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【12】
「いっ――たぁい!」
何気に身じろいだ悠太郎は、全身に走った激痛に思わず声を上げた。
大雅の匂いに包まれて、ほぼ気を失うように眠りについたのは東の空が明るくなり始めた頃だった。
休暇を貰っているという安心感からか、悠太郎は大雅のベッドで熟睡していた。
体の節々からギシギシと軋んだ音が聞こえそうなほど、手足をスムーズに動かすことが出来ない。女性とのセックスの後、多少の筋肉痛の経験は今までにあったが、同性である大雅とのセックスがこれほど激しいモノだとは思ってもいなかった。
男同士が本能のままにぶつかり合えば、それなりに体力も消耗する。
優しく耳元で大雅が「おはよう」と囁いてくれる優雅な目覚めを期待していたが、当の本人の姿が見当たらない。
ベッドサイドに置かれたチェストの上の時計をぼやけた目で見つめると、すでに午前十時を過ぎていた。
「――あ、仕事に行ったのか」
お互いに何度達したかなんて覚えていない。大雅の絶倫さに息を呑みつつも、それに応えていた悠太郎。
一度埋められた楔は抜かれることなく、何度も体位を変えて交わった。
痛みに顔を顰めながら体を起こした悠太郎はハッと息を詰めて、自身の尻に手を当てた。昨夜、大量の精液を生で受け入れたのだから、当然その場所から溢れてくるだろうと思ったのだが、そこからは何も出ては来なかった。それに、汗にまみれて抱き合った後なのに体はさっぱりし、シーツも綺麗なものに取り換えられている。
「まさか……ハウスキーパーにっ」
いくら信頼を於いているハウスキーパーでも、他人に情事のあとを見られることほど恥ずかしいものはない。
汚れたシーツも気を失う直前までは悠太郎が洗濯をするつもりでいた。
サラリとして微かにソープが香る自身の腕を撫でながら、悠太郎は訝しげに首を傾げながらベッドを下りた。
周りを見回し、ベッドになだれ込みながら脱ぎ散らかしたスーツや警備員の制服がないことに気付いた。
まさかと思いながらクローゼットのハンドルに手を掛けようとして、そこに挟み込まれていたクリーニング業者からの預かり伝票に気がついた。
詳細に目を通し、それが昨日大雅が着ていたシャツとネクタイ、そして悠太郎の制服だということを知る。
『特急仕上げ』と赤いハンコが押された伝票の受付日時は今日の午前六時。
「――こんなに早い時間に。まさか……大雅が?」
家事をやらなかった理由――それは悠太郎に甘えていたからだと告白した大雅。
しかし、多忙な彼がマメに掃除や洗濯が出来るかといえばそうは考えにくい。
悠太郎は寝室を出て、リビングに足を踏み入れた瞬間に目を瞠った。
その先にあるキッチンのテーブルには、温めるだけになっている朝食が用意されていたからだ。軋む身体を無理に動かし、ガスレンジの前に行くと鍋の中には味噌汁まで用意されていた。
「これって……」
テーブルに置かれたメモには大雅の字だとすぐに分かる走り書きが残されていた。
『ゆっくり寝ていろ。帰ったら家まで送ってやる』
そのメモの脇には悠太郎が使っていたスマートフォンが置かれていた。電源は切られているが、ここにあるということは小坂から受けた被害の証拠となるデータは抜き出したのだろう。
使い慣れたスマートフォンの電源を入れ起動するのを待つ。
待ち受け画面の中で笑う大雅と悠太郎。見慣れた画面にホッと息を吐いて、思い出したかのようにメールアプリをタップする。
もしかしたら大雅に削除されているかもしれない――。それでも確かめずにはいられなかった。
悠太郎が大雅を想いながら自慰をし、電話を掛けた日のメール。
指先でスクロールして、大雅から送られてきたメールを確認する。一覧となって出てくる数の多さに、自分がどれだけ大雅に大切にされていたのか、今になって気づく。
あの夜、大雅からのメールを見ていれば小坂とあんなことにならなかった。
大雅の苦しげな表情が浮かんで、悠太郎は視線をわずかに落とした。
そして、スクロールしていた指を止めた。
(良かった……削除されていない)
一度だけ深呼吸をした。そして、あの日のメッセージをタップする。
画面に映し出されたたった一行の言葉。
『もう寂しい思いはさせない。俺だけの悠でいて……』
それを目にした瞬間、悠太郎の頬に涙が伝った。
