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【8】
あの日から毎日欠かさず送られてきていた大雅からのメールがピタリと止まった。警備主任である北原は、たとえ悠太郎が口止めしたとしても警備管轄内で起きた事案は雇い主である大雅に報告する義務がある。それを責めることは出来ないが、いくら利用者がいなかったとはいえ、いつ社員が現れるとも分からない地下駐車場での猥褻な行為。大人として――いや警備員としての配慮に欠け、小坂の言いなりになって醜態を晒した悠太郎。
そして、上司である北原との関係も少しギクシャクしたものへと変わった。
北原は、まるで腫れ物にでも触れるかのように言葉を選んでいるのが分かる。
大人しく真面目そうな顔をしていながら、裏では仕事中に男を誘う淫乱ビッチ――そう捉えられても文句は言えない。なぜなら悠太郎自身がそう嘘をついたのだから。
幸い目撃者もなく、大雅の配慮からか社内にその話が拡がることはなかったが、悠太郎自身が犯してしまった罪の重さに苦しむ日々が続いた。
小坂からのメールは昼夜問わず続いたが、精神的に参っているせいか、はたまた感覚がおかしくなってしまったのか、以前のような嫌悪感を感じることはなくなった。ただ送られてくる文面に目を通し、何の感情を持つことなくメールアプリを閉じるという繰り返しだった。
社内でも顔を合わせることがなかった大雅から突然呼び出しがかかったのは、悠太郎の勤務が間もなく終わろうとする午後八時前の事だった。
警備所内で業務日報を記入していた時、デスクの上で内線を知らせる電話が鳴り響いた。
ちらりと北原のほうに視線を向けてから受話器に手を伸ばすと、まだ業務中という緊張感からか少し硬質な声で応えた。
「はい。警備所、橋立です」
一瞬の沈黙の後で悠太郎の鼓膜を震わせたのは、これまた硬質な低い声。
『――この前の件で話がしたい。これから社長室に来てもらえるか?』
抑揚なく、事務的に淡々とそう告げた大雅の声に心臓が大きく跳ねる。
いつ聞いても好きな声には変わらない。ただ――その言葉には大雅の気持ちが見えなかった。
いずれ訪れるであろうと覚悟していた雇い主、大雅からの事情聴取。
こんな形で社長室に出向き、思い出したくもないあの日のことを話さなければならないのか。しかも、相手はずっと片想いをしてきた幼馴染だ。
悠太郎は小さく吐息して、しばらく黙り込んだ。
『橋立くん……』
まるで他人行儀なその呼び方に、悠太郎はすべてが終わったのだと悟った。
「――これからお伺いします」
たった一言、そう告げた悠太郎は静かに受話器を置いた。
電話中、心配そうな目でじっと悠太郎を見つめていた北原の視線には気づいていたが、悠太郎はあえて彼の方を見ることなく立ち上がって言った。
「北原さん、先に帰って下さい。もうすぐ夜間勤務との交代ですし」
「悠ちゃん……。久保園社長から……呼び出されたの? 私が一緒に行って状況説明した方がイイ?」
「いいえ、結構です。北原さんはもう報告書をあげてあるわけですし、社長は当事者である俺から話を聞きたいんでしょう……。取調室に召喚される容疑者……ってとこですかね」
自虐ネタに自嘲した悠太郎だったが、北原にはまったくウケていない。それどころか、椅子から立ち上がり悠太郎の傍まで来ると、大きな体を屈めて声を震わせた。
「悠ちゃん……。社長にはちゃんと真実を話して! 私……あなたが言ったこと信じてないから」
北原の真剣な眼差しから逃げるように背を向けた悠太郎は、溢れそうになる涙をぐっとこらえた。
上司と部下という枠を超えた信頼関係を築いてしまった北原には嘘は通じなかったようだ。
「ありがとう……北原さん」
悠太郎のクビは大雅の考え一つで決まる。いくら幼馴染であっても、社長自身の手で社名に泥を塗るわけにはいかない。
それに、悠太郎はUプロテクトの社員ではない。委託契約で警備業務を請け負っているだけにすぎない。
