朝弱いし、放っておかれるかと思ってたから」
「心外だな。これからはゆっくり寝かせといてあげようか?」
「そんなことしたら絶対許さないけど?」
低血圧故の陰った眼光はあまりにも鋭く、真壁は射すくめられたように動けなくなった。その小物じみた反応に、宮下は小さく微笑む。
「冗談ですよ。もしそうなっても、職場に電話かけて『いってらっしゃい』って言わせてくれたら許してあげる」
「はあ?! やめてよ恥ずかしいな……!」
「うそうそ、やらないよー。いってらっしゃい」
ひらひらと手を振る宮下の顔は大分血色が良くなっていたが、立ち上がることはできなさそうだ。
何も付いていない真っ新な状態の鍵を差し込んで、くるりと回す。うっかりすると手からこぼれ落ちそうなほど小さく感じるこいつは、いったい何日したら手に馴染むのだろう。地下鉄に至るまでの視界も見慣れたもののはずなのに、どこか真新しい輝きを放っていた。
***
期間限定同棲生活も一回の延長を経て二週間を迎える頃には、活動のリズムが出来上がりつつあった。
二人とも仕事のときは基本的に宮下の方が家を出るのが早いので、見送りは真壁の役目となった。土日出勤は宮下との時間を削る悪だが、宮下に見送られ、出迎えられるのはそのときだけの特権だと考えると、悪いことばかりでもない。
家事の諸々も初日に悩むほどに滞るわけでもなく、良い按配に回っていた。一緒に起きて朝食を共にし、洗濯は真壁が遅番の日に洗って干し、帰宅時間が早い宮下が取り込んで畳む。夕食は、真壁が早番なら自炊に取りかかり、遅番なら宮下が外で買ってきたものを食べる。家事を一人で担うのではなく、二人で形にする。自然とそうなるように体が動いていた。
けれど、一つだけ、どうしても整わないものがある。一緒にいる時間が増えたと思ったら、なぜか御無沙汰になってしまった。以前は会う度に必ずしていたのに。チャンスが多くなった分、無理にしなくても大丈夫だから今は休んでおこうという優しさにも似た甘えで、ずるずると何もせずにここまで来ている。寝室で宮下を待っている間に寝こけてしまうことも少なくなかったし、逆の立場になることもままあった。キスや軽いスキンシップをしている最中に宮下が寝落ちしたこともある。恋人とはいえ、他人が家の中にいると、それだけで気を張ってしまうものだ。
世の社会人カップル達は、いったいどのようにして習慣を維持しているのか。半月くらい何もなくても普通なのだろうか。いつか横にいるのにも慣れて、欲を抱くことすらなくなるのかもしれない。小さな鍵の目印たり得る白黒ペンギンのストラップも、フッ素コートのフライパンも、まだ真壁の一部になろうとしている最中だというのに、不完全な形で収束しようとしている。
「お風呂、先に入ります?」
真壁が物思いに耽るリビングに、宮下の呼びかけが響く。この時間帯は距離が近づくたび、期待に胸が高鳴る。待つだけでは遠慮し合って何も起きない。
「一緒に入ろう」
「狭いですけど」
「二週間住んでるから分かってるよ。交替で湯船に入ろう」
少し困ったような笑顔で宮下は頷いた。本当は気が進まなかったのかな、と真壁は申し訳ない気分になる。
「ごめん、嫌だったら無理にとは言わないから」
「そうじゃないよ。見られながら色々洗うの、恥ずかしいなって」
「……しっかりとは見ないよ」
「絶対見ないから安心して!」と断言できないところに、真壁の下心が滲み出る。今までに何回も見てるじゃないかと何気なく口にしかけたが、やめた。日常の延長で、素面の状態で裸を見られるのと、ベッドの上で肌を晒すのでは違う心情であることくらい真壁にも分かる。
やっぱり別々にする? と宮下の表情を伺うと、先ほどの不安そうなどこへやら、にやりと得意気な笑みを浮かべている。
「まあでも、俺も無防備な俊明さんに好き勝手できるってことだよね。俄然やる気が出てきたかも」
早く来てね、と言い残し、宮下は一足先に脱衣所へ入っていった。案外彼が気乗りしているようなので、真壁は安心した。
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