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第1話

 銀髪が揺れた。乾いた粘液がいくらかその煌めいた毛の流れを阻む。 「ぅんっうんん…っ」  銀髪の青年は翠色の双眸を潤ませながら口腔を満たす肉棒を頭を動かして扱いた。真横から白濁が飛び、彼は長い睫毛を伏せた。喉奥で破裂が起こり、青年の喉が嚥下のたびに隆起した。  ぉおおっスゴいよレニーちゃん! 「ぅんんっぐ、…っうんん!」  下からの突き上げが激しくなる。内部を凄まじい速さで穿たれ、快感に視界が霞んだ。舌の上を射精の余韻に浸る陰茎が往復し、青年の腸内でまた別の破裂が起こる。白濁を飛ばしたばかりの棒を扱いていた右手の動きが滞り、左手の動きはすでに停止していたため肉厚な手を重ねられ他人の力で筋の浮き上がる太い棒を摩らされていた。  レニーちゃん!もっとお尻締めて! 「あっ…あふ、っぁ、」  青年はレーニティアといった。濃く粘り気の強い精液を飲み込みきれず、何度も唾を飲み込むが容赦なく再び膨らみを取り戻し彼の口内を愉しむ者によって返事は出来なかった。注文どおりに後孔を締めると、速度を落としていた下の者がレーニティアの腰を痣ができるほど強く掴んで勢いのある抽送を再開する。  おおおおっレニーちゃんも感じてるんだね!  左手が扱いていた先端から黄ばんだ粘液が飛んだ。手での奉仕に飽いたのかその者はレーニティアの手にすべて搾り取らせると彼の背に回った。  今日は2本挿れてみようか?  レーニティアは首を振ろうとしたが、口淫を施している相手に頭を押さえられる。突然口蓋垂のさらに奥に先端まで挿し込まれ嘔吐感に襲われる。  おっおっおお、!  深く生い茂った陰毛に鼻先を埋め、目の前の男を反射的に突っ撥ねた手が戦慄いた。くしゃみのような音を漏らしながら抗えない吐気に耐える。下からはそのような様子に遠慮もなく直腸を貫かれ、胃液が腹の中で熱く主張を始める。そこにさらにもう1本の灼熱が準備を始めていた。 「んぐっ…ぅううう、!」  レーニティアの萎えた茎に手が絡む。後孔が張り裂けそうになり腰が逃げを打つ。  ほら、右手がお留守だよ。  喉を支配する者が汚れた髪を掴んで言った。嘔吐感と腹の圧迫感と軋む粘膜に翠玉から生理的な涙が溢れ、それでも言葉を拾いながら右手を動かす。  レニーちゃんはお尻で感じる淫乱なんだから、2本なんて余裕だよねぇ?  地鳴りのような感じがあった。茎を触られているだけでは何の誤魔化しも利かず、すでに1本納めている隘路に無理矢理もう1本が割り入った。 「ぐっぅぅぅっぐ、ぁがっ…」  右手はもう動かせなかった。首も力が入らず、男たちは好き勝手にレーニティアの身体を蹂躙した。 ◇ 「レニー?」  納屋から銀髪の青年が出てくるのが見えた。弟たちと遊びながら飛んだボールを拾いにきたところだった。どこか気怠げに歩く保護者に気を取られ手の中のボールの存在を忘れていた。 「ディル!」  ディレックの下の弟であるデュミルが彼の腰に抱きついた。力加減のない子供の勢いある飛びつきにディレックは大きく前に傾いた。 「どうしたの!」  デュミルはレーニティアに気付かない様子でディレックのボールを欲しがった。 「さっき行ってろ、デュン」  下の弟の綺麗な茶髪を撫でてやるとデュミルはボールを持って駆けていった。ディレックはよろよろと今にも転倒しそうなほど危うげに歩くレーニティアのもとに急いだ。 「レニー?」  何か蜘蛛の巣に引っ掛かったような髪の絡み方で、生臭さにディレックは顔を顰めた。 「どうしたんだよ?」  すぐ傍まで近付いたというのに声を掛けるまで施設の-孤児院の保護者はまったく気付かないようだった。レーニティアはびっくりした様子で肩を跳ねさせた。 「ああ、ディルか…」  魚のような、磯のような臭いが普段は洗剤の香りがするレーニティアから漂った。納屋から出てきたところを見ると、漬物が何かの作業をしていたというのがディレックの予想だった。 「腰でも痛めたのか?」  翠玉がディレックの紅い瞳から逸らされた。 「まぁ、そんなところだな」  妙な絡まり方をしている銀髪が中途半端に潮風にそよいだ。