切るのは簡単だ。他の優秀な警備会社を使えばいいだけのこと。
ただ、悠太郎が幼い頃から抱いていた決心が揺らぐことになる。
大雅を守りたい。大雅の会社を守りたい。そのために警備員としてここにいるのではないか。
警備所から出てエレベーターに乗り込むと、悠太郎は鏡面パネルに映った自身の情けない顔を見つめた。
(こんな顔で会いたくない……)
ごしごしと目元を拭った悠太郎。パネルに映っていたのは幼い頃にいじめられた時の顔だった。
何度も泣かされて、両親に気付かれないようにと目元を何度も擦りながら帰宅した日々。
そういう日は決まって、大雅が家の前で待っていてくれた。
「誰にいじめられた? お前を泣かしたのは誰だ?」
こげ茶色の瞳を細め、悠太郎の肩を抱き寄せながら怒りに声を震わせていた彼……。
いじめた奴らに憤りを感じ、そして悠太郎を守れなかった自分を責めていた。
彼の胸に顔を埋め肩を震わせた日が思い出され、悠太郎は小さくため息をついた。
同時に小気味よいチャイムの音が響き、社長室がある十二階に到着したことを告げる。
(もう子供じゃないんだ……俺たち)
諦めと絶望を同時に味わい、過去の思い出を払拭するようにフロアに降り立った悠太郎は、被っていた帽子をとって小脇に挟むと、重い足取りで社長室へと向かった。
シンプルでありながらセンスが光る人造大理石のカウンターの奥に座っていた秘書が悠太郎の姿に気付くと、すっと音もなく立ち上がり深々と頭を下げた。
スーツが似合う長身の青年――滝野 真一 は大雅よりも年上だと聞く。
「――社長がお待ちです。こちらへ」
「はい……。失礼します」
一介の警備員がこれほど恭しく迎えらることがあるだろうか。しかも、これから大雅と話すのは人様には決して口に出来ないようなことだ。
「社長、橋立さまがいらっしゃいました」
重厚な木製のドアをノックしてそう告げた滝野に応えるように、部屋の中からくぐもった声が聞こえてくる。それを合図にハンドルレバーを下ろしながらドアを開ける。
悠太郎の目の前に広がったのは、落ち着いたインテリアで統一された広い執務室だった。足元に敷かれた絨毯は毛足が長く、一目で高級品だと分かる。
部屋には無駄なものがなく、一面ガラス張りの窓を背負うようにウォールナット製の大きなエグゼクティブデスクが鎮座していた。窓にはリモコンで開閉もスラットの角度も変えられる電動式のブラインドが備え付けられている。今はすべて下ろされているが、これを開ければ眼下にはネオンが瞬くオフィス街の夜景が見下ろせるはずだ。
「――電話は一切取り次ぐな。あと……誰もこの部屋に近づけるな」
デスクの向こう側でデスクと揃いの豪奢な革張りの椅子に腰かけ、こちらに背を向けたまま滝野に鋭い声で指示を出した大雅に悠太郎は息を呑んだ。
悠太郎の知らない経営者の顔――。
絶対的な力と畏怖を纏った大企業のトップの姿がそこにあった。
「――かしこまりました」
深く一礼してドアを閉めた滝野に助けを求めるかのように振り返った悠太郎だったが、ギシッと椅子が軋んだ音に弾かれるように背筋を伸ばした。
ダークブルーのスリーピースにエンジ色のネクタイ。ワイシャツは薄いブルー地にピンストライプがアクセントになっている。それをなんのてらいもなく完璧に着こなした大雅がゆっくりとこちらを振り返った。
そして、迷うことなく大股で悠太郎のすぐ脇まで歩み寄ると部屋の鍵をロックした。
「あの……」
彼と二人きりでいて、これほどの緊張感を味わったことがあっただろうか。
悠太郎はゴクリと唾を呑み込んで、すぐ隣にいる大雅に向かい腰を九〇度に折り曲げて頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!」
躊躇したら震えてしまいそうになる喉から声を張り上げる。これが今の悠太郎にとって精一杯の謝罪だった。
