7 / 201

第7話 続・山田オッサン編【6-1】

 よく晴れた土曜の午前中。  洗濯物を洗濯機に放り込んでいく最中、山田はソレに気づいた。 「──」  佐藤のワイシャツ。襟の先に掠めたような口紅の跡。  布地を嗅いでみると、仄かに芳しい香りが鼻腔の粘膜を優しく撫でた。  山田は柔軟剤のボトルを出して嗅いでみた。違う匂いだ。  シャツを広げてみる。左の袖の肩のあたりに、ギュッと握った跡のような皺ができていた。  山田は昨日の同居人のタイムスケジュールを、知ってる限り記憶に呼び出してみた。  朝は例によって先に出ていった。  山田が出社したときには既に出かけていたらしく、佐藤と会社で会ったのは夕方の喫煙ルームだった。そのときシャツにこんなモノはついてなかった。  夜は取引先との飲みがあるとか言うから、山田はたまに顔を出す個人店の居酒屋でメシを食った。カウンターでたまたま隣り合わせた知らないリーマンと盛り上がり、気がついたら2軒目で2人で飲んでて──そういや、あれはどこの店だったっけな? まったく思い出せないけどまぁいいとする──次に気づいたときにはいつの間にかもう帰って来てて、しかもベッドの上で同居人と繋がってた。  そのときの見下ろしてくる目がやけに荒々しかったのを思い出し、山田はひとつ身震いした。  しかし残ってるのは、ほんのちょっとの記憶だけだ。頭がイカレそうなほど攻撃的なセックスの真っ最中で、そのあとの記憶はもうない。  で、次に目が覚めたらすっかり陽は高く、全裸で同居人のベッドに寝ていて、部屋の主の姿は既になく、寝汗が気持ち悪かったからシャワーを浴びてから洗濯しようとしたところで、良からぬモノを発見したというワケだ。  山田的にはわからないことだらけだった。  あの夜中のサカり具合は何だったんだろう?  てかアイツ、いつ帰ってきたんだ?  オレ、いつ帰ったんだっけ?  てか、どっから帰ってきたっけ?  で、アイツどこ行ってんだろう?  で──コレは何だろう?  目の前のワイシャツを眺め、それを脇に退けて他のものを洗濯機に詰め込み、回しはじめる。  とりあえずハラが減ったから時計を見たら昼が近い。山田はワイシャツを持ってダイニングに行き、ソイツをソファの背に引っかけてキッチンでラーメンを作った。  しかし途中で冷蔵庫を開け、具材が何もないことに気づく。玉子すらない。  あぁクソ──すっかりモチベーションが落ちた状態で、麺とスープだけのラーメンを鍋ごとダイニングに運ぶ。  テレビを点け、鍋から直接麺を啜り、1分で食い終わってスープまで飲み干し、煙草を咥える。何だか食った気がしなかったが仕方ない。  週末のくだらなくてクソ面白くもない番組を眺めながら煙を吐くうちに、じわじわと眠気が込み上げてきた。  そもそも昨夜の飲みすぎで鳩尾のあたりがどんよりしてて、頭の芯がフワフワしてる。それでいてどこか一部が変に覚醒してる感じで、でも目蓋が重くなってくる。  そのままソファでウトウトして、いつの間にか眠っていたようだ。 「ひぁっ」  自分の声でハッと目覚めると、目の前に同居人のツラがあった。 「は……え? いま何が起こったんだ?」 「別に、お前のタマを揉んだだけだ」  事もなげに言った咥え煙草の佐藤が、スーパーのポリ袋を無造作にテーブルに置いた。 「やめろよな、そーいうのっ」 「てかお前、ラーメン食ったのかよ? 具ナシで?」 「は? だってハラ減ったんだもん」  山田が言うと、佐藤が紫煙の向こうの目を眇めた。 「あのな山田。お前が味玉とチャーシューとモヤシとネギとメンマを載っけたラーメン食いてぇっつーから、俺はいまクソ暑いなか具材を買ってきたとこなんだけど」 「え? オレ言ってねぇよ?」 「──」 「え? いつ?」 「さっき」  溜息交じりの佐藤の声を聞きながら、ノロノロと身体を起こす。 「俺、そんとき起きてた?」 「寝ボケてたけどな」 「マジ? 悪ィな。全っ然、憶えてねぇ」 「みてぇだな。ところで、なんでこんなモンがここにあんだ?」  佐藤がソファの背にかかったワイシャツを顎で示した。  おかげでその存在を思い出し、山田はソイツを引き寄せて広げてみせた。 「そうそう、コレコレ、何コレ?」  襟先に掃かれたコーラルピンクを掲げて同居人のツラを窺う。が、佐藤は眉ひとつ動かさずにそれを眺め、次いで山田に目を寄越した。 「ソレも憶えてねぇのか」 「え? いや、え? 俺がつけたのコレ?」 「ンなワケねぇだろうが。ゆうべもお前、これは何だって騒いだじゃねぇか」 「も、って騒いでねぇし今オレ」 「騒いだんだよ、夜中は」 「──」 「何ひとつ憶えてねぇツラだな」 「説明してください、お願いします」  山田は早口で言ったが、佐藤がソファの袖に浅く腰掛けて口を開くと同時に、待った! と止めた。 「やっぱ怖ェからいい」 「何が怖ェんだよ?」 「だって記憶ねぇの怖ェし」 「俺が取引先と飲んでたらよ」 「わー!」 「お前がちっとも日本語になってねぇLINE寄越しやがって」 「あーーー、あーーー」 「聞けよ。そんで電話したら、知らねぇ野郎んちで2人で飲んでるっつーじゃねぇか」 「あーー……え? 知らねぇ野郎んち?」  2軒目はどっかの店じゃなく、ヒトんちだったらしい?

ともだちにシェアしよう!