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第六話
「ケイン。君の謝罪は受け入れよう」
「……っ! それじゃあ」
「けれど、君を受け入れるかどうかは別の話だ」
ケインの目を見つめながらキッパリと告げる。
オレの言葉を聞いた彼の顔が、絶望に染まっていく。
「オレが手放しで君を赦すと思ったか?」
「ヴァネッサが……アークは今でも俺を想っていると言っていたから……すっかりその気になってしまった」
「なんだってヴァネッサはそんなことを……」
「自分が俺と愛を交わすような素振りをすれば、アークは見るからに機嫌が悪くなる。あれは絶対に嫉妬しているんだって」
それじゃあ今までのヴァネッサの言動は、オレを焚きつけるためだったのか……と妙に納得する。
ヴァネッサならばやりかねない。
今までそれに気付かずにいたオレは、なんて間抜けだったんだろう。
「アークは俺のこと、本当はどう思っている? ヴァネッサの言葉は違っていたのか?」
今にも泣きそうな顔をしながら、ケインが尋ねる。
その声は微かに震えている。
五年前、自信に満ちた態度ばかり見せていた彼の、弱々しい姿。
こんなケインを見ることになるなんて、あのころは思いもしなかった。
決して演技には思えない態度に、オレの心は震えていた。
そしてずっと秘めていた想いを、伝えることにした。
「ヴァネッサの言うことは本当だ。オレはずっと、彼女と君の仲を嫉妬していた」
「アーク、それって」
「オレは今でも……ケインのことを想っている」
あれほど怒ったのは、ケインを本当に愛していたから。
忘れようと必死になったのは、そうでもしないとひたすらにケインを求めてしまうから。
そんな努力も虚しく、未だに忘れられないのは……今でもケインを、愛しているから。
「それじゃあ!」
「けれど、だめだよ」
「なぜ……?」
絶望から一転、喜色を浮かべたケインだったが、オレの言葉に再び動きを止めた。
「嘘から始めたことの続きをもう一度やり直そうとしたって、上手くはいかないだろうよ。きっとオレたちは、本当の意味で前に進めない」
「アーク……」
「五年という歳月はあまりにも長い。お互い新しい出会いも経験して、立場や環境だって随分変わった。だから、本当の意味であのころに戻れるなんてことはないんだよ」
「本気……なのか?」
「もちろん」
「どんなに努力しても?」
「無駄な努力はせずに、新しい道を模索した方がよっぽど建設的だろ? だからオレたちは、これっきりで終わりにするのが一番じゃないか?」
ケインは俯いたまま、一言も喋らなかった。
彼はきっと逡巡しているのだろう。オレをずっと探し続けてきたケインにとって、今この場で答えを出すには、あまりにも辛いな内容だろう。そんなことは、オレにも分かっている。
だからオレは、ケインが答えを出すまでジッと待ち続けた。
長い長い沈黙の末、ケインはついに小さくコクリと頷いたのだった。
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「それで、結局別れたの?」
次の出勤日、出社したオレを捕まえたヴァネッサは、開口一番「どうなった!?」と問い質した。
その質問にあっけらかんと「きちんと終わらせたよ」と答えると、彼女は口をあんぐりと開けて驚きを露わにした。
「だって、二人とも想いあってたじゃない……なのによりを戻さないわけ?」
「うん。よりは戻さないよ。前に進むためには、今までの蟠 りを全て捨てる必要があるからね。そのためには、嘘で固められていた恋なんて捨てた方がいいんだ。それはケインも同じ意見だったよ」
ヴァネッサは頭を抱えてハァァ……と大きなため息をついたが、すぐに復活して
「じゃあ二人はこれからどうするの?」
と食い下がる。
「うーん、普通に友人関係に戻るだけかな。彼は今フリーだから、アタックしてみたら?」
「あんなクズ野郎を勧めるのだけはやめて! 虫唾が走る!!」
「え、だって前にケインのことを結婚相手にちょうどいいみたいな話をしてたじゃないか」
「そういえばアークが嫉妬するかと思ってわざと言っていたのよ! いくら容姿がよくて財産を持っていたとしても、クズな性格は絶対受け入れられないわ!」
ヴァネッサは両腕を摩 りながら、えらい剣幕で捲し立てる。
うーん、ケインも随分嫌われたものだ。
「……それでもちゃんと答えを出したことは本当に偉いと思うわ。頑張ったわね、アーク」
「うん……これも全て、ヴァネッサのおかげだよ。本当にありがとう」
ヴァネッサはそっぽを向いて……でも満更でもないという顔をしながら「アタシはアークの姉心がつい爆発しちゃったのよ」と言った。
ぶっきらぼうだけれど、照れているせいか随分早口だったのがむしろかわいい……ってちょっと待て。