大雅はそんな悠太郎を一瞥し、体の向きを変えるとデスクに向かった。そして、そこに置かれていたノートパソコンを片手で持ち上げると、悠太郎に画面を見せるかのように置き直し、自身は机の端に浅く腰掛けた。
慣れた手つきでキーボートとマウスを操作し、液晶画面に映像を映し出す。
そこには黒いパーカーのフードを目深に被った小坂の姿が映し出されていた。
「これは……」
目を大きく見開き、息を呑んだまま悠太郎は動くことが出来なかった。
上部から撮影されたように見える映像の右下部分には日付と時間が明確に表示されている。
「――地下駐車場A通路エレベーターホールに設置された防犯カメラの映像だ。そこにカメラがあることは警備員である橋立くんなら把握していたことだろう?」
そう問われ、悠太郎は視線を泳がせた。正直、防犯カメラの存在などまったく気づかずにいたからだ。
社内の随所にカメラが設置されていることはもちろん知っている。地下駐車場――しかもセミナーなどで部外者の出入りするエレベーターホールにカメラがないわけがない。
大雅は不審な動きをする小坂の映像を一時停止し、長い指をクイッと折り曲げて悠太郎を招いた。
膝がガクガクと震え、まるで自分のモノではないように足の感覚が鈍る。
それを恐る恐る踏み出し、一歩……また一歩とデスクの方へと進んでいく。
長い脚を掛け直し、優雅にデスクに腰かけていた大雅だったが、悠太郎が近づいた瞬間伏せていた視線をグッと上げて睨みつけるかのように見据えた。
「――橋立くん。この男を知ってるよね?」
「はい……」
大雅の迫力に気圧されるように小声で応えた悠太郎は、薄い唇をギュッと噛みしめたまま黙り込んだ。
「――小坂 洋平 。三十四歳、独身。今は住所不定無職だが、もとはUプロテクトのシステムエンジニアだった男……」
「えっ?」
「社内の機密データの持ち出しと、ストーカー行為で三年前にクビにした」
口では淡々と語る大雅だったが、その表情は思い出すだけでも忌々しいと言いたげに顔を歪めている。
「ストーカー行為……」
大雅は手にしたマウスをクリックしながら抑揚のない低い声で言った。
「――あの男に何をされた?」
少し怒気を孕んだその声に悠太郎の肩がビクリと震えた。これまでのことをすべて話すべきか、それとも大雅に迷惑をかけないように自身で処理するべきか……。分かってはいたことだったが、いざ直球で問われると頭の整理が上手く出来ない。
唇を噛み、眉を顰めたまま視線を彷徨わせていた悠太郎だったが、突然部屋に響いた大雅の笑い声に驚き、顔を上げた。
目は笑っていない。唇を片方だけ釣り上げて皮肉気に声だけを出して笑う大雅の姿に背筋が冷たくなる。
「答えたくなければそれでいい。この防犯カメラにはあの時の一部始終が収められている。橋立くんが言わずともこの映像が真実だ」
マウスをクリックし、再生しようとする大雅の手を咄嗟に押えこみ、悠太郎は首を横に振った。
「やめてください……」
「なぜ?」
「――見たんですか? この映像を……見たんですか?」
声が震える。大雅の言うとおりあの時のすべてが収められているとすれば、悠太郎は二度と彼の目を見ることは出来ないだろう。だが、社内の防犯責任者である社長が見ていないということはあり得ない。
嘘であってほしい……。しかし、その願いは呆気なく打ち砕かれた。
「――見たよ」
フンッと鼻を鳴らして嘲笑うかのように答えた大雅は、ゆったりとした動作でデスクから立ち上がると、自身の手を押えたままの悠太郎の手首を反対側の手で掴みあげた。
「痛……っ」
物凄い力で腕を後ろに捩じりあげられた悠太郎はその痛みに顔を顰めた。
悠太郎に対して大雅がこんな酷いことをすることはなかった。力任せに捻じ伏せてきたのは、悠太郎をいじめた奴らばかりだったはずなのに……。
相手が大雅であるが故に、得意の投げ技を出すことが出来ない。身動きを封じられたままの悠太郎の上着のポケットに手を忍ばせた大雅は、彼のスマートフォンを指先で抜き取り片手で画面をタップし始めた。