一人、大雅を想いながら自慰をした悠太郎に投げかけた言葉は、その行為を揶揄するものでも否定するものでもなかった。
微かに耳の奥で響いていた低い声が思い出され、悠太郎の胸を締め付ける。
『気持ちよかった……? 今度は一緒に……しよう』
小坂の電話にメンタルを傷付けられた悠太郎のもとに出来ることならば向かいたい。でも、それが叶わなかった大雅の想いがその一文に溢れていた。
社長室で自分を責めていた大雅の気持ちが今になってようやく分かった。
(俺だって……同じこと思うよ、きっと)
それなのに小坂の誘いに乗ってしまった自分が悔しくて、腹が立った。
行き場のない怒り――それは社長室で悠太郎自身にぶつけた大雅の憤り。
「大雅……」
いつどんな時も優しい目で見守ってくれていた大雅。想いが通じ激しく求めあった後も自我を失うことなく、甲斐甲斐しく悠太郎を風呂に入れ、吐き出した欲望を掻き出し、シーツを取り換えた。そして、自身も辛かったであろう身体を奮い立たせ、制服をクリーニングに出し、朝食を作って出勤する大雅の姿を思い浮かべ、悠太郎は唇を噛みしめた。
「やっぱり……好きだ。俺にとって最高の……恋人だよ……大雅ぁ」
大雅を思う気持ちは誰にも負けない――そう自負していた悠太郎だったが、自分がどれだけ彼に愛され、それを今まで気付かずにいた自分が情けなく、恥ずかしかった。
『幼馴染』ではなく『恋人』に変わった最愛の男。その存在を改めて噛みしめる。
悠太郎は、次々に溢れる涙を掌で拭うと寝室に戻り再びクローゼットを開けた。
常時、置いてある自身の私服に素早く着替えると、スマートフォンを大切に胸元に押し当てながら部屋を飛び出した。
*****
「ここから先は部外者立ち入り禁止だぞっ!」
凄みのある野太い声にビクッと肩を震わせて足を止めた悠太郎は、自動社員認証機の前で恐る恐る振り返った。
勢いに任せて勤務先――Uプロテクトに来てしまった悠太郎だったが、今日は非番で休暇を貰っている。後ろめたさに加え、背後から同僚に怒鳴られるという失態。
一つのことに囚われると冷静さを欠くという悠太郎の弱点はここでも遺憾なく発揮された。
「――すみません」
小さな声で謝罪の言葉を口にしながら伏せたままの視線を上に上げると、そこには腰に手を当てて仁王立ちで微笑む北原の姿があった。
「北原さん……」
「驚いた? ウフッ」
コワモテであることには変わりないが、睫毛エクステションが施されたつぶらな目尻は嬉しそうに垂れ下がっていた。
「夕べ、大丈夫だった?」
「ええ……。社長を病院に連れて行って……」
言いかけた悠太郎の言葉を遮り、一九〇センチの長身をわずかに屈めて詰め寄るように覗き込んだ彼の口元はなぜかニヤついていた。
「違うわよっ! 久保園社長に無茶なことされなかった?」
「無茶なことって……何ですか?」
「んもう! とぼけちゃって! てっきり今日は全身筋肉痛で動けなくなってると思ったのに……」
「へ?」
ロビーを通過していく人たちの目には、社内に迷い込んだ青年を警備員が注意しているように見えるだろう。しかし、北原の口から出てくる言葉は悠太郎の目を更に大きくさせるものばかりだった。
「久保園社長から小坂を確保するために手を貸してくれって言われた時に全部繋がったのよね。悠ちゃんが片想いしてる相手が社長だって。社長が小坂に付き纏われていることは知ってた。あの日の朝、ここを訪れた小坂の顔を見て「またか……」って思ったけど、まさか悠ちゃんを巻きこむとはね」
「ちょ、ちょっと待って。北原さん、全部知ってたんですか?」
焦って声を上げた悠太郎の袖を引っ張って、エレベーターホールの端まで行った北原は拝むように両手をぴったりと合わせてウィンクしてみせた。
「ごめんね……知ってた。――でね、社長に呼び出された時に全部聞いちゃったの。でも、まさか小坂があんな事するとは思ってなかったから私、動揺しちゃった。悠ちゃんに隠れて泣いちゃったんだからね!」
長身で筋肉質な体育会系。でも情には脆い北原のことだ、言っている事に嘘はないだろう。
「悠ちゃんのスマホを使って小坂をおびき寄せるって聞いて、反対はしたのよ? でも、社長は「これ以上、悠を苦しめたくない」って……。警察署の方々とは打合せ済みだったから、彼氏が急病だって嘘ついて夜勤代わってもらったの。本当に、ごめんなさい!」
「北原さん……」
