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番外編3『ある春の日のこと。』(12)

「……お前って、そんな面倒くさい性格だったっけ」  僅かな間の後、宰はぼやくように言って、優駿の頬にそっと触れた。 (こいつ泣かしたの、何度目だろ……)  思いながら、涙の痕を指の腹で優しく拭いてやる。拭いた先から新たな雫が落ちてきたが、その都度根気良く拭ってやった。  首の後ろに腕を回し、ぽんぽんと後頭部を撫でつける。なおもはらはらと涙をこぼす優駿に、宰はさらに顔を寄せ、 「分かったよ。分かったから、もう泣くな」  今度はそれを唇で拭いながら、苦笑混じりに囁いた。 (……まぁ、しばらく猶予はあるんだし……そんな焦らなくてもいいか)  きっといますぐ答えを出せと言っても、優駿の答えは変わらないのだろう。自分だってそう簡単に考えを変えるつもりはないのだから、お互い様と言えばお互い様だ。  宰が言いたかったのは、結局優駿も自分と同じように、色々と覚悟しておくべきだと言うことだった。しかし、いままで普通の恋愛しかしてこなかったと言う優駿に――もともとの性格もあるがしれないが――それを理解させるのは簡単なことではないらしい。  優駿に必ず俺を選べとか、別れるくらいなら家を捨てろとか、そんなことは間違っても望んでいない。それでも宰だって、できるだけ優駿の――好きな人の傍にいたいと思う気持ちは同じだった。 (なるようになる、か……)  その瞬間、頭を過ぎったのは、先日のバーで柏尾も言った、「一年後のことなんて誰にも分からない」という至極当たり前の言葉。  それに縋るつもりはないけれど――。  だけどどうせ何も変わらないなら、ここはもう、そうして時の流れに身を任せてみるのも悪くないのかも知れない。 (問題を先延ばしにするだけのような気もしないでもないけど……)  宰は優駿の肩に、顔を隠すようにして頭を乗せる。 (ていうか、もしかして俺が重いのか……?)   優駿と付き合う前は、あんなにも刹那的な生活を送っていたくせに?  思い返すと、自嘲めいた笑みが勝手に浮かぶ。 「まぁ……もう、いっか」  宰は瞑目し、不意にぽつりと呟いた。  あえて声に出してみたら、途端にどこか吹っ切れたような感じがして、思わず肩を揺らして笑ってしまった。  *  *  * 「だめですよっ、お酒飲んだ後すぐお風呂なんて……!」  言われても聞く耳を持たず、宰は勝手に脱衣所に入り込み、早速浴衣の帯を解こうとしている。その肌は薄っすら上気して、眼差しも熱っぽく潤んでいた。 「こ、ここのお風呂は二十四時間いつでも入れるんだし、もう少し休んでからの方が――」 「うるせぇな。飲んだ飲んだって言われるほど飲んでねぇよ」 「飲んでますよ!」  一頻り泣いた優駿が落ち着くと、今度は宰が駄々をこねるように酒が飲みたいと言い出した。  結果はともかく、途中何だか負けたような気になったことを思い出した宰は、その憂さ晴らしのための酒を要求したのだ。  そうして数時間の内に宰が飲んだ量は、今まで優駿の前で飲んだことのある量を軽く超えていた。  外での酒を控えるようになってからも、優駿の前では普通に飲んでいたつもりの宰だ。けれども、さすがに過日のような酒癖の悪さが露呈するほど飲んだことはなかった。やはりどこかで幻滅されるのを恐れていたのかも知れない。  しかし、今夜はどうも様子が違う。  いつもの酔い方からすると明らかに奔放で、無防備で、目付きは完全に誘うようだし、とにかく危うい印象が拭えなくなっている。 「だいたい、お前があんな揺さぶるから酔いが回ったんだろ。最初はビール一杯しか飲んでなかったのに」 「そ、れは確かにそうかもしれませんけどっ……でも、問題はその後ですよ。自分がどれだけ飲んだか、分かってます? 美鳥さん、結局俺より飲んでるんですよ?」 「あーもう、ほんとごちゃごちゃうるせぇな」  部屋に用意されたのは、今まで口にしたこともないような高級な地酒とワインだった。口当たりが良いためか、確かに最近にしてはよく飲んだ方だとは思う。それでも、昔の宰からすればまだまだ飲み足りない量でもあった。  とは言え、宰はもう十分に酔っていた。

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