海岸沿いにある孤児院はつい最近、歩いて行けるほどの距離にある大聖堂が突如崩落してから元々ここにいた子供たちを避難させ、代わりにディレックたちが暮らすことを州知事によって許されたらしい。ディレックとデュミル、その間の弟であるキュアッドリーの3人兄弟はその大聖堂の崩落に巻き込まれたらしく、彼等を拾ったのがレーニティアだった。 「手伝うか?言ってくれよ。(チビ)たち室内(なか)にしまうし」 「いいや、大丈夫だ。遊んでいてくれ。今日は…牛食うか」 「マジかっ!」  ディレックは目を見開いて、地面ばかり見ているレーニティアを見つめた。州からわずかな援助は出ているようだが、この孤児院は建て替えられたばかりで充てられる資金は多くないようだった。 「ああ。シャワー浴びたら買い物に行ってくるよ。デュンはボール遊びかな?」 「そう。キュディは中で本読んでる」  下の弟は活発で、上の弟は内気だった。ディレックは下の弟のボール遊びで外に出ることが多い。 「なら、デュンは中に入れてくれ。すまないな、ディル」  レーニティアは浅黒い手をディレックの艶やかな黒髪に伸ばしかけた。しかし触れる寸前で彼は躊躇い、落ちていく。 「なんだよ?」 「いいや。じゃあ、行ってくるな」 「一緒に行ってやりたいけど、大丈夫だよな?湿布くらい貼っていく?」 「…頼んでいいか」  レーニティアはぎこちなく笑った。 ◇  レーニティアが帰ってくるのが見えてキュアッドリーは本を閉じた。読めない字を聞こうと思ったが、彼はどこか体調が悪そうで声を掛けることができなかった。キュアッドリーにとっての親代わりの青年はシャワー室に消えていった。一度読書をやめると再び没入感を得ることが出来ず、そういう時は窓から兄のディレックと弟のデュミルがボールで遊んでいるのを眺めるのがキュアッドリーは好きだった。デュミルの調節できないボールがディレックとは違う方向に転がり、何度も兄はボールを追った。4人で暮らすには広い土地でいつもディレックはくたくたになっていた。  オレンジから紺に染まっていく外をぼんやりと見つめているとシャワー室から物音がした。 「レニー?」  窓から身体を逸らし、シャワー室に呼びかける。聞こえないのか返事はなかった。近付いてもう一度呼んだ。やはり返事はなかった。シャワー室の扉を開く。湯が叩きつけられる音だけがした。 「レニー!」  キュアッドリーは濡れることも構わずバスタブに上体を傾けた。日に焼けた筋肉質な裸体がバスタブの中にぐったりと横たわっている。白く湯が跳ねている。 「レニー!レニー!」  キュアッドリーは大慌てで大好きな保護者の身体を揺すった。しかしレーニティアが起きる気配はなく、外にいるディレックへ走る。兄は珍しく慌ただしい弟にすぐ気付き、普段は無愛想な顔に笑みを浮かべた。 「どうした?お前も遊ぶ?」  キュアッドリーは茶色の髪を乱暴に振った。 「レニーが大変なの!」  キュアッドリーはもう泣きべそをかいていた。ディレックの表情が一瞬にして強張り、キュアッドリーに抱いていたボールを渡すとレーニティアのもとに走っていく。キュアッドリーは滲んだ視界の中できょろきょろしているデュミルを回収することだけはかろうじて頭に浮かび、小さな弟の肩を抱いて中へ戻る。レーニティアは起きていたがディレックに支えられていた。 「レニー、大丈夫…?」  キュアッドリーは震える声で訊ねた。デュミルは状況がよく分かっていないようで兄たちがレーニティアに掛ける言葉によって理解したようだった。 「心配かけたな。ごめんな。少し横になったらすぐ、」 「買い物はオレが行くわ。キュディはレニーを看ていてくれるか。デュンも連れていく」  レーニティアの言葉を遮りディレックはキュアッドリーに言った。 「う、うん」 「ディル、大丈夫だぞ俺は…」  レーニティアは唇を青くしていた。ディレックは露骨に不機嫌な顔をして彼を睨む。 「出先で倒れても仕方ないだろ」 「ぼ、ぼくレニーと、お留守番する!」  何か押しが足らないのだ。キュアッドリーはレーニティアに叫ぶように言った。ディレックは頷いて部屋までレーニティアを引っ張っていく。 