「でも! 社長の想いは通じたんでしょ? だから昨夜は……ムフフッ」
口元に手を当てて恥じらうように体をモジモジとさせているが、どうやら悠太郎が大雅とセックスをしたことはバレているようだった。初めて経験した男同士のセックスは激しく、そして何よりも愛情深かった。
相手が大雅であったということが一番嬉しいことだったが、何より感じる場所を的確に知っている男だからこそ互いに快感を得ることが出来た。
「――あんなラブラブなキスシーンを見せつけられちゃったら『私たちも負けていられないわ』って、夕べは彼氏と盛り上がっちゃったわよ」
「え? 私たち……も?」
悠太郎は昨夜の記憶を辿ってみる。あの時、現場にいたのは自分と大雅、そして北原と……滝野。もしかしたら警察関係者の中に北原の彼がいたのだろうか。だが、北原の話では年下のサラリーマンだと言っていた。
「北原さんの彼氏って年下の……」
よく見ればいつもよりも肌艶がいい。愛する男とセックスするとこれほど顕著に顔に出るものなのかと、悠太郎は自分の頬を掌で触りながら小首を傾げた。
(俺もそうなのかな……)
急に恥ずかしくなって俯いた時、エントランスの方から硬い靴音が近づいてきた。振り返った北原と同時に視線をあげた悠太郎はその先にいた男の姿に顔を赤らめた。
「――北原さん、ご苦労様です。あ……橋立さんもいらしたんですね?」
靴音と同じくらい硬質な声音で話しかけてきたのは大雅の秘書である滝野だった。相変わらずクールな表情は崩さない。
悠太郎は滝野に苦手意識があるせいか、慌てて崩れた表情を引き締めると小さく頭を下げた。
「お疲れ様です。こんな格好ですみません……」
「いえ……。橋立さんは今日はお休みでしたよね? 社長に何か?」
「あ……いえ。そういうわけでは」
まさか、スマートフォンのメールアプリに書き込まれていた愛の告白を見て、いてもたってもいられずに来てしまったとは言えず、悠太郎は困ったように俯いた。
だが、伏せたその視線の先で北原の太い指とシャツの袖から覗いた滝野の細く長い指が絡まるのを見つけ、悠太郎は勢いよく顔を上げた。
「北原さんっ」
北原は照れたように口元を緩めながら、隣に立つ滝野の指を弄っている。滝野もまた顔には出さないがその指に応えるように指先を絡ませていた。
その指に既視感を覚えた悠太郎は、昨夜も彼らがこうやって指を絡ませていたことを思い出す。
「北原さんの彼氏ってまさか……っ」
「いや~ん! 悠ちゃん、気付くのおそ~い!」
北原の歓喜の声に悠太郎は一瞬だけ眩暈を覚えた。柔道着が似合うガチムチのコワモテ男とクールな社長秘書が付き合えるものなのか……と。事実、目の前にそのカップルは実在している。
どういういきさつで付き合うようになったのかもっと追究したいところではあったが、それから逃れるかのような滝野の落ち着いた声が悠太郎の耳に届いた。
「――橋立さん。昨夜、病院で縫合した社長の腕の傷口が開いたのはご存知ですか?」
「え?」
「ご本人に聞いても口を割らないので……。単刀直入にお伺いします。昨夜は――楽しまれましたか?」
「へ……?」
ポカンと口を開けたままの悠太郎を見た滝野が我慢出来ないというように、口元に手を当てて吹き出した。
「さぞ激しかったことでしょう……。今までどれだけ我慢してきたことか。今、病院で再度縫合してもらいました。本人は「大丈夫」だと言い張ってますが、今夜は大人しく寝かせてください」
「はい……」
滝野の後ろから少し遅れてきた大雅が何事だと顔を覗かせる。その中心に悠太郎がいることを知った大雅は厳しい表情を途端に緩めた。
ワイシャツの袖口からわずかに見え隠れする包帯の痛々しさに昨夜のことを反省する悠太郎だったが、滝野と北原の間を割って足を踏み出した大雅に肩を掴まれると、吸い込まれるようにこげ茶色の真っ直ぐな瞳を見つめた。
「――悠。寝てろって言っただろ」
「だって……じっとしていられなくて」
手にしたスマホをギュッと握りしめた悠太郎だったが、滝野から傷口の話を聞いた手前、黙ってはいられなかった。
「それより! 腕の傷口が開いたってどういうことだよ……」
「それは……その、今朝マンションの階段で転んで……」
「嘘つけ! あぁ、もう……っ! やっぱりしなければ良かった」
ムッとして頬を膨らませた悠太郎に、オロオロと落ち着きを失った大雅が長身を屈めて視線を合わせる。
