2 / 93
0.prologue(2)
「小泉さん? そう言うセリフは人を選ぶわよ」
薫は口元に品のある笑みを湛えたまま、優駿を見詰めた。優駿はぱち、と瞬き、薫に向けて小さく首を傾げる。
「人を選ぶ?」
「ええ。好む人と、好まない人がいるってこと。そりゃ、好む人は喜ぶとは思うわよ。でも、好まない人はきっととことん嫌がるわね」
宰はファイルから少しだけ目を上げて、二人の様子を垣間見た。
「嫌がる……とことん……?」
呟いた優駿は瞬きも忘れているようだった。対して薫の方は相変わらず悠然としている。
「ちなみに言うと、私は後者よ」
「そ……そうなんですか」
束の間の微妙な空気に、宰は何だか嫌な予感を覚えた。
案の定、唐突に優駿は宰に向き直る。
「美鳥さんは? 美鳥さんはどっちですか?」
不意を突かれた形になり、宰は目を逸らす機会を逸した。
優駿の眼差しはきわめて一途だった。必死さが滲み出ているとでも言うのだろうか。がっちりと絡んでしまった視線はそう簡単には振り解けない。
(その瞳が苦手なんだよ)
純粋無垢とでも言えばいいのか、そこに湛えられた強すぎる光彩が宰には眩しい。
辛うじて瞳を眇めた宰は、努めて深い溜息をついた。そうして継いだ声は、必要以上に素気無いものにした。
「私も後者ですよ」
エスカレーターを降りていく短髪の頭を、宰は律儀に見送ったりはしなかった。ただ、位置的に視界の端に入るその姿を、見るともなしに意識していただけ。
優駿は柄にもなくすっかりしょげ返っていたようだったが、それでも懲りずに何度も宰を振り返っていた。
そうして完全に優駿の姿が見えなくなってから、宰は改めて息をついた。
――何だか少し後味が悪い。
思うものの、ともかくこれで一息つけるのも確かだと、気を取り直して手の中のファイルへと目を戻す。
「あれ、今日は早いね。もう帰ったの、小泉君」
なのにそこでまた新たな邪魔が入る。今度の声は、まるで隙を突くように背後に近い位置から降ってきた。宰は思わず片手で顔を覆う。
「あら柏尾チーフ、お疲れ様です」
「ああ、うん。お疲れ様」
そんな宰の反応を余所に、薫が愛想の良い笑みを浮かべて目礼をする。柏尾チーフと呼ばれた男は、普段と同じ緩い雰囲気で、片眉と口端だけを僅かに引き上げた。
「……チーフ」
声になるかならないかの音量で呟き、一拍置いてから宰も振り返る。宰よりも十センチ近く長身である柏尾の顔を、胡乱げに見上げた。仄かに煙草の香りが鼻先を掠める。
(禁煙してるんじゃなかったのかよ)
思ったが、それは敢えて口には出さず、
「何か急用ですか」
短く問いかけると、手の中のファイルを一旦閉じた。
そもそも、チーフとは言え柏尾のメイン担当部署はパソコン関係だ。位置的にも宰や薫のいる携帯コーナーからはそれなりに離れているし、いつも忙しくしている柏尾にとって、それぞれの売り場に直接出向くことはそう多くない。
それでもこうしてふらりと姿を見せるのは、恐らく諸々の抜き打ちチェック――の為なのだろうが、その実、性質の悪い悪戯をして面白がっているだけではないかと宰は思っている。
「いや、なんか急に静かになったから気になってね」
現に今だって柏尾は取ってつけたような笑みを消さない。
「ああ、二人してちょっと苛めちゃいましたから。ね、美鳥君?」
「苛めちゃったって……」
名を呼ばれ、宰は柏尾から薫へと視線を移す。だがそれもすぐに瞬きに乗じて逸らすように伏せた。次いで淡々と答える。
「別に、俺は本音を言ったまでですよ」
「美鳥はいつもクールだねぇ」
柏尾が揶揄めかして僅かに肩を竦める。
「まぁもともと美鳥君、年下嫌いだって言ってましたしね」
薫も同感だとばかりに苦笑した。
そんな二人の態度に、宰は「もういい」とばかりに嘆息する。そして強引にでも話を終わらせるための言葉を探す。
「……どっちにしても、今日は珍しくへこんでいたようですから、さすがに明日は来ないでしょう。その方が店にとっても――」
しかし、それも半ばで阻まれる。柏尾と薫が、声を揃えてかぶせたのだ。
「それはないでしょ」
ともだちにシェアしよう!