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第1話
知られてはいけない恋をしている。
「会計課の田中さんと企画課の佐藤さん、デキてるらしいわよ」
「え~どっちも既婚者じゃない」
職員食堂に隣接した自販機のそばで、パートの女性が噂話をしている。
お茶でも買うかと小銭を投入しようとしていた総務課職員、名雪 諄 の手が止まる。
元来受け身の性質で、周囲の大人に言われるまま、進学校と呼ばれる高校、難関と評価される私立大学を卒業した。その後、公務員になりたいという理由だけで、深く考えもせず市立病院の事務職員の採用試験を受け、合格。入社時より総務課に配属され、気が付けば異動もないまま六年の月日が流れ、下っ端だというのに古株扱いされることも少なくない。ただ、男性としてはやや小柄で童顔なことから、勤めて日が浅いように思われている節もある。
総務課と言えば聞こえはいいが、配属先は庶務係。業務内容を一言で表せば「他の課に属さないこと」全て。要は何でも屋である。
何でも屋ということで、若手の割には、業務上社内の内情を知ってしまうこともある。ゴシップボーイなどと渾名をつけたのは誰だったか。本人からすれば、知りたいわけでもないのに、知ってしまうのだから、不名誉この上ない。
そんなゴシップボーイは、この噂話をどう処理するのか。
この内容が投書されたものであれば報告事項になるだろうが、現状では、中年女性が好きな噂話だと笑い飛ばされるのがオチだ。名前の上がった二人とは、どちらとも仕事上の付き合いしかないが、そういうことをする人物には思えない。
では、名雪が手を止めてしまったのは何故か。
火の無いところに煙は立たない。
もしこの話が真実だとしたら、両者の間で、そう勘繰られるような動きがあったのだろう。もしくは、親密な雰囲気が漏れていたのか。本人たちは隠していたつもりだとしても。
「駐車場で手を繋いでいるのを、見たらしいわよ」
「ヤダぁ、見られたらどうしようとか考えないのかしら」
ガコンと音を立て、ペットボトル飲料が落下した。
食堂を後にする間、ヒヤリとした感覚に襲われたのは、手に持ったそれのせいだと思いたかった。花の金曜日だというのに、名雪の心にしこりが残った。
社内恋愛は、珍しいものではない。現に名雪の会社にも、職場結婚をした者はいる。
不倫だとか略奪愛だとか倫理的な問題、或いは公私混同がない場合は、咎められるいわれはないだろう。
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