「レニちゃ、どした?」  デュミルはまだ遊び足らなそうにボールを力強く抱いた。 「お風邪引いちゃったみたい。デュンはディレックお兄ちゃんとお買い物、行ける?」 「うん。いけるよ。キュディは行かないの」 「ぼくはレニーとお留守番」  キュアッドリーは汚れたデュミルを着替えさせていく。 「あとでみんなでいきたい」 「うん、後でみんなで行こうね」  さらさらの茶髪を撫でた。4人で出掛けたことは、たとえ買い出しでも近場の散歩にでも今まで数えるほどしかなかった。キュアッドリーは経済的に苦しいことを知っている。おそらくディレックも立ち回りからするとよく知っているようだった。デュミルには我慢させる場面が多かった。レーニティアを連れて行ったディレックが戻ってきてキュアッドリーと代わる。 「行ってくるな」 「うん。行ってらっしゃい。気を付けてね」  兄と弟を見送らずキュアッドリーはレーニティアの元に駆け付けた。デュミルと一緒に寝ているベッドではなくディレックの使っているベッドに裸のまま寝かされていた。キュアッドリーは着替えを出してベッドの脇に座った。 「大丈夫?」 「ごめんな、心配かけて。2人はもう行ったのか」 「うん。ぼく等のことはいいから、レニーは自分の身体のことを気にしてよ」  レーニティアに着替えを渡す。 「ねぇ、レニー。もうぼくをさ、」 ◇  バスに乗り水上都市エリプス=エリッセに向かった。観光地として栄える海の上に造られた大区画ではなく住宅街側に伸びた陸地に造られた区画に大型のスーパーマーケットがある。デュミルの手を引いてスーパーマーケットに入る時にここからずっと東にある街のカーバス祠官学校の制服を着た若者たちが見えた。カーバス祠官学校は聖堂に常駐する仕事をする祠官を養成する施設で、12歳から18歳の男子でさらに一定の条件を満たした者のみに入学資格が与えられていた。祠官は聖堂で「先生」と呼ばれ訪れた人々を教え諭し、親しまれていたがリーネア=ポワン大聖堂には居なかった。信心深い者たちの間ではそのために崩落したのだとも噂されている。_ディレックは選ばれた者たちだけが着られる制服姿を見つめていた。気付くとデュミルに見上げられていた。 「行こう」  末弟の小さな手を引いたが、彼もまた上質な黒地の布にダークグレーの刺繍が入った制服を眺めていた。 「おにいちゃ、ふく、かこいいね」  4人ほどいた中の1人が話し掛けたデュミルに気付き、目線を合わすため膝を曲げた。  ありがとう。君も大きくなったらカーバス祠官学校においでよ。  嫌味はまったく無かった。悪気は一切感じられなかったが、カーバス祠官学校に通うという意味合いを理解していないような言葉にディレックは顔を顰める。 「おれ、きゃばすがっこ、行く…!」  大きな青い瞳がきらきらと光った。さらさらとした栗色の髪に掌を乗せる。 「そうだな。行けるといいな」  ディレックは小さく笑みを作った。  君は見ない顔だけど、通ってないの?  祠官学校の生徒はディレックに訊ねた。連れの他の3人もディレックに注目した。 「オレは、家でやることあるから」  祠官学校の制服に身を包んだ少年たちは不思議そうにディレックを見て、やがて観光地へと入っていった。エリプス=エリッセの観光ホテルの並びに寮があると聞いている。 「ディルもかばすがっこ、いくの?」 「行かない」  スーパーマーケットに末弟の腕を引いた。ディレックは叱るようにデュミルの質問に返した。 「いかないの?」 「デュンと離れて暮らすことになるけど、いいのか」 「やだ!」  大きなカートを押す客たちの中でカゴを下げて歩く幼い兄弟は人目を引いた。少し東に行けば保護者は犯罪にすら成り得た。レーニティアは保護者同然で保護者といえたが法的には何の繋がりもない。多種多様な人々が出入りする観光地がすぐ傍にあり、リーネア=ポワン大聖堂も近いこの土地は聖堂の教えに敬虔な者が多くディレックたちに哀れみを向け、紙幣を握らせたり食事会に誘ったりした。 「デュン、何食べたい?」 「ミートローフがたべたいです」  デュミルはふざけながらはっきりした声で答えた。 「分かった。ニンジンもちゃんと食べるんだぞ」 「うん。