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第194話 続・山田オッサン編【88-2】#
「弟の僕が言うのもなんですが、姉は非常に出来のいい魅力的な女性です」
「は? まぁそりゃ俺もそう思うけど、なんでいきなりネーチャン自慢……てかアンタ、ちょっと近ェよ」
「身内の欲目を差し引いても、姉以上に義兄に釣り合う妻はいないと思ってます。たとえ、シスコンだと思われようとも」
「シスコンだって思わねぇかっつったら嘘になるけど、まぁでもいいんじゃねぇ? 姉貴も出来たイイ女で超ハイスペなダンナと釣り合ってて夫婦仲もいいし、文句なしのいいことずくめじゃねぇか」
「だから、どうか姉を恨まないでやってください」
「ミジンコほども恨んだことねぇから安心してくんねぇかな。それより、もうちょっと離れて……」
言いかけた山田は、不意に両手で包み込まれた己の手を数秒無言で眺めた。
──なんだ、この展開?
「可哀想に……」
「は?」
「くだらない門閥制度の煽りを喰らって恋人と引き裂かれて、愛してもいない浮気相手とヤケクソで偽りの事実婚だなんて、こんな痛ましいことが現代社会で起こっていいんですか」
「くだらない門閥制度ってとこは否定しねぇけど、そこ以外はむしろ異議しかねぇし、これ以上ウチのオットをどうこう言ったらマジでキレるぜ俺? てかアンタの用事、そんな話じゃなかったはずだよな?」
聞いてんだかどうなんだか、元後輩の義弟の眼差しが不意に憂いを帯びる。
「この身体で、どんな風に義兄に抱かれてるんですか……?」
「ちょ、急に生々しいこと訊くのやめてくんねぇか」
「失礼しました、ちょっといろいろ想像してしまって──」
「想像すんな」
「山田さん。僕は、義兄を想う山田さんの気持ちは決して否定しません。ですがどうか、義兄は姉に託して欲しいんです」
「わかってる、アイツはアンタの姉チャンに任せるから安心してくれ、頼むから」
「高崎家も、長兄が継ぐので安泰です」
「は?」
だから何なのかわかんねぇけど良かったな?
が。
そうコメントするより早く、元後輩と同じくらい仕立てのいいスーツに身を包んだ高崎某は静かに、しかしカネ持ち特有の自信漲る口ぶりで、山田の頬に指を滑らせながらキッパリこう宣言した。
「義兄の代わりに、僕が幸せにします」
「いやだからそんな話じゃなかったはずだよな、アンタの用事?」
山田のスマホに着電したのは、帰社するなり喫煙ルームに直行する途中だった。
画面の名前を見て素早く辺りを目で一巡した山田は、溜め息を吐いて通話をオンにした。
「何だよ?」
「山田さん、アサヒの弟と何かありました?」
最近ご無沙汰していた声は挨拶もなくそう言った。
「はぁ? 何かって?」
「ついさっき、普段は冷静沈着な義弟がひどく狼狽えた様子で電話してきましてね。山田一太郎っていうのは何者なんだって言うわけですよ」
「ふーん?」
「他人事みたいな相槌打ってもダメです。山田さんと彼の間にどんな接点があるっていうんですか? 何があったんです?」
いつになく硬い口ぶりで畳みかける元後輩は、身内がこぞって自分たち夫婦それぞれの愛人──いや山田は違うけどヤツらはそう思ってる──に探りを入れてるとは気づいてないらしい。
「本人に訊かなかったのかよ?」
「訊きましたけど珍しく要領を得なくて埒が明かないし、しまいには人智の及ばない何かがどうのって言い出したかと思ったら、何故か突然お義兄さんすみませんって繰り返して切っちゃったんですよ、彼」
「あ、そう……」
「一体、何事なんですか」
「いや別に、なんつーか仕事の行き違いみてぇな? あーえっとだから世の中にはさぁ、空の上で胡座掻いてるサンオツの指先ひとつで思いも寄らねぇ動きをさせられちまうっつーか、人智の及ばねぇ何かに翻弄されちまった感満載な出来事とか多々あるわけじゃん? まぁ俺らみてェな吹けば飛ぶよな一般庶民は、地べたに這い蹲ってあくせく生きてりゃソイツに出くわす局面もちょいちょいあるけどな? その点お前らみてェなカネ持ちはテメェらの指先で世の中動いてるって常日頃信じ込んでるモンだからよ、ちょっと想定外の事態に陥ると目に見えねぇチカラがどうとかって超自然現象にフラついちまうのは悪いクセだぜ、これだから無菌培養された生粋のお坊ちゃまは──」
手の中からスマホが消えた。
ハッとして首を捻ると、斜め上で掲げた端末を同居人の指がオフにするところだった。
ソイツを山田に戻すことなく己のポケットに突っ込んで佐藤は言った。
「山田お前、妙なとこから呼び出し喰らって単身乗り込んだらしいな?」
「え? 何の話……」
言いかけた山田を目線ひとつで黙らせた同居人は、いやにゆっくりした手付きで肩を抱き寄せて顔を近づけ、こめかみに触れんばかりの至近距離で低く囁いた。
「今度はどこのどいつに人智の及ばねぇ魔法をかけてきやがったのか、冒険譚をじっくり聞かせてもらおうじゃねぇか──?」
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