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第194話 混乱と焦り
僕がうっかりと滑らしてしまった陽一の名を、
先輩は聞き逃していなかった。
「陽ちゃん?」
先輩のその問いに、
“話をそらさなければ!”
その思いだけが頭をグルグルとして、
僕は更に混乱のループへと落ちて行った。
先輩の問いに、
「あ、いえ、何でもないんです。
ちょっとした勘違いでした」
とごまかしたように言ったけど、
先輩は何か考えたようにして、
「その……
子供が……」
と言い始めたので、ビクッとした。
“え? どうしてここで子供の事が……?
僕何か失敗した?
どこかでそれらしきこと言ったかな?
いや、陽ちゃんと言った事以外は絶対何も言って無いはず”
先輩が陽一について何かを思うはずはないのに、
陽ちゃんという名前を先輩が口にしただけで
僕の神経は極限まで緊張していた。
もうここまで来ると、
自分のバカさ加減に自分で呆れてしまう。
人は緊張していると、黙るのと同じように
おしゃべりにもなるみたいだ。
それに早口にも。
「あ、子供ですね。
え? 子供?
あ~ ポールのですね?
ポールの子供について知りたいんですか?
え? ポールの子供? どうしてですか?
先輩って子供好きなのかなぁ~? ハハハ
あ、でもそうですね~
子供は良いですね~
僕も子供は大好きですよ~
それに彼の子供はすごく可愛いですよ~
天使みたいで……
彼もずっと日本人の子供が欲しいって駄々捏ねてたし……
その為に僕と結婚したいって言ってたし……
何のこっちゃですよね~ ハハハ」
思いっきり一人相撲の様に捲し立てて早口でそういうと、
先輩は少し首をひねって、 “?” と言う様な顔をしていたけど、
「やっぱりか?」
とぽつりといった。
「え? え?
?????
何がやっぱりなの~?」
“僕、何か変な事言った??”
僕は先輩が何の事を言ってるのか分からなかったけど、
僕も子供という単語にテンパッテしまって、
先輩のやっぱりかという言葉に突っ込むよりも、
次に先輩の口から出る言葉の方が気になって、
そうれをどうやってごまかそうかそればかりに気を張っていた。
それにペラペラと早口で捲し立てた後、
自分でも焦って何を言ってるのか良くわかってなかった、
というか、あまり自分が言った事を気にしていなかった。
先輩がそれ以上は聞かなかったことを良い事に、
気が動転していた僕はその会話は闇に葬って、
その場はそのままにしておいた。
とにかく、僕は陽一から焦点を外したかった。
まさかこの時の会話が後で大きな誤解を生むとは思いもしないで。
先輩は少し考えた様にした後、
「それでそのポールという人は今は?」
と尋ね始めた。
「ポールですか? 今はフランスにいますよ」
「一緒に来なかったのか?」
「へ? 日本へですか?」
「ああ、お前と一緒に住んでたんだろ?
一緒に来たいと言わなかったのか?
子供だって…… 会いたいだろうし……
それに色々と……」
「いや、彼には彼の生活がありますからね。
日本に住むことも考えたこともあるらしいけど、
取り敢えずは向こうでってなったみたいですよ?」
「じゃあ、後で来るってことも?
子供とも一緒に住みたいだろうし……」
その先輩のセリフに僕の理解と噛み合ってない?
と思いながらも、
“え? ジュリアちゃん?
まあ、リョウさんがジュリアちゃんと
日本へ越してきたらそうだろうけど……
リョウさんのこと話たっけ?”
などと思っていた。
「まあ、考えられないこともないですね。
彼は自分の子供にメロメロだし……
絶対離れないでしょうねぇ~」
先輩は、
「そうだよな……」
と、またぽつりと呟いた。
「へ? なんですか?
さっきから独り言多いですよ?
何か気になることがあったら遠慮せずに聞いてくださいね。
その為の僕たちの歩み寄りなんだから!」
「いや、ちゃんと聞いてるよ?
お前はちゃんと正直に教えてくれてるから
お前の向こうでの暮らしも、
どういう思いで日本へ帰って来たのかも
ちゃんと分かってるぞ?」
「だったら良いんですけど……」
「じゃあさ、その……
お前、向こうで結婚したりとか……?」
「結婚? フランスで?
僕がですか?
してたら日本になんて戻って来てませんよ」
僕は少し不思議に思った。
何故先輩は僕がフランスで結婚したとか思ったんだろう?
別に先輩の様に指輪をしている訳でもないし……
「ポールとかいうお前の親戚のやつとは
結婚しようとか思ったことは?」
その質問にドキッとして僕は黙ったままうつ向いた。
多分それが先輩の質問への返事になったんだろう。
先輩は、
「そうか……」
と一言だけポツリと言った。
僕は恥ずかしさと後悔で先輩の顔が見れなかった。
一瞬だけ、僕は確かに彼の
“結婚しよう、陽ちゃんのパパになりたい”
に流されようとしたことがあった。
彼の事はそれなりに、
家族として愛していたけど、
それは決して彼を男性として愛していたからではない。
あの時はフランスに骨を埋めようと思っていたから、
その選択も悪くないと思った瞬間があった。
でもやっぱり先輩が忘れられなくて、
その選択肢は僕から消え去った。
でも一瞬でもそう思ったことが先輩に対して
後ろめたかった。
余りにも後ろめたかったので僕は黙ったまま
ずっと下を向いていた。
そうしたら先輩が、
「な、ここに来たときに思ったけど、
ここって自然が多いよな?
もし今日どうしても仕事の続きをしなくちゃっていうんだったら
あれだが、そうじゃなかったらちょっと外を歩かないか?
紅葉が結構奇麗だったぞ」
そう提案してきた。
もちろん、今日絶対しなくてはいけないって仕事はない。
でも、一体何を考えて先輩は外を歩こうって言ったんだろう?
暫くうつむいたままで考えていたけど、
今は先輩との時間を大切にしたかったので、
僕は先輩を見て、頷いた。
まだ残暑は残っているものの、外へ出ると、
もうすっかり秋らしくなった景色に、
時間の速さを感じた。
「な、手を繋いでもいいか?」
先輩のその問いにびっくりした。
これって……
手をつないでも良いのかな?
手をつなぐくらいじゃ、別に浮気してるわけじゃ無いよね?
僕は先輩の瞳を見て、
先輩が真剣に言っているのが手に取るように分かったので、
右手を先輩の前に差し出した。
僕の右手を取った先輩の手は大人になっていて、
ゴツゴツとして高校生の時よりも
大きくなっていたような気がした。
そしてとても温かかった。
僕は一つ、新しい先輩を発見した。
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