キュディがたべてくれるよ」  野菜を選んでいるとデュミルは両手を広げ、飛ぶように店内を駆け回る。 「こら、デュミル。店の中で走るな」  言っても無駄だった。有り余る体力を使い果たさんと末弟は広いスーパーマーケットの棚と棚の間を器用に客を避けながら走っていってしまう。カゴを置いて迷子になる前に末弟を追った。あまり人通りのない棚と棚の狭間で小さな身体は囚われていた。生活感のあるスーパーマーケットには似合わない、デュミルと揃いの栗色の長い髪に深い青の瞳の美しく男が彼を捕まえている。 「弟が迷惑をかけました」  美青年はディレックに目を止める。海よりは空の青さに近い瞳が見開かれる。病的な色の白さと濃い隈が美しさにまた別の美しさを添えていた。長い茶髪を後ろに束ねた美青年は杖を付きながらゆっくりディレックに歩み寄ようとし、聴き慣れない者の名を呼んだ。 「デュン、戻ろう」  後退りながらデュミルに手招きをする。正気を失ったような青い双眸はディレックを捉えたままで、デュミルを捕まえていた腕にはまったく力が入っていないらしかった。デュミルは長兄に向かって走った。杖を付いた男はよろよろと幼い兄弟を追おうとする。デュミルも何か感じ取ったようでディレックに引かれるままカゴの元に戻った。生鮮食品の近くは人が多く、それでもディレックは警戒しながら買い物を済ませた。デュミルも長兄から離れようとせず、歩きづらいくらいにしがみ付いている。ミートローフの材料とそれから体調不良らしきレーニティアが他にも食べ易そうなものを買った。デュミルにアイスを買って、帰途に就く。4人で暮らすには広い宿舎に入り、キュアッドリーが出迎え、後のことは任せるように言った。次弟には気を遣わせている。ディレックは申し訳なく思いながらもレーニティアの元に向かった。3兄弟の保護者は眠っていた。規則正しい穏やかな寝息を立て、銀色の髪が枕に散らばっている。歯形の残っている指が痛々しくダウンケットに転がっている。何かつらい仕事をしているらしかった。カーバス祠官学校に行きたいというデュミルの眼差しが脳裏を過った。それだけでなくキュアッドリーの意思もきちんと聞くべきだ。進路を考えるのは次弟のほうが先なのだから。 「ディル?」  いつの間にか歯形だらけの指に触れていた。霜が降りたような睫毛がゆっくりと開いた。 「悪り。起こしたな」 「いや…もう、帰ってきたのか?」 「うん」  温かく大きな手がディレックの黒髪を撫でた。 「すまなかったな。ありがとう。おかえりなさい」 「ただいま」 「すぐ起きるから待っていてくれ。お腹空いただろう」  翠色の双眸はまだ眠そうだった。ディレックはその宝玉を見つめる。 「寝てろよ。キュディに手伝ってもらうからさ」  レーニティアは困惑を示した。 「我慢ばかりさせてごめんな」  ふとカーバス祠官学校の生徒のことが過り、弱々しく謝る血も繋がらず、法的拘束もない保護者の姿に言いようのない罪悪感に襲われた。 「何言ってんだよ。我慢ばっかなのはレニーのほうだろ」  顔を見られたくなくてディレックはそそくさと部屋を出た。 ◇ 「自分とディルとデュンの3人ならさ、何とかやっていけるかも知れないじゃん」  キュアッドリーは噛み傷だらけの指に唇を塞がれた。 「駄目だ。そんなこと出来ない。ディレックもデュミルも悲しむだろう。お前は何も心配しなくていいんだ」 「でもディレックも我慢ばっかりじゃん。ぼくとデュンの世話ばっかでさ…レニーだって自分1人だったらもっと自由に暮らせるくせに…」  レーニティアの翠玉が歪んだ。キュアッドリーは唇を噛む。 「ディレックか…」 「ぼく、働くよ。だからディルにさ、カーバス祠官学校行かせてあげてよ。きっと遠慮して、行かないって言うから説得してさ」 「働くって…どうするんだ。子供を雇う場所なんてないぞ」  キュアッドリーは口を噤んだ。エリプス=エリッセに子供でも稼げる店があることを知っている。何度か目にした。小さな子供が大人と寄り添って歩く様を。 「エリプス=エリッセのキラキラしたところにあるよ」  レーニティアは大きく目を見開いた。 「駄目だ。キュディ…頼むからそんなこと二度と言わないでくれ。