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第9話

ー第8話からの続きー 青葉が優也を看病してから約二週間ほど経った。 その日は例年になく激しい雨の日だった。傘を差していたとしても、この雨の中を歩けば、ずぶ濡れになりそうな勢いだった。雲は低く、しばらくは雨が上がる様子もない。雨音は強く、いつまでも自己主張し続ける。 雨で見通しが悪い中、青葉は車を走らせ帰途に着いていた。フロントガラスを強く打ち付ける雨で数メートル先も視界が悪い。そんな雨を見ながら、青葉は優也のことを思い出していた。 10年以上前、雨の中、ずぶ濡れで弟子入りにやってきた優也の若さに一度は断ったが、何も恐れないような、意思の強い目に青葉は気圧された。 今も、あの目は変わらない。いつだって真っ直ぐに見つめてくる。 そして、はっきりと答えを出さないまま、青葉は流され続けていた。 …私は卑怯だな。 優也との関係に思いを巡らせ、青葉は深くため息つく。 家に帰り着き玄関を開けると、台所から夕食を準備する音と美味しそうな匂いが漂ってきた。青葉の頬がつい緩む。 そこに弟子の吉伍が不思議そうな顔をして近寄ってきた。「さっき…」と吉伍が話し始めると、その内容に青葉は驚き、焦る。しかし、そのことを吉伍に気づかれるわけにはいかなかった。平静を装い、稽古場の人払いを言いつけると、足早に真っ直ぐ稽古場へ向かった。 稽古場のドアを開けると、湿気を帯びた空気と雨音だけが外から流れ込む部屋に一人、優也がいた。優也は青葉に微笑みかける。 「おかえりなさい」 青葉は動揺を隠せないまま、稽古場のドアを閉める。 「…どう…して?稽古をつける予定は入れていない。…帰りなさい。」 「"どうして?"その言葉、そのまま青葉さんに返しますよ」 優也は笑顔のままゆっくり立ち上がる。 「会う機会を減らすことには同意しましたけど、"一切会わない"つもりはありませんよ? どうして全ての予定を白紙にするんですか?」 優也の顔には笑顔が張り付き、声は落ち着いているが、それとは裏腹に立ち振る舞いに威圧感があった。歩み寄る優也に怖気付き、青葉は後ずさりしてしまう。 「…落語に…集中したかったんだ」 青葉は取り繕う。しかし、優也の表情はなんら変わりなく、歩みを止めることはない。後ずさる青葉はやがて壁際に追い詰められていた。 「4時間…いや、3時間でいいです。ホテルに行きましょう。それで我慢します」 優也は青葉の手首を掴み、引く。が、青葉は反発した。優也の手を振りほどくと、首を横に振る。 …このまま優也に流されたら何も変わらない。 青葉は拳を握り、唾を飲み込む。意を決して優也をきつく見る。 「…本来、"約束"は二人会に関わりがある日だけだったはずだ! それなのに、いつも打ち合わせなどと言って、結局、何も二人会のことは話さないじゃないか。 …今日もそうなんだろう?ホテルに行く義務はないはずだ!」 優也は笑顔を解き、深いため息をつく。しかし、再び笑顔を作ると壁に手をつき、青葉の瞳を覗き込むように顔を寄せる。 「気づいていると思うんですけど、今の俺、だいぶ怒っているんですよね。 全ての予定をキャンセルされるし、我慢して妥協してホテルで良いって言うのに拒否されるし。」 優也は笑顔のまま淡々と話すが、目は全く笑っていない。そして少しずつ優也の顔から笑顔が消えていく。 「確かに最初はそう言いました。 でも、最初から分かっていると思いますけど、俺が二人会に出ているのは青葉さん目当てなんですよ。」 優也の言葉遣いはあくまでも丁寧だったが、激しい憤りを含んでいた。