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7.好きなら回れ右をしろ(10)

     *  *  *    機種変更の手続きに要する三十分ほどの時間を、当然のように優駿はそのまま待ちますと言った。しかし宰はそれを良しとせず、追い出すようにして携帯エリアから遠ざけた。  その後戻ってきた優駿の応対をしたのは薫だった。優駿が不在の間に、団体契約の申し込みが入り、宰はそちらの処理に追われていたからだ。  そんな見るからに忙しない状況に気が引けたのか、薫が差し出した紙袋を受け取った優駿は「お世話になりました」とだけ残して大人しく帰っていった。  宰が顔を上げたのは、その背が随分小さくなってからだった。宰は辛うじてその手にある紙袋を目に留めると、後は黙って仕事に戻った。 (……早すぎた)  二十三時まではあと十分。宰はとあるコンビニの駐車場で車のエンジンを切った。予定より早く着いてしまったと、取り出した携帯で時刻を再確認しながら溜息をつく。ついでに受信していたメールを一通開き、内容を確かめた。 『了解。まぁまた気が向いたら付き合えよ』  そぐわない泣きマークの絵文字が最後に添えられている。送信者は柏尾だった。  宰は携帯の画面をオフにして、再度溜息をついた。そして一旦外に出ようと顔を上げた瞬間、ギクリと身を固くした。 「……こ、こい…っ」  冗談でなく心臓が止まるかと思った。  いつの間に現れたのか、窓の外には優駿が立っていた。優駿は運転席の窓から車内を覗き込み、宰が自分に気付いたと知るや、ぱぁっと笑顔を明るくさせた。 「美鳥さん! 俺です、小泉です!」  宰がそのまま固まっていると、優駿は突然名を呼んだ。 「わかった、わかったからそんな大声で名前を呼ぶなっ」  嫌でも我に返る羽目になり、慌てて窓を開ける。 「……まだ時間には早いだろ」 「三時間前から来てました!」 (あほか、その時間店はまだ営業中だ)  やはり無謀だったかもしれない――実に早まった気がすると眩暈を感じながらも、とにかくこの場を離れるのが先かと宰は目線で乗車を促す。  意図を察した優駿が助手席に乗り込み、シートベルトをしたのを確認すると、「とりあえず出すぞ」と性急にエンジンをかけた。 「……あの、俺、本当に嬉しかったです」  コンビニを後にしたシルバーの軽自動車は、夜の大通りをのんびり走る。行き先ははっきり決めていなかったが、宰には行きたい場所がひとつあった。 「よく気付いたな。別に気付かないなら気付かないで構わなかったのに」 「そんなの気付きますよっ。俺、美鳥さんの筆跡覚えてますし」 (筆跡って……ストーカーか……)  信号にかかり、ブレーキを踏んだ宰は脱力して息を吐く。  機種変更に伴い、薫が優駿に渡した紙袋には、必要書類などの他に一枚の紙切れが入っていた。それこそ、いつどこで紛れてわからなくなるかと言うような小さな紙切れだ。  その紙面にはこう書いてあった。 『今夜二十三時 裏通りのコンビニ』  極めて簡素な走り書きだった。名前もない。けれども、宰にとってはそれが精一杯だった。  一種の賭けのようなものだった。気付いたら気付いた時に考える。気付かれなければそれでいい。場所が分からなければそれもそれだと、本心からそう思っていた。  今でも年下に苦手意識はある。きっかけの件だけでなく、それまで年下と付き合って上手く行った試しがないことも確かだった。反面、年下に惹かれることが多いことも自覚していて――現に優駿にも心を動かされ、終には自分から勝負に出てしまった。  色々と不安要素は多く、ともすれば不安要素しかないような気もする。それでも、今夜優駿が待ち合わせに来たなら、少しは素直になれるかもしれない――なってみようと思った。そのために、取り付けたばかりの柏尾の約束もキャンセルしたのだ。  そして優駿は現れた。宰の心とは裏腹に、当たり前みたいな顔をして。

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