「そんなこと言わないのっ! ねぇ、正直……痛かったの? ツラかったら言ってって言ったよね? 初めてなのに無茶させたのは悪かったと思ってるけど……。俺とのセックス、キライになっちゃった? ねぇ……」
ドSで傲岸な大雅がどこから出てくるのかと思うネコなで声で悠太郎に迫る。彼の目は必死で、どこまでも真剣だ。
社員には決して見せることのない本当の姿。それをスタッフが行き来するロビーで臆することなく晒す大雅に、悠太郎は大仰なため息をついて見せた。
ケガを負っているにも関わらず、痛みやツラさを微塵も見せることなく悠太郎を悦ばすことだけに専念した大雅の優しさに、キュンと胸が締め付けられた。初めてのセックスで全く怖くなかったといえば嘘になる。でも、その恐怖を悦びに変えてくれたのは大雅なのだ。
「――キライになんてならないよ。もっと……したいって思ってる」
ボソッと呟いた悠太郎の言葉に、大雅のこげ茶色の瞳が野性味を帯びて輝いた。
「ホント? 俺のことキライにならない?」
「なるわけないだろ……。だって俺は……」
悠太郎は真っ直ぐに見つめる大雅の瞳に、幼い頃の勇敢な彼の姿を重ねた。
いじめっ子から庇ってくれた時に見てきた背中に触れた夕べ……。
広くて温かくて……何より逞しかった。
その背中に悠太郎は爪痕を残した。一途に思い続けて来た独占欲の証。
ずっと大切にしてきた一途な想いを、これからも保っていくための決意。
それが悠太郎に出来る『大雅を守る』こと。
「――ずっと……お前だけのもの、だから」
大雅が送ったメールへの答え。悠太郎が出した返信は、今だからこそ口先だけじゃないと言える。
驚いたように目を見開いた大雅が何かを言いかける。その唇を悠太郎がそっと塞いだ。
確かめ合うように舌先が絡み合う。深く重なった唇が熱く、そして柔らかな想いを紡いでいく。
「抱きたい……悠……」
唇を触れ合わせたまま囁いた大雅に、悠太郎は肩をすくめて小さく首を振った。
「ダメ……。また、傷が――っふ!」
「治るまで待てない……。ねぇ……イイだろ?」
「らめ……っ」
「悠……」
劣情に掠れた低い声が悠太郎の脳みそを蕩かせていく。理性ではダメだと分かっていても、大雅の甘えた声には抗えない。何度も首を小さく横に振って見せるが、大雅のキスは止まらない。
「ダメ……。ダメだって……」
悠太郎の頬を挟み込んで角度を変えて夢中で口付けていた大雅の肩が何かを感じ取ったかのように不意にビクッと震える。
ゆっくりと唇を離し、大雅が恐る恐る肩越しに振り返ると滝野の冷たい眼差しがそこにあった。
「――ゴホン。お楽しみはご自宅に戻られてからお願いいたします。社長、次の予定が詰まっていますので、いい加減に……」
「イヤだ」
即答し、すっと勢いよく体を起こした大雅は申し訳なさそうに俯いていた悠太郎の背中に腕を回すと、軽々と抱き上げた。
「お、おいっ! 大雅っ」
驚いて声を上げた悠太郎に、大雅の低音が重なる。
「俺を守ってくれ……。この煩い秘書から」
「は? そんなこと……出来るわけないだろ! 仕事しろよっ」
「イヤだ。俺は……お前と愛し合いたい」
「バカ社長! 滝野さんに迷惑、かける――っふ!」
あまりの傍若無人ぶりに頭にきた悠太郎は声を荒らげたが、呆気なく唇を奪われ、その声も大雅の舌に吸い取られてしまった。
そして、呆気にとられ茫然と立ち尽くす滝野と北原を尻目に、エントランスに歩き出した大雅は悠太郎の耳元に顔を寄せて囁いた。
「愛することを止める権利は誰にもない……」
「大雅……」
美しく見惚れるほどの意志の強い眼差しが悠太郎を射抜く。しっかりと抱きとめられた力強い腕に安心感を覚え、幸福感に思わず笑みが浮かぶ。
唯我独尊を地でいく大雅。でも――今だけは自惚れてもいい。
だって……。
悠太郎は最愛の男の首に回した腕に、力と自身のありったけの想いを込めた。
純粋で一途な想いほど強いものはない。その力が大雅を守れる唯一の武器。
唇を寄せ、触れ合った瞬間にもう一度自身を奮い立たせる。
「俺があなたを……守ります」
悠太郎の唇を甘さを含んだ風が通り過ぎ、次の瞬間この上ない幸せが触れた。
ずっと、ずっと……このままで。
二人の愛を見守るかのように、自動ドアの扉がゆっくりと閉まっていった。
Fin
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