「え? 姉? 母親じゃなく?」
「なんで母親!? 年齢的に考えたって、姉で間違いないでしょうが」
「歳を考えたら、姉じゃなくて妹だろ?」
「精神年齢の話をしてるの! こんな頼りない兄なんか、アタシは要らない。アークなんて弟で充分よ」
「それはちょっと酷いんじゃないか?」
ヴァネッサとギャーギャー言い合いをしていると、突然事務所のドアが開いた。
「いらっしゃいま……って、ケイン?」
来客者はケインだった。
今日は来訪の予定なんて入ってなかったと思うのに。
突然現れたケインに、オレとヴァネッサは驚きを隠せない。
「今日はお見えになる予定はなかったと思いますが? ミスター・マクレガー」
オレより一瞬先に立ち直ったヴァネッサが冷たく言い放つ。
ケインはそれに怯んだ様子もなく「そのとおり」と言った。
「そのとおりって?」
「今日は仕事の話じゃなく、アークに会いにきた。これを」
手にした紙袋の中から取り出したのは、真っ赤な薔薇の花。しかも四本一つに束ねたブーケ。
それを見たヴァネッサが、隣でビシリと固まった。
「これを君に渡したくて」
「あ……ありがとう。だけどオレ、君にこんなことしてもらう必要というか理由はないと思うんだ」
「アークにはなくても、俺にはあるんだ」
ケインはそう言って、清々しいほど美しい笑みを浮かべた。
「俺がどれほどアークを思っているのかを覚えておいてほしくて」
「…………はぁ?」
ちょっと待て。
ケインは一体なんと言った?
これじゃまるで、あの話し合いがなかったようじゃないか。
「ケイン? 昨日のことは覚えているか?」
「もちろん」
「じゃあこれは」
「あのころのアークを追うことは綺麗サッパリ諦めた。だから今度は今のアークと、一から新しい関係を築くことにしたんだ」
「はぁっ!?」
反射的に声をあげたのはヴァネッサの方だった。
「あんたね、振られたんなら諦めなさいよ!」
「だから諦めたと言っただろう? その言葉に、俺も納得した。けれどアークはこうも言ったんだ。『新しい道を模索した方がよっぽど建設的だ』ってね」
いや、たしかにそれは言った。
言ったけれども、そういう意味で言ったんじゃない!
「だから俺は、アークとの新しい道を作って行けたらと思ったわけだ」
だからの意味がわからない。
さすがのヴァネッサも、ケインの言葉に呆然とするしかないようだ。
あまりの事態に言葉を失った俺たちをよそに、ケインは腕時計を確認すると「そろそろ行かなくちゃ」と言って薔薇のブーケを俺に押し付けた。
「今日はこれから会議があるから帰るけど、また夕方迎えに来るよ。ディナーでも一緒にどうだい?」
「いや別にそう言うのはいいから」
「新しい関係を築くには、まず今のお互いを知ることだ。たしかにアークが言うとおり、五年はあまりにも長かったからね」
そんなことを一方的に告げると、俺の頬にキスを落としてケインは去って行った。
「……凄いわ、あれは。全然へこたれてない」
「うん……そうだね」
呆れる一方で、オレはかつてのケインがやはりそうだったことを思い出していた。
オレを墜とそうと躍起になっていたケインは、あんな感じでいつも纏わりついてきたのだ。
あのころは二週間くらいでコロッと堕ちた俺だったけど。
「今度は二週間ぽっちで堕ちたりしないぞ」
「あら、それはきっと無理ね」
ヴァネッサはオレの決意をバッサリと否定した。
「だってあのクズ野郎、かなり本気じゃない。恋愛慣れしてないアークに勝ち目はないわね」
「なんでそんなことがわかるんだよ」
「見てよ、そのブーケ」
「この薔薇がどうかした?」
「あのね、赤い薔薇の花言葉は『あなたを愛します』。しかも渡す本数によって、意味が変わるのよ」
「ちなみに四本だった場合は?」
「それはね」
ヴァネッサの言葉に、オレは戦慄した。
彼女が言うとおりだとしたら、ケインはオレを……。
「まさか、ケインはそんなこと知らないと思うけど」
「じゃあなんで赤い薔薇なのよ。意味を知らないのなら黄色だってピンクだっていいじゃない! しかも四本よ? 見栄えで口説き落とすなら、もっと本数を増やしたブーケを持参するでしょうに」
「どどどどうしよう!」
「もう一度断ればいいでしょう? まぁ逃げ切れるとは思わないけれど……」
ヴァネッサの言葉どおり、本気になったケインはありとあらゆる手段を使って、オレの逃げ口を塞いで行ったのだった。
そして最終的にすっかり絆されてしまったオレが、再びケインの手に堕ちることとなるのはそれから一年後のこと。(よく耐えたと褒めて欲しい)
けれどそんな未来が待ち受けているなんて知らないオレは、ケインから贈られた四本の紅薔薇を眺めながら、途方にくれるしかなかったのだった。
【完】
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