「ちょ……っ! 何をしてるんですかっ」
何度かタップとスクロールを繰り返した後で、大雅は唸っていた悠太郎を見据えて言った。
「――なぜ、俺のメールを読まなかった?」
「へ?」
「既読にならないと思っていたが……やっぱりか」
そう言いながら悠太郎のスマートフォンをデスクの上に放り投げると、引き摺る様にして応接セットのソファに向かって突き飛ばした。
柔らかな上質のレザーシートが悠太郎の体重で沈む。
「何のこと……ですかっ! メールって……いつの……」
「小坂からのメールはマメにチェックしているのに……。あぁ……お前だけを責めるのは間違ってるな。もっと早く俺が気付いていれば、こんな事にはならなかった……」
「たい……が?」
舌打ちをしながらスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを引き抜いた大雅は、ベストのボタンを外しながら悠太郎が倒れ込んだソファに片膝を乗せた。
きちんとセットされていた黒髪が乱れ、額に幾筋もの長い前髪が落ちている。その奥にあったのは野獣のような鋭い光を湛えたこげ茶色の切れ長の瞳。その目が捉えているのは目の前にいる悠太郎しかいない。
「――あの男に何をされた? 悠……」
そう言うなり悠太郎が着ていた上着のボタンを乱暴に外し、ネクタイを緩めると耳元に顔を寄せてきた。
「ちょっと! なに……するのっ」
「あの日……エレベーターホールでされた事。全部言ってごらん」
「やだっ! 絶対に……言わないっ! ってか、大雅……見たんでしょ?」
「見たよ……。全部、見た」
「じゃあ、どうして俺を貶めるようなこと言うの? 忘れたいのに……なかったことに、したい……のにっ」
大雅の唇が悠太郎の耳に触れ、荒い息遣いが繰り返される。そして、悠太郎の耳朶にやんわりと歯を立てた大雅は苦しげに呟いた。
「――小坂には許して、俺には許さないのか」
「え……」
「あの男の手には感じて……俺は拒む、のか?」
掠れた低い声が悠太郎の鼓膜を震わせたあと、甘い刺激となって脳を痺れさせる。
底知れない恐怖と憂いを含んだ低音。それは悠太郎の心臓を大きく跳ねさせ、そして苦しめた。
「ちが……っ」
「何が違う? お前は自身が言うとおり、淫乱ビッチなのか? 男なら誰にでも腰を振って強請るネコなのか?」
「大雅……」
「全部言え。俺は、その口から出た言葉しか信じない……」
苦しそうにそう言いながら耳殻に沿って舌を這わせた大雅に、悠太郎はわずかに体を跳ねさせた。
小坂のものとは違うと分かっていても、あの時のことを思い出す。
大好きな大雅に愛撫され『心地いい』と思う反面、小坂の息遣いを記憶した体は自然と拒んでしまう。
「――やだ。大雅……っ」
目尻に溜まった涙が一筋流れ落ちる。その涙に気づいた大雅は親指で乱暴をそれを拭うと、半開きのまま震えていた唇をなぞった。
「ここも、小坂に奪われたのか?」
悠太郎は目を見開いて大きくかぶりを振った。
小坂があの時、キスをしてこなかったことが意外だった。相手を犯すつもりならば、真っ先に唇を奪うだろう。しかし、彼はそれをしなかった。
悠太郎にとってそれだけが救いだった。もしも小坂に唇を奪われていたら、完全に陥落していたかもしれない。
「――ここには触れていないんだな?」
真剣な眼差しで見下ろす大雅の迫力に圧されるように、悠太郎は力強く頷いた。その瞬間、大雅の乾いた唇が何かを貪るかのように強く押し当てられ、強引に舌先を捻じ込まれた。
「ん……っふ!」
互いの唾液で乾いていた唇が潤い、小さな水音を立てる。悠太郎は逃げても追いかけるように絡みつく大雅の舌に翻弄され、顎をわずかに上向けて堪えていた吐息を漏らした。
重なった唇の端から飲みきれなかった唾液が溢れ、つっと顎を伝う。
悠太郎の小さな顎に手を添えた大雅は角度を何度も変え口内を蹂躙した。