終いにはとうとう苛立たしく声を荒げる。 「今まで適当に理由つけていましたけど。 …そんなに理由が欲しいなら、自分で勝手に考えて、自分で勝手に納得してくださいよ!!!」 青葉の顔に触れそうなほどの近さで優也は壁を力任せに激しく叩く。いつもの明るい表情とは全く違う、怒りに満ちた優也に青葉は驚き、動けずもせず、言葉も出ない。 優也は全身を使って青葉を壁に押し付けると、両手で青葉の顔を持ち上げた。 「とにかく今日は俺の相手してください」 親指を強引に青葉の口内に差し込み口を閉じられないようにすると、優也は自らの舌を差し込む。 「…んぅっ!…ゆうっ…や!」 青葉は顔を背けようと抵抗するが、優也の力は強く、逃げることが出来ない。優也の体を押し退けようにもやはり動じる気配もない。優也の指や舌に歯を立てて傷つける勇気は青葉になく、侵入を許してしまっていた。 しかし、優也が強引に何度も舌を絡ませようとしても、青葉は拒否し、口内で逃げ続けた。青葉は優也との関係性を変えたかった。それに、抵抗を続けれは優也が諦めたことがあったので、可能性はあると信じていた。 が、その日の優也は違った。どんなに青葉が逃げても執拗に追いかけ続けた。口内に差し込んでいる親指の関節を曲げて、さらに青葉の口を無理やり開かせると、舌をさらに深く押入れ、青葉の舌や歯を何度も舐め回しては搦め捕ろうとする。青葉は焦りを感じていた。 …このままだといつものように快楽に流されてしまう 舌を舐められる感触、優也の唾液が流れ込む感触、口内を蹂躙される感触、全てが青葉の快感に直結し響き続けていた。頭の奥が痺れる。 青葉はとうとう堪らず、罪悪感を感じつつも、優也の親指に歯を立てる。これで優也が引き下がると信じて。しかしそれは叶わなかった。 優也は歯を立てられたことを物ともせずに、むしろ親指をさらに深く押し入れた。爪と歯が擦れ合う鈍い音が青葉の口内で響いたかと思うと、親指は奥歯まで到達し、青葉はさらに口を開ける形になっていた。 青葉は驚き、目を見開くと、すぐ目の前の優也と視線が絡む。優也の瞳は青葉を捉えて決して離さない強い眼差しだった。 自分が何者なのか、自分が誰のものなのか、冷徹に教え込む絶対的な支配者のような鋭い瞳。 そんな優也に青葉は鳥肌がたつほど震え、そして青葉の体は昂ぶっていた。優也に魅入られたかのように、青葉は目を逸らすことが出来ない。 抵抗する気力がなくなり、青葉は壁を背にしたまま、ずるずるとへたり込んだ。優也は青葉を一旦解放し、舌舐めずりしながら、へたり込む青葉を見下ろす。 「今日はここでやるしかないですね」 いつもの、明るく人懐っこい優也の声が青葉の頭上から響くと同時にジャケットを脱ぐような布が擦れる音も聞こえる。 青葉は小さく何度も首を横に振ると、這うようにして逃げる。結局は無駄な行為だと分かっていても、それでも青葉に残された理性が突き動かす。 案の定、優也は青葉の身体を捉えると、仰向けにして馬乗りになる。青葉は声をふり絞る。 「もういい加減、私の体なんて飽きただろう!?」 責任転嫁なんて卑怯だとは分かっていたが、青葉は思いつくままにぶつけた。 一瞬、優也の眉間に皺が寄る。 「…まだ、そんなこと言うんですね。」 「…っ!…事実を言っているだけだ! 女性の方が抱き心地がいいだろうし、この前だって、また女優の子と雑誌に…」 優也はわざと大きな音を立てながら床に手をつき、青葉に顔を近づける。優也の顔には笑顔が張り付いていたが、瞳には怒りが灯っていた。 「こんなに何度も"おあずけ"食らって飽きるわけないでしょう。 