お願いだ。約束してくれ、悲しくなる」 「どうして?」 「お前たちのことはどうにかする。どうにかするから、心配するな」  キュアッドリーはレーニティアの寝るディレックのベッドから身を退けた。これ以上会話を続けてもこの保護者は気が休まりそうにない。 「ちゃんと休んでね、レニー」  寝室を出て、夜に回す洗濯物を仕分けた。十数人で暮らすことを考えて作られた建物は広く、誰の気配もないと少し怖かった。ふと孤児院敷地の入口に人影が見えた。車椅子を押す銀髪の女性で、濃いグレーのスーツを着ていた。中を覗いているようだが入ってくる様子はなかった。やがて兄と弟が帰ってきた。ディレックは無愛想ながらも疲れた様子で、キュアッドリーは兄へ休むよう言って買物袋を持ち上げた。両手を塞ぐには重い。カーバス祠官学校からの通知は来ていたが、兄はそれに応じた様子がなかった。学費は経済状況から免除または減額されるかも知れないが制服、教材、交通費、寮費、その他生活費を考えると手の届かない選択だ。キュアッドリーは冷蔵庫に食材をしまうと大きな一部屋を適当に仕切った自室で誰が使っていたかも分からない机の抽斗にしまったカーバス祠官学校の入学手続きの書類をびりびりと破いた。ディレックが通うことがあっても、自分が通うことはない。曇っていた意思がどこか晴れやかになる。カーバス祠官学校の制服は遠目でも見ても高そうだった。反射や皺の寄り方で、もうその繊維が今着ているような化学繊維の大量生産の物でないことはすぐに分かった。暗い色調はディレックの黒髪と燃えるようでありながら優しげな深い赤色の瞳によく似合うだろう。自慢の兄だった。床に落ちた紙片をゴミ箱に入れる。  3人が寝静まった頃にキュアッドリーは寄宿舎を出た。観光地として有名な海上都市は眠らないため、バスはセントロ合衆国サンタール州局、真白い町ライアディトラスリア、リーネア=ポワン大聖堂からエリプス=エリッセを夜間も繋いでいた。最寄りのバス停はリーネア=ポワン大聖堂で、寄宿舎からは目の前の道を渡ってすぐだった。空には星が輝き、防風林の奥には夜の海が広がって黒い絵具を溶かしたみたいだった。潮風が弱く吹いている。大聖堂が崩落したことで少し場所をずらしたバス停へ歩く。ただでさえ近かったがさらに孤児院側に寄っていた。数分待って乗り込んだバスには観光客らしき人々がいたが数えるほどでかなり空いていた。遠くからでも分かる崖下のエリプス=エリッセは夜に呑まれることなく煌めいていた。  悪ぃけど、エリプス=エリッセ行きはこのバスで合ってるよな?  キュアッドリーの後ろから銀髪の女が声を掛けた。角張った眼鏡が威圧的な緑色の目が真っ直ぐ彼の紅い瞳を覗き込む。ただの質問だというのに怒られているような感があった。キュアッドリーはびっくりしてこくりこくりと頷いた。  ありがとう。これからどこに行くんだ?  話は終わったかと思ったが銀髪の女はまだ質問をした。探るような色を帯びている。彼女の着ている濃いグレーのパンツスーツは見覚えがあり、近くで見るとストライプが入っていた。胸ポケットにバッヂが輝き、目を惹いた。 「エリプス=エリッセ…に…」  そうか。ありがとう。  女は眉間に皺を寄せ、腕を組んでキュアッドリーを放した。乗客の少ないバス内が突然彼にとって重苦しいものになる。4人連れの観光客は静かではあったが酔っ払っているようで車内は少し酒臭かった。長く緩やかな斜面を下り海上都市に入る前の洒落た柵のような門の前で下ろされる。夜のバスはこの観光地を終点として、帰っていく者たちを乗せていった。キュアッドリーは入り組んだ水路から聞こえるせせらぎを聞きながら音楽の流れる街中を抜け、廃れた歓楽街に入っていった。様々な店が並び、看板には目に痛いライトが灯っている。字は読めても意味が分からないものが多く、キュアッドリーは奥へ入っていった。たまたま通りかかった路地裏には半裸同然の女が広げたダンボールの上に座っていたり、小さな子供が潰れかけたボールで遊んでいた。その近くにはクマのぬいぐるみや人形が描かれ、他の店の看板や書体とは雰囲気の違う店があった。