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「魔物が出た。ミリアの前から消えた時に、キヨはこの国からいなくなってしまったのかもしれない」 「……そう」 「どうしてこんなことに…っ」 もう人目を気にする必要もないだろうに、レイは相変わらず皆が動き始める前の、朝というよりは夜に近いような時間にやってきてたかと思うと、いつもの席についてすぐに両手で顔を覆った。 レイはキヨが消えてからまだ1日も経っていないというのに、それがずっと前の出来事かのように疲弊してしまっている。 ミリアが声をかけようとした瞬間にレイは立ち上がった。 「…もう1度家に行ってみる。今頃家に戻って寝ているかもしれない」 「レイっ」 呼び止めた声も、キヨのことに夢中なレイの耳には届かないようだ。 「レイ、キヨ様は消える直前、“レイを幸せにして”って、そう言ってたわ」 叫ぶような大声でそう言うと、ようやくレイが立ち止まる。 「…何だって?」 「キヨ様、私とレイの結婚が流れたのを気にされてたみたい。 神子様が来てこの国が幸せになるはずなのに、自分を喚んだレイは全然幸せにならないって。自分のせいでレイは辛いことばっかりだって、レイを幸せにするのは私じゃないとダメなんだって