あの女だって、いつものように、青葉さんの代わりということは分かっているくせに。」 青葉はつい視線を逸らしてしまう。優也は青葉の両手を無理やり引き寄せると、自分の指と絡ませながら床に押し付けた。 「そんなに俺に飽きて欲しいんだったら、毎日、俺のところに来て抱かせてくださいよ。 …まぁそれでも飽きない自信ありますけど。」 優也は意地悪く笑うと、優也自身の股間を青葉の股間に押し付け腰を動かし始める。すでに優也の陰茎は固くなり始めていた。 「俺、もうスイッチ入っちゃったんですよね」 互いにボトムスを穿いていたが、布ごしでも感触は分かる。青葉は顔を赤くし、逃げようともがくが、両手と腰を押さえつけられ逃げようがない。 「…っ!離して…くれっ!」 優也は聞く耳を持たない。青葉の反応を面白がるように、左右に腰を振りながら擦り合わせたり、早く入れたいと言わんばかりに、腰をピストンさせながら擦り合わせる。擦れ合うたびに青葉の全身は快感で小刻みに震え、熱い吐息が漏れ始めた。 優也は薄く笑い、青葉の耳元で囁く。 「やっぱり青葉さんのこと飽きないなぁ。 だって抱けば抱くほど、どんどんエロくなるし、底が見えない。 もっともっといやらしい青葉さんが見たくなるし、俺好みにしたくなりますよ?」 青葉は顔を背ける。何も反論できない。実際、今も優也の陰茎の感触を味わうたびに、今まで体を重ねてきた数々のことを思い出し、興奮していた。 …早く優也が欲しい。繋がりたい。 理性が働く前に、そう本能的に思ってしまうほどだった。体は優也を求めていると嫌でも自覚させられ、青葉の目には涙が滲む。それでも理性を動かし、無駄な足掻きを続ける。 「…来週っ!…にしてくれ!…頼む…から!」 「えー、俺は今、青葉さんが欲しいなあ。…それに青葉さんももう無理でしょ?」 優也はボトムスの上から青葉の陰茎を掴む。刺激され続けた結果、青葉の陰茎も硬くなり、外に出たいと主張していた。わざと乱暴に上下に擦ると、直接的な刺激に青葉の全身が震える。 「…いっ!やだっ!…あぁ!…やめっ…てくれ!」 青葉はたまらず優也の手を解こうとするが、優也の手は力強く、解くことができない。優也の手から逃れることが出来なかった。 優也の手が動くたびに強い快感が青葉を蝕み、嬌声を上げそうになる。青葉は必死に唇を噛んで耐えるが、それだけでもう精一杯だった。青葉の中で快感がどんどん膨れ上がり、もう思考回路が上手く回らなくなっていた。 優也は含み笑いをすると、青葉の陰茎から手を離す。そして、再び優也自身の股間を青葉の股間に押し当て上下に動き始めた。青葉はもう抵抗しなかった。顔を紅潮させ、目を潤ませ、口は薄く開いて熱い吐息を漏らし続ける。 「…青葉さん、…もう少し、ですね」 青葉が堕ちるまで、あともう少し。優也は青葉の頬をそっと撫でると、両手を添えゆっくりと口付けをした。今度は優しく丁寧に。食むように唇を啄ばみ、舌先で唇をなぞる。 優也から与えられる刺激は、先ほどとはまた違う、甘美さがあった。気持ち良さのあまり、青葉の全身が震える。無意識に両手は優也の両腕に縋り付き、もっと欲しいと本能が叫ぶ。もう青葉には優也を受け入れる道しか見えなかった。 …"今日"を早く終わらせるしかない。 そう自分で自分に言い訳しながら、青葉は口を開き、舌を差し出した。同時に青葉の上擦った声も室内に薄く響く。 ようやく従順になった青葉を見て、優也の頬が自然と緩んだ。優しく囁く。 「今日は青葉さんの大好きなキスをたくさんしますから。それで、いいでしょ?」 優也は青葉の髪を優しく撫でると、舌を差し入れ、ゆっくりとねっとりと絡ませて青葉の舌を味わう。