暫く様子をみていると、ピンク色のライトの下から客が出てきて、兄とそう変わらない年頃の少年が恭しく挨拶をして見送っていた。進むことに尻込みしたが、兄と弟の暮らしと保護者の疲弊を見れば迷っている余地はない。店の中に踏み込む。  待て。  肩を掴まれ、半裸同然の女が座る路地裏に連れ込まれる。壁に背を打った。瞬間、頬に乾いた音が炸裂する。  これが痛いなら、やめとけ。  目の前にレンズ越しの緑色が双つ迫っていた。キュアッドリーは頬を押さえて唖然と女を見る。ストライプの入ったグレーのジャケットの繊維まで見えた。キュアッドリーの幼い手のに女の少し日に焼けた手が重なった。  悪かったな。  女はぶっきらぼうに言った。もう片方の腕を取られ、歓楽街から引き摺り出される。外ならば店舗を構え屋内になっているだろうスーパーマーケットが出店のようになって連なる大通りまで案内され、女は好きなアイスを買うように言って小銭を渡すと大通りに面した広い水路の塀に背を凭せかけキュアッドリーを監視した。  いいのが見つかったか?  すぐに引き返してきたキュアッドリーへ無愛想に女は訊ねた。鋭い目付きが男児を見下ろす。 「ぼくは要らないから、弟に買ってあげたいんです…」  キュアッドリーは掌に乗せられた小銭を女へ見せ、握り締める。彼女は舌打ちをした。キュアッドリーの腕を掴み、共に店に近付いた。  美味げなアイスくれよ。どれが人気なんだ?  浅く日に焼けた手がスラックスに入って店主に小銭を出す。店主は増粘アイスクリームを勧める。  炭酸レモネード味とマンゴー、どっちがいい?  キュアッドリーは話を振られ狼狽える。答えられずにいると女は勝手にストロベリーと言った。店主が苦笑しながら代金を受け取り、その数十秒後に女は萎縮している紅い目の子供にカップを差し出した。キュアッドリーはおずおずと手を伸ばす。赤い実のようなものが混ざった淡いピンク色のアイスが入っている。  すまなかったな、また来るよ。  女は店主に言って、小さな背中を押しながら大通りの脇で止まった。  食えよ。よく掻き混ぜるんだ。 「え…あの、」  ぶん殴って悪かった。それで許してくれ。  女は陰険に口角を吊り上げた。緑色の瞳は夜に投げられ、水の流れる音と、夜だというのにまだ賑やかな街中に流れる音楽を聴いているようだった。キュアッドリーはアイスクリームをスプーンで掬った。強い抵抗があり、スプーンに絡まった。淵は溶けているくせ、半固形を保っている。おそるおそる口に入れると、耳の付け根の辺りが締め付けられるような感じがあった。甘さが広がる。夜に3人に黙って抜け出し、口に入れるには兄や弟そして保護者が足りない。味覚に反した心地に襲われた。  食ったら帰るぞ。喉詰まらせるなよ。  視界が滲んだ。鼻を啜る。甘さが口腔に広がり、潮風は穏やかだった。女は空や入り組んだ街の果てを見つめ銀髪が靡いている。 「レニー、き、きっと…怒って、る…」  そうだな、よく知らんが。  女は素っ気無く返した。下瞼からぼろりと水滴が落ち、ピンク色のアイスクリームが受け止めた。女はただ風の吹くほうを向いていた。 「で、でもでも…働かないと、ぼく…兄と、弟がいて…」  返事も相槌もなく女は男児を視界から外し、彼もまた溶けづらいアイスクリームばかり見ていた。 「カー…バス、祠官学校…高いから……行かせたいんです。き、きっと、我慢してるから…きっと我慢してるんで、す…」  意図しない感情が眼球の裏を通して溢れ出る。甘い後味はまだ残っている。甘酸っぱい中にあった種が舌に絡まる。 「だ、だからぼくが、働かないと…なんで、す…」  女の緑の目が泣き出す男児を冷たく見下ろした。  分かった。  たった一言そう返ってきた。女は小銭を出した反対のポケットに手を突っ込み端末を取り出す。誰かと喋り出し、いくらか鋭い表情が和らぐ。そして小さな手の中のスプーンが止まっていることに気付くと「さっさと食え」と威圧した。キュアッドリーはアイスクリームの存在を思い出す。早く弟を連れて来たいと思い、同時に兄と保護者を連れて来られないことに罪悪感が募った。

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