「はぁ……はぁ……っふ」
断続的な息苦しさに、何とか唇を離そうともがく悠太郎の胸元に滑り落ちた大雅の指先がワイシャツ越しに胸の突起を掠めた。
「――んあっ」
ビクンと体を跳ねさせ小さく声を上げた悠太郎に、大雅は唇を触れ合わせたまま意地悪く笑った。
「小坂に触られて感じたのか? ここ……もう勃ってるぞ」
「やだ……。触らないで……んっ」
ワイシャツの薄い生地を持ち上げるかのように隆起した乳首の形をなぞるように大雅の指が押し潰す。何度か捏ねるように弄ったあとで、不意に爪を立てた。
「んあぁぁ……っ」
背中を弓なりにそらせ、顎を上向けて声を上げた悠太郎は、自身の下半身が著しく反応していることに気づいた。このままではあの時同様、大雅の愛撫によってイカされてしまう。
まもなく退勤時間だとはいえ、制服を着ている以上まだ業務は継続している。大好きな大雅に愛撫されているとはいえ、業務中に社長と警備員が関係を持つということは許されない。
悠太郎は体を捩じって執拗に片方の乳首ばかりを弄る大雅の手から逃れようと試みるが、体格差のある体で抑え込まれた今、それが叶わない。
片手で大雅の肩を掴み顔を背けると、唇の端から再び唾液が流れ落ちた。
「ここが気持ちいいのか? 悠……」
「ちが……ぅ」
片手で器用にワイシャツのボタンを外し、うっすらと汗ばんだ肌に手を這わす大雅。直に触れてほしいのに、その長い指先はなかなか突起に辿り着かない。
涙で滲んだ目で上目遣いに睨むが、大雅のほうはわざと焦らすように乳輪ばかりを責める。
「――やだ。こんなの……やだっ」
「何がイヤなんだ? 小坂には感じていたんだろ?」
「違う……。こんなの……違う。大雅は……こんなんじゃない」
悠太郎の声にすっと目を細めた大雅は、大きく開けられたワイシャツから露わになった悠太郎の突起に唇を押し当てた。
「いやぁ……っ! あぁ……っ」
そして胸から脇腹を撫でるように移動した掌が、だらしなく投げ出された下半身へと及び、不自然に盛り上がっているスラックスの前立て部分をやんわりと撫でた。
スラックスの生地を押し上げ、大きく張り詰めていることは一目瞭然だった。
その形を確かめるように大雅の手が乱暴に動いた。
「あぁ……。やだ、やだ!」
胸の突起に舌を這わせながら時折きつく吸い上げる。上目遣いで悠太郎の顔を見つめ、感じていると分かると下半身を強く握る。
「胸を弄られて、勃起したペニスを弄られたんだろ? 直に触られたのか? あいつのフェラはどうだった?」
大雅に一生隠しておきたかった小坂との行為。後ろめたさと貶められたショックにさらに追い打ちをかけるかのように、大雅の言葉が心に負った傷を抉っていく。
ずっと片想いしていた男に抱かれるのは嫌じゃない。むしろ嬉しくて仕方がない。
でも――こんなやり方はフェアじゃない。
悠太郎の心の弱みに付け込んでの行為は、たとえ体は反応しても満たされない心が悲鳴を上げる。
想いが通わないセックスは苦痛でしかない。小坂がしていることと変わらないのだ。
「こんなの……大雅じゃない。大雅は……こんな酷いことしないっ」
泣きながら声を震わせた悠太郎に、大雅はふっと小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「俺が酷いことをしないって根拠はどこにある? 俺だって男だし、ヤリたいと思えば本能に従う」
「そんな……。大雅はいつも……俺を守ってくれた」
悠太郎の訴えがまるで耳に届いていないかのように、大雅は彼のベルトを緩め、スラックスの前を寛げた。
グレーのボクサーブリーフの中央に滲んだシミを指先でなぞり、にやりと口元を歪めた。
「イヤだと言っても、ここは正直に涎を垂らしているぞ?」
「大雅っ! もう……やめてっ」