青葉も進んで舌を絡ませる。青葉の両手は自然と優也の背中に回り、縋り付いていた。そして、優也の腰の動きに合わせるように、青葉も腰を振り、快楽をより欲し始めた。 この瞬間が優也は好きだった。青葉が身も心も全てを差し出してくるような瞬間。独り占めできる興奮で体が熱くなる。もっとずっと欲しくなる。飽きるわけがない。 「…青葉さん、あっちに行きましょう」 優也は青葉の手を引き、座布団が積まれている窓際に向かう。座布団の山の適当に崩すと、その上で2人は抱き合うように再び口付けをする。舌を舐め合い、舌を絡ませ合う。 優也は優しく口付けをしながらも、シャツをたくし上げ、青葉の肌の上で両手を滑らせていた。背筋を指先でなぞり、脇腹や腹部、胸部を手のひら全体で優しく撫で上げる。再び青葉の中に快感が蓄積されていく。青葉の口端からは甘い吐息が漏れる。 優也の手はゆっくりと青葉の下半身へと降りてくる。ベルトとホックを優也が外し始めると、青葉は躊躇うことなく優也の首に両手を回し、優也から唇を離さないまま進んで膝立ちした。優也は優しく青葉の臀部や大腿部を一度撫でると、ボトムスと下着をまとめて引き下ろす。解放された青葉の陰茎はそそり立ち、揺らめいていた。優也がそっと先端に触れると、青葉は上擦った声を上げる。優也は自然と笑みがこぼれる。 「青葉さん、服脱いで待っててください」 優也がカバンからコンドームを手に戻ってくると、青葉は全裸で仰向けになり、早く一つになりたいと言っているかのように、自ら両膝を抱えていた。 その姿が浅ましく卑猥で、優也は興奮するとともに、加虐心に火がついてしまう。 「青葉さん、淫乱ですね。こんないやらしい体、他の人が見たらなんて言うか」 青葉の体が僅かに揺れるが、体勢を崩さない。羞恥心に慣れることは出来なかったが、それでも青葉の中では快楽が優っていた。青葉は室外の気配を伺いながら声を出す。 「…優也、…早く」 優也は腰を下ろし、青葉の腰を引き寄せると、自身の大腿部にのせるように抱える。青葉の腰はせがむように僅かに揺れ続けていた。 しかし、優也は青葉の臀部や大腿部をくすぐる様に撫で、肝心なところには一切触れない。ただ、撫で心地を楽しみ続ける。 青葉は堪らず声を上げる。 「優也…頼むから…早く入れて…欲しい」 「…んー、まだ慣らしてないしなー。」 「…もうっ…入れても…大丈夫だから…早く…」 焦燥感に駆り立てられている青葉は懇願し続ける。 優也は薄く笑うと、自らコンドームをつけ、待ち望むように蠢く肛門に先をあてる。青葉も優也に合わせるかのように大きく息を吐き、唾を飲み込み、力を抜く。しかし、優也は自らの陰茎を入れることなく、ゆっくりとピストンし始めた。 すぐに終わるだろうと青葉は信じていたが、終わる兆しは見えない。入り口だけを刺激され、入るようで入らないもどかしさで気が狂いそうになる。 「…優也…どうして…」 「これも気持ち良いでしょ?」 「…頼むから…早く…」 青葉は優也に哀願するが、優也ははぐらかし、焦らし続ける。声が外に漏れないよう青葉は小声で話していたが、余裕がなくなり、声量は段々と大きくなっていった。 「なんでも…するからっ!早くっ!欲しい!」 目を潤ませ、そそり立つ陰茎と腰を揺らしながら男を誘う様は、卑猥さを際立たせていた。 優也は含み笑いながら、青葉の臀部を左右に押し広げる。 「青葉さん、本当、淫乱。俺だけの秘密にしなきゃいけないですね。 誰にもこの体は触らせちゃダメですよ」 「分かったから!早く!」 青葉は何度も首を縦に振る。