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第51話 山田オッサン編【32-2】#

 廊下を歩いていると、向こうから佐藤がやってきた。  その姿を見るなり山田は思った。コイツ、ほとんど寝ずにオレより早く出勤したクセに、なんでこんなにパリッとしてやがるんだ?  こっちは今にも鼻から提灯が出そうだってのに。 「無事出勤したみてぇだな」 「まぁな」 「お前のそのメガネ面、ウチの部長が1万で撮ったってホントかよ?」 「ご想像にお任せします」  寝不足の脳ミソで山田が答えると、佐藤が唇の端で小さく笑った。  いまの意味ありげな反応は何だろう。チラリと思ったとき、本田が声を上げた。 「あれ? 山田さんがメガネかけてる! どうしたんですかぁ!?」 「はぁ? 今さらかよ?」 「今のいままで何見てたんだ?」 「いえ、鈴木さんに気を取られてて」 「鈴木がどうかしたのか」 「あーそうだ佐藤、喫煙所で面白ぇモン見れるぜ」 「何だよ」 「二日酔いの鈴木」 「は? 鈴木が二日酔いなんかなるわけねぇだろ」 「だよなぁ、ぜってぇ天変地異の前触れだよなー」 「で、どうしてメガネかけてるんですか? 山田さん」  とにかく喫煙ルームに向かう佐藤と別れ、山田は本田とともにエレベータホールに向かった。  エレベータを待っていると、同じくこれから外出らしい田中がやってきた。 「おっと、噂のメガネ山田か」 「何、そんな持ちきりかよ? 人気者は辛ェぜ全く」 「ダテなんだろ? どうしたんだよ」 「いろいろあってな。それよりお前はどうだよ? そろそろヨメと子供が戻ってくんだろ?」 「あぁ、この週末にな」 「忙しくなるな」 「まぁなぁ。また寝不足の日々がやってくるぜ」 「とか何とか言いつつ、嬉しそうだぜ? このM男が」  そこへエレベータがやってきて揃って乗り込み、下へ降りる。  山田が己に誓ったとおりロビーの喫煙所で一服するため、田中とはそこで別れた。      その夜、山田は小島と会った。  小島仕様の小洒落たバーと山田仕様の庶民向け居酒屋の、真ん中くらいのダイニングバーに落ち着いた。もちろん最も重要な選択基準は喫煙OKか否かだ。 「お前とはもう寝ねぇことにした」  グリルした牛ハラミをモグモグしながら山田が言うと、小島はしばし黙り、やがて言った。 「いつかは来ると思ってました、こんな日が」 「だよな。長すぎたぐらいだと思うぜ」 「山田さんの素性が明らかになったこととは関係ないんですよね?」 「直接は関係ねぇな」  すると小島は何かを考えるようなツラになったあと、なるほど、とだけ相槌を打った。 「ひとつ訊いていいですか」 「なんだよ」 「俺という存在は、少しは特別でした?」  モグモグを終えた山田はビールを呷り、椅子に背中を預けて改めて小島を見た。 「じゃねぇとこんなに長く続かねぇだろ」 「良かったです。結局、一番にはなれませんでしたけど」 「俺の一番になったところで、結局困んのはお前じゃねぇか?」  山田はパッケージから1本抜いて咥え、火を点けて煙を吐いてから言った。 「お前さぁ、いっぺん休み取って嫁さんと2人で旅行とか行ってこいよ」 「行きましたよ2人で、新婚旅行」 「ンな豪華客船の旅みてぇな偽装旅行じゃなくて、全然カネかけねぇスッゲェ不便な貧乏旅行とかだよ」 「貧乏旅行ですか」 「そう、ぜーんぶ自分らでやんなきゃなんねぇようなヤツ。協力し合わねぇと帰って来れねぇよーな?」 「秘境の旅とか?」 「どこでもいいけどよ、まぁ都会じゃねぇほうがいいよな」  頬杖を突いて灰皿に灰を落とす山田の顔を、小島は興味深げに眺めていた。 「そもそもカネ持ち同士の政略結婚だっつー先入観でさぁ、なんか互いにコイツとはフツーの夫婦みてぇな関係にはなれねぇって思い込んでるフシねぇか? お前ら。意地ンなって前からの相手と続けてるっつーか」 「そういうつもりはありませんでしたけど」 「お前も嫁さんも自分ではそう思ってんだろうけど、ハタから見たらそんなふうにも見えるぜ? けど何だかんだ結構似合いだと思うんだよなぁ、お前ら。嫁さんも面白ぇオンナだしよー」 「彼女のこと嫌いではないですよ。むしろ、女性としては上等なほうだと思ってます」 「そう思ってんなら振り向かせてみろよ。俺よりは簡単だと思うぜ?」 「そうですね……」  小島は笑い、それから別の話題に移り、料理とアルコールを堪能して店を出た  タクシーで送ると言われたが山田は断り、2人は最寄りの駅までブラブラ歩いた。  別れ際、山田が前を向いたまま不意に言った。 「小島」 「はい?」 「たぶん俺なんつーか、何かっつーとお前に逃げたりとかしてたと思う」 「知ってますよ」 「悪ィ」 「いいえ、俺はそこに付け込んでたんだからお互いさまです」 「ありがとな、今までずっと」 「山田さんからそんな言葉を聞けるなんて、今夜は人生最高の夜ですよ」  女ならひとたまりもないような元後輩の笑顔を眺め、山田は唇の端で笑った。 「人生最高を語るのはまだ早ェんじゃねぇか? まだまだこれからだぜ」  じゃあまたな、と、いつもと変わらない挨拶とともに背を向けた山田を小島が呼びとめた。 「山田さん」  山田が振り返る。 「また佐藤さんと住むんでしょう?」 「──」  山田は数秒黙ったのちに空を見上げ、小島に目を戻して、真意を量れない笑顔だけ残して小さく手を挙げ、改札の向こうの人波に消えて行った。

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