「――ヒロインの窮地を救うヒーローだって下心がないわけじゃない……。『完全無欠のヒーロー』の仮面の下はどうなっていると思う? 嫉妬に狂い、泣き叫ぶ相手に猛った肉棒を突っ込んで快楽に溺れさせたい……。蕩けた顔で「もっともっと……」と言わせたい。そのためには下心を隠して『いい人』を演じる。その相手が自分に堕ちるまで……な」
「た……ぃが」
思いもよらない大雅の言葉に悠太郎は絶句した。それまで彼の体を押し返そうと必死に突っ張ていた腕の力が不意に抜け、だらりと力なく落ちた。
幼い頃から憧れ、どんな時も自分を守ってくれた大雅の本心を目の当たりにし、悠太郎は今まで彼に抱いてきた一途な想いが乱暴に踏みにじられたような気がした。
どんよりと重く心に圧し掛かるこの感情は何だろう。それまで薄っすらと陽が差していた雲間が暗雲に塞がれ、わずかな望みさえも絶たれたような気がして、悠太郎は茫然としたまま動けなくなった。
大雅の手が下着のウェストゴムにかかった時、悠太郎は悲しみに顔を歪め、渾身の力で大雅を突き飛ばした。
「触るなっ!」
テーブルに倒れこんだ大雅を押し退けるように、立ち上がった悠太郎は乱れたシャツを掻き合わせながら叫んだ。
「大雅も……ヤリたかっただけなの? 俺は……大雅の何なんだよっ。ずっとずっと……セックスするために騙してたってこと?」
震える指先で腰に引っかかっているスラックスを引き上げ、ファスナーを閉め、ベルトを締める。
うまく掛けられないシャツのボタンにイラつきながら、悠太郎はゆっくりと身を起こした大雅を睨みつけた。
「――悠」
「大雅は小坂と変わらない……。みんな、俺をペットにするつもりなんだろ?」
「違う……」
「何が違うんだよっ! こんなのヤダ……。俺の知ってる大雅じゃないっ」
顔を上げることなく、やるせなさそうに乱れた前髪を掻き上げた大雅はボソリと呟いた。
「――なんで、メール見なかったんだよ」
それはあまりにも掠れ、そう離れていない位置にいたにもかかわらず悠太郎の耳には届かなかった。
「え?」
「俺……なんで、お前の所に行かなかったんだろ。守るって……誓ったのに、なんで……」
テーブルを拳で思い切り殴りつけ、その勢いで立ち上がった大雅は執務机に向かうと、引き出しを乱暴に開けて中から何かを取り出し、それを悠太郎に向けて放り投げた。
「――会社からの支給だ。小坂から受けたストーカー被害の証拠としてお前のスマートフォンをしばらく預かる。やつを立件するかどうかはそれを見て判断する。そこには、お前が使う必要最低限の電話番号を入れてある。あと……自分の身を守りたいのなら、そこに登録されているメアドは誰にも公表するな」
咄嗟に投げられたものを手にし、悠太郎はまじまじとそれを見つめた。
黒いスマートフォンは、今まで自身が使っていた機種と同じものだった。
「――話は以上だ。出て行ってくれ」
大雅はそう言うと、どかりと革張りの椅子に腰を下ろし、悠太郎に背を向けたまま足を組んだ。
ドアのそばに落ちたままの帽子を拾い上げながら、悠太郎は唇をきつく噛み締めた。
「こんなことして……謝りの言葉もないのか? 大雅……俺の好きだった大雅はもう……消えちゃったのか」
悠太郎は手にしたスマートフォンを握りしめ声を震わせた。
悔しい、悲しい――。何よりも心が痛い。
恋が終わる瞬間は、その期間が長ければ長いほど自身を苦しめる。
狂おしいほどの想いは、刃となって自身を切り刻む。
「――さっさと消えろ。目障りだ」
抑揚のない冷酷な言葉が、さらに悠太郎を追い詰める。
頬を伝った涙を手の甲で拭い、悠太郎は大雅に背を向けた。
「――バイバイ。俺だけのヒーロー」
冷たいドアレバーを握り、自分の中で膨らんだ想いに終止符を打つ。
会いたい……。大雅に会いたい……。
抑え込んでいた想いにわずかでも期待した久しぶりの再会は悲しみの涙で曇り、同時に大雅との思い出が少しずつ色褪せていくのを感じた。
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