優也は満足げな笑みを浮かべると、ようやく、ゆっくりと挿入した。青葉は大きく背を反らし、全身を震わせ、上擦った声を上げる。 青葉を覆うような体勢でゆっくり優也が腰を動かし始めると、もっと欲しがるかのように、両手は青葉の腕に縋りつき、両足は青葉の腰にしがみつく。 「優也ぁ…いい…はぁ…気持ち…んぅっ…良い…」 青葉の口端からは唾液が漏れ、嬌声が薄く響き始める。 早々に痴態を見せる青葉に優也は呆れつつも、愛おしくて仕方ない。青葉の肌を撫で上げると、優也の体は小刻みに震える。 「この前は指だけだったから、物足りなかったですよね。 俺のことが待ち遠しいのに無理に我慢して、こんなに敏感になっちゃって…。」 快楽に溺れる青葉は喘ぐばかりで返答することはない。青葉の唇を優也は優しく撫で、そして口付けを落とした。青葉の体が震えて喜ぶ。青葉は恍惚な表情を浮かべ、抱きつく両手の指にはさらに力が入り、両足の指は何かを求めるかのようにもがいていた。 その時、廊下を歩く足音が響いてきた。足音の軽さから、おそらく青葉の妻。途端、一気に現実に引き戻された青葉は表情を固くし、視線が泳ぎ始める。すかさず優也は優しく抱きしめた。 「大丈夫ですよ。女将さん、この部屋に入ってきたことないでしょ。」 青葉は小さく頷く。 優也は青葉が安心するよう、腰をつきながらも深く口付けをすると、青葉は喉を鳴らし呼応した。 しかし、優也にとって想定外のことが起きた。足音は通り過ぎるかと思っていたが、隣の部屋へと入っていく。そのまま、電話をしているような話し声が薄く響いてくる。 「…青葉さん。…隣の部屋は物置でしたよね?女将さんの部屋にでも変わりました?」 青葉は優也に抱きしめられたまま小さく頷く。優也は一瞬、眉間にしわを寄せる。 「そう、ですか」 隣の部屋が物置ではなくなったことも、思いのほか隣室の音が響くことも優也は知らなかった。一瞬思い悩むが、だからといって途中で止めるつもりは毛頭ない。 ゆっくり優也が腰を動かし続けると、青葉は声が出ないように自分の指を噛み締めながら薄く喘ぎ続ける。優也が首筋や胸を舐め、口付けを落とすたびに青葉の体は敏感に震える。少しずつ青葉は再び高みに向かっていた。 ただ、優也は違った。優也の耳に薄く響く、青葉の妻の声に苛立ちを募らせていた。苛立ちを飲み込むこともできず、捌け口を探す。優也は青葉の耳元で囁いた。 「女将さん、…さっき肉じゃがを作っていましたよ」 突然のことに青葉は驚く。快楽に浸りたいのに、再び現実に引き戻され、困惑する。青葉は頭の芯が冷えていくようだった。 「ゆう…や…何…」 「肉じゃがは、青葉さんの好物でしたよね。女将さんに愛されてますねぇ。」 優也は腰の動きを強く、そして速くする。青葉の体を強烈な快感を襲うが、同時に背徳感も溢れ出した。薄く響いてくる妻の声も青葉の心を痛める。 「っやだ!…もうっ、それ以上!…言わないで…くれっ!」 優也との関係が、妻に対して裏切り行為であることは青葉は十分分かっていた。しかも一回り以上歳下の弟子、しかも男に、夫が抱かれているという事実は妻を残酷に傷つける以外の何物でもないということも分かっていた。しかし、青葉は今まで考えることから逃げ、自分で自分を誤魔化し続けていた。 その現実を嫌でも思い知らされ、心が掻き乱され、青葉の瞳には涙が滲む。 そして、そのことを分かっているのに、優也は言葉を続けることをやめない。 「青葉さんの好きな、ナスの煮浸しも今日あるのかなぁ。 女将さん、青葉さんのために料理の練習したんですよね」 「優也ぁ!…た…のむ!…頼むから!…もう…もう聞きたく…ない!」 