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短編2『柏尾の独白』(3)
* * *
「宰さーん!」
今日も今日とて繰り返される。
店に響く元気な声と、それを諌める不機嫌な声。
「宰さんじゃねぇよ。お前今日は学校行く日だろ!」
「それがですね……ふふ、なんと臨時休講ですっ」
「したり顔で言ってんじゃねぇよ」
俺はそんな彼らのいる場所へと、いつも通りに歩いて行く。
「相変わらず賑やかだなぁ。いらっしゃい、小泉君。今日も元気だね」
「あ、はい! お邪魔してます!」
「声がでかい」
冷静に突っ込みながら、美鳥がコイくんの後頭部をファイルではたく。
そんな風にされても、コイくんは痛がるでも嫌がるでもなく、むしろ嬉しそうに顔を綻ばせている。
(何て言うか……若いっていいね)
自分にもこんな頃があっただろうかと、思わず心の中で苦笑する。
そこに接客で席を外していた薫さんが戻ってきた。
「あら、チーフ。何かご用ですか?」
「ああ、これ朝礼で言ってた書類。さっき揃ったから」
「キャンペーンの詳細も?」
薫さんとの会話が聞こえたのか、美鳥もそこに入ってくる。
「それはこっち。こっちはお前の企画だからね。頑張ってよ」
「はい。努力はしてみます」
書類を渡し、念を押すようにぽんと肩を叩く。
そんなやりとりを、少し離れたところからコイくんがじっと見ているのが分かった。
「? なんだよ」
その視線に美鳥も気付いたらしい。
胡乱げに目を細めると、美鳥は直接コイくんに尋ねた。
「言いたいことがあるなら言えよ」
「あ、いえ……宰さん、今日も綺麗だなと思って」
「は?」
美鳥だけじゃない。これにはさすがに薫さんも、そして俺も固まった。
「ね、チーフさんもそう思いますよね。薫さんもそう思いませんか?」
「あー……まぁ、そうね」
俺と薫さんの、明らかにその場しのぎの返答が重なる。
美鳥が半眼で首を振った。
「いや、二人も無理に話合わせなくていいですから」
「え、違いますよ! みんな本当に綺麗だと思ってますから!」
「いいからお前はちょっと黙ってろ! ていうかもう帰れ!」
持っていた書類を天板に叩きつけるようにして、美鳥はコイくんに向かってエスカレーターの方を指さした。
「えぇっ、か、帰れって! まだ来たばっかりなのに!」
コイくんは泣きそうな顔で「嫌です」と必死に首を振る。何度「帰れ」と言われても、それだけは譲らないと終にはカウンター端の指定席にしがみついた。
「なんだかんだ言って、あの二人合ってるわよね」
「まぁ、最初からそんな感じではあったよね」
他に客がいないのをいいことに、未だにやりあいを続ける二人を放置して、薫さんと笑い合う。
「でも……そう思ってる割には、よくつっついてたわよねぇ」
「え。心外」
「なにが心外よ」
さらりと流したつもりの俺の顔を見て、薫さんはにっこり微笑んだ。
「失恋の傷を癒したいなら、付き合いますよ。私、今夜は空いてるし」
「え、なんでそう言う話になんの」
「お酒を奢ってもらう口実がほしいからよ。――ってことにしておいてあげます」
年が近いこともあり、今までも薫さんと二人で飲みに行ったことはあった。
けれども、美鳥と違って飲みの後に何かが待っていたことはない。せいぜいタクシーで家まで送り届けてあげたくらいだ。
「まぁ、飲みに行くのはOKだけど……。でもほら、オレほんとめんどくさがりだし、恋愛には向いてないって自覚してるから」
美鳥とコイくんの方を眺めながら、苦笑気味にこぼすと、薫さんも同じ方向を見ながら、独り言のように言った。
「恋愛なんて、向き不向きで始めるもんじゃないじゃない。て言うか、そもそもあなたの場合は認めたくないだけなのよ。要するにそれは言い訳です」
「ねえさん……」
「一つしか年変わらないのにねえさんなんて呼ばないで欲しいわ」
美鳥よろしく冷静に返され、俺は思わず肩を揺らして笑った。
薫さんは確かに色々と鋭い。
だけど今回の――美鳥のことだけは、残念ながら認めることはできない。
だって俺は彼に、別に気があったわけじゃない。ただちょっと気になっただけなのだ。
――と、思う方が何かと楽だしな。
END
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