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男がいつもの時間にきても、女は寝ていた。 本来、寝ているのが普通な時間帯なので、それ自体は不思議なことではない。 男がこんな時間しか自由に行動できないから、今まで女がそれに合わせて寝起きしてくれていただけなのだが… 「もう起きるのも辛いのか…?」 この訪問に付き合う余裕も無くなってしまったのか。 男の瞳が不安に揺れても、誰も答えてはくれなかった。 *** 「今日は教会でしたっけ?」 「…えぇ、ここから1番近い場所にある教会です」 1番近いのに、そこは初めていく場所のようだ。徒歩でも10分程の距離らしいのだが、公務のため馬車に乗って移動するらしい。 パカパカと馬車に揺られてあっという間についた教会で、キヨは今日も子どもたちと外で走り回った。 最近は教会の大人たちはレイの仕事につきっきりで、従者さんだけが遠くからキヨたちを見守っている。 従者さんにも一緒に鬼ごっこどうですかと誘ってみたが、「仕事中ですので」と断られてしまった。…それもそうか。 鬼ごっこに疲れると、今度は隠れんぼをすることになった。 子どもたちに比べると、大人に近いキヨの全身が隠れる場所はどうしても少ない。慎重に隠れ場を探す。 (…お、ここならいけるかな) 教会の建物と塀の間にある1mほどの隙間に入り込む。その隙間の前には大きな木や草むらがあったため良い穴場に思えたが、子どもたちは隠れ場を熟知しているのだろう。そこには既に先客がいた。 「あ…ごめん。オレ違うところ行くね」 そう言ってみたが、先客の少女は「いいよ、神子様。一緒に隠れようよ」と笑顔をくれた。 もう鬼役の子が60秒数え終わりそうだったので、お言葉に甘えて少女の横に座らせてもらう。 ふと視線を横に向けると、体育座りで座る少女の膝からふくらはぎにかけて線のような長い傷があった。赤い血が丸い球をつくり今にも流れ落ちそうにしていて、その傷が新しいことが窺える。 「どうしたの、それ…大丈夫?」 「そこの木の横を通った時、枝に引っかかっちゃったの」 遊び終わってから神父さんにみてもらう、と言うので 「じゃあ、痛いの痛いの遠くのお空へ飛んでけ〜」 少女の膝に手をかざしながら呪文を唱えると、少女はぽかんとした。 初めての教会ではおなじみの反応なので、「これは痛いのが気にならなくなるおまじないなんだよ」と普及しておく。 「ほんとだ。神子様、血が止まったみたい。すごいね」 「…え?」 いつも「痛くなくなった!」と喜んでもらえるけど、そんなことを言われたのは初めてで。ただの子どもだましと知りつつ思わず彼女の傷口をもう1度見ると、先程まで丸く玉になっていたハズの血が、拭いてもいないのになくなっている。それどころか… (傷が、小さくなってる…?) さっきよりも傷の長さが、2/3程度に短くなってるように感じたのだ。 まさかと思いながらも、もう1度「痛いの痛いの遠くのお空へとんでけー」とやってみると、今度はうっすらスジが残るだけで傷は完全に塞がってしまった。 「すごい神子様!傷がなくなったよ!全然痛くない!」 「…ほんとだ…すごい…」 キヨは自分の掌を見つめながら、心臓をバクバクとさせていた。 (怪我が治った…もしかしたら今までもただの子どもだましじゃなくて、本当に痛みを取ってたのかな…) これはとんでもない能力だ。 小説でみたことのある主人公のように、キヨにも治癒魔法が使えたりするのだろうか。 (他人に能力を使うことができるのは、神子だけって聞いたことがある…これが神子の特殊能力なのかな…どうしよう…早くレイに聞いてみたい) だけど自分で誘ったゲームを放棄するわけにもいかず、身を潜めたままでいると 「…神子様。痛いのとんでけしたら、ミリア様も治るかな」 少女が見つからないように声を抑えたまま、ぽつりと呟いた。 「ミリア様…?」 初めて聞く名前にキヨは首を傾げる。 「神子様は会ったことないの?レイ様のイトコのミリア様」 「多分…無いと思う」 もしかしたら結婚式の日に紹介された膨大な人の中にいたのかもしれないが…少なくともキヨの記憶には残っていなかった。 「ミリア様はね、病気なんだけどね、調子が良い日はよくレイ様と一緒にきてくれてたの。…でも最近全然来てくれないから、心配なんだ。やっぱり具合が悪いのかな…レイ様と結婚するの、あんなに楽しみにしてたのに、しなかったし」 「…え?」 さらっと言った少女の言葉に、今度は心臓が止まりそうな衝撃を受ける。 「ミリア様、と、レイが…結婚?」 「うん。ミリア様ね、最後に来た時レイ様との結婚、もうすぐだって喜んでたの。…でもそれから全然ミリア様みないの。もう半年くらい経つのに。 痛いのとんでけでミリア様治ったら、またレイ様とここにきてくれるよね?」 そう言って、無邪気に笑った。 その少女の言葉に、今までずっと心のどこかで引っかかっていたものが、全てつながったように気がした。 召喚の時の悲痛な顔 準備されていたかのような盛大な式 寝室で向けられていた背中に、名前だけの夫婦 ほとんど笑うことのない硬い顔 そして、結婚する予定だったミリア様… (…あぁ、そうか) あの結婚式は、オレのために用意されたものじゃなかったんだ。 なのにオレが召喚されたから、オレと結婚しなきゃいけなくなったんだ。 だからあんなに目が離せないほど悲痛な顔をしていたんだ。 だからたった3日であんな盛大な式が挙げられたんだ。 (背を向けて寝るのは拒絶だったんだ…いつまでも表情が硬いのも当たり前だ…) レイはやっぱり、オレとの結婚を望んでなんかいなかったんだ。 (オレがレイとミリア様の結婚を、ダメにしてしまったんだ…) オレはどうしてこの世界に来ちゃったんだろう。 レイに喚ばれてこの国を幸せにするために来たはずなのに、レイの幸せはオレのせいで無茶苦茶になっているじゃないか。 座っているのにまるで目眩のように視界が歪む。 自分がこの世界に本当に必要なのか、初めてわからなくなった。 「みーつけた!」 そう言ってはしゃぐ子どもの声が、まるで遠くの世界のように頭に響いた。 それから、どんな風にして帰ったのか覚えていない。 レイには不思議な能力のことも、ミリア様のことも、何も聞けなかった。 寝室で横になった時に、レイを視界に入れたら泣いてしまいそうな気がして、久しぶりに背を向ける。 すると何故か、レイが頭ではなく体をギュッと抱きしめてきた。 (まだ泣いてないハズなのに…) そう思いながらも涙をこぼさないように目元に力を入れていると、 「…すまない。このまま寝させてくれ」と懇願される。 (なんで今日に限ってこんなことするんだよ…) 今日はオレ、泣かないようにしてんのに。 ちゃんと寝ようとしてるし寝付けないわけでもないのに、なんで抱きしめるんだ。 オレが来たせいで、ミリア様と結婚できなかったんだろう? オレのせいで、ずっと苦しかったんだろう? (なのになんで、そんなに大事そうに抱きしめるんだよ…) 胸がギュッと苦しくなって、堪えていた涙が溢れ出す。 涙に気づいたらしいレイがそっと抱きしめる力を強めたと思うと、キヨのものではない嗚咽が聞こえてきた。 …レイも一緒に泣いていた。 今までずっと、泣きたかったのはレイの方だったのかもしれない。

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