青葉はボロボロに泣いていた。下半身から生まれる快感で顔は高揚し、口は半開きだったが、罪悪感で思考はまとまらず、目の焦点はあっていなかった。 優也は青葉の顔を撫で、涙を拭き取り、耳元で優しく囁く。 「ごめんなさい。 俺は今日やっと久しぶりに会えたのに、女将さんは毎日青葉さんと会えるでしょう。 …嫉妬しました。」 優也は腰の動きを止めることなく、青葉の髪や頬を撫で、許しを請うように優也は唇を重ねる。 「もっとたくさんキスするから。許してください、青葉さん」 快感に抗えない青葉は抵抗せず受け入れる。むしろ進んで求めてしまっていた。青葉はもう何も考えたくなかった。 再び少しずつ喘ぎ始めた青葉の瞳を優也は真っ直ぐ捉える。笑顔は消えていた。 「でも、誰よりも青葉さんのことを考えて分かって愛しているのは俺ですから。覚えていてくださいよ?」 ごまかしを許さない優也の瞳に、青葉は喘ぎながらも頷くしかなかった。優也は再び笑顔になる。 「良かった。そのこと、身をもって分かってくださいね」 優也は上半身を起こすと、青葉の両足をさらに広げ、腰を引き寄せる。そのままより深くピストンし始めた。深く抉るように。優也の激しく打ち付ける音、2人の押し殺した荒い息遣いが室内に静かに響く。 脳天まで重く響くような快楽に青葉を再びどんどん追い詰められる。背を反らし、クッションになっている座布団を握りしめながら喘ぎ出す。 そのまま快楽の波に飲み込まれたかったが、隣の部屋には妻がいることを忘れることは出来なかった。羞恥心と背徳心が入り乱れ、自分の指を噛み、声を必死に押し殺す。 優也は、いつものように、そんな青葉を愛おしく思いながらも、加虐心は煽られてしまう。青葉の耳元で意地悪く囁く。 「指を噛んでたら、青葉さんの大好きなキスできませんよ?」 「ゆう…や…」 青葉は顔を紅潮させながらも眉間に皺を寄せる。指を噛むことなく声をおし殺せる自信がなかった。しかし、それでも優也と口付けをしたかった。 そんな、どこまでも快楽を求めてしまう自分に絶望し、青葉の瞳には涙が滲む。 青葉は一度深呼吸をした。指を噛むことをやめ、必死に声を押し殺しながらも口を開き、優也に縋りつく。唇も指も震えている。 「ゆ…うや…キス…したい…」 優也は笑顔を見せた。唇を重ね、青葉の舌を舐めると、青葉の全身は震え、より一層きつく優也に抱きついた。口端から絶え間なく嬌声が漏れ、部屋に響く。 そのまま、隣室からの音が耳に入らなくなるほど、夢中で互いの体を求め、快楽を貪り合う。互いの鼓動や呼吸、五感、何もかも一つになっているのではないかと錯覚するような、甘美な時が流れる。 しかし突然、隣室のドアが開く音が響き、再度現実に引き戻される。青葉は狼狽えた表情を見せるが、優也は変わらず、むしろ意地悪な笑顔を見せた。前立腺に当たるように意識ながら、優也は腰の動きを加速させる。青葉は焦り、声を抑えて懇願する 「ゆう…やぁ…ゆっ…くり…動い…て…」 「っ…バレ…ませんよっ」 優也は荒い息のまま、強引に青葉と唇を重ねると、舌を絡めとる。そのまま青葉を快楽で追い詰めていく。青葉は室外に声が漏れないよう、眉間に皺を寄せ、声を抑えようとするが、あえなく嬌声が絶え間なく漏れ始めた。 やがて廊下を歩く足音がどんどん大きくなり、足音が稽古場の前にさしかかろうとした時。優也は青葉の陰茎の先端を意図的に強く刺激した。 「んっっっーーー!!!」 突然の強い快感に、青葉は体を刎ねあげるかのように優也の腕の中で体を大きく反らした。腰はガクガクと大きく震え、足はつま先まで震える。それでも優也の背中に爪を立て、優也から唇を離すことはなかった。舌を絡ませたまま果てた。 優也は目を細めて笑う。 「いつもに比べて興奮して、そして気持ち良かったでしょ?」 青葉は涙を流しながら、小さく頷いた。 稽古場内のことは気づかれることなく、足音が遠ざかっていく。 優也の腰の動きは止まらず、優也自身の絶頂へと向かっていた。 優也は青葉の手をとると軽く口づけし、微笑みながら青葉に視線を送る。そのまま、掌を重ね、指を絡め、押さえつけた。優也の息は変わらず熱を帯び、荒い。 その中、青葉は優也の指に気づいた。 「…優也…指は…大丈夫か?」 歯を立て、噛んでしまったことを青葉は気にしていた。優也は荒い息を吐きながら笑う。 「飼い犬に…噛まれたって…本気で怒る…飼い主います?」 青葉は戸惑いながらも、優也から目を離すことも、その言葉を否定することもできない。 優也は青葉の頬を撫でる。 「冗談…ですよ。…じゃあ、…舐めてもらおうかな」 優也の親指が再び、青葉の口内に差し込まれた。青葉は丁寧に、労わるように舌を絡める。優也は笑った。 やがて青葉の手を握りしめる力も強くなってくる。優也の荒い息も大きくなる。唐突に青葉の口内から親指を抜くと、優也は青葉を強く抱きしめた。青葉の首に顔を埋める。 「青葉さん、ずっと愛してますから」 優也も青葉の中で絶頂を迎えた。 互いの熱情が収まるまで、余韻を楽しむかのように2人は唇を重ねる。言葉はいらなかった。ただ離れがたかった。 熱情が収まる頃、ようやく優也は顔を上げる。唇が離れ、物足りなさそうな表情を見せる青葉のことを笑いつつも優しく頬を撫でる。 「今度、もっと気持ち良いことをしますから。」 どんなことをされるか分からなかったが、青葉は無意識に期待していた。唾を飲み込み、そして頷いた。 結局、2人の距離も関係も何も変わらない。いつものままだった。 青葉は身支度を整えると、壁を背もたれにぼんやりと外を眺める。雨の降る音、水たまりで遊ぶ子供たちの声が響いてくる。 気配がして見上げると、優也が立っていた。 「もう少し時間あります?」 青葉は小さく頷く。優也は笑顔を見せる。 「少し、ここで寝ていってもですか?最近寝られなくて」 優也は腰を下ろすと、ゆっくりと青葉に抱きついた。 青葉も躊躇いがちに優也の背中に手を回す。 「…青葉さん、頭を撫でてくださいよ。この前の、すごく気持ちよくて、忘れられないんです」 満面の笑顔を見せる優也に青葉は嫌だと言えなかった。青葉の肩に頭を預ける優也の髪を辿々しいながらも優しく撫でる。嬉しいのか、優也の抱きしめる力が強くなった。 優也の規則的な呼吸が聞こえ始め、そのまま眠りに入るかと思った、その時。 「あ!そうだ!」 優也は突然声を上げ、頭を起こす。ギリギリまで顔を近寄せ、青葉の瞳を捉える。変わらず優也は笑顔のままだ。 「青葉さんが何考えているから分からないですけど、俺は青葉さんから離れませんからね」 青葉の返答も聞かず、優也は再び青葉の肩に頭を預けた。 青葉は息が止まるほど驚く。自分の考えが見透かされ、とどめを刺されたようだった。そして、出口が見えないような、陰鬱とした気分になる。 青葉は震える手で再び優也の髪を撫でる。 やがて優也の規則的な寝息と雨音だけが室内に満たされる。青葉は再び優也の弟子入りの日を思い出していた。 …あの日、弟子入りを認めなければ、また違ったのだろうか。 後戻りもできないのに、そんな"たられば"なことが頭に浮かび、そして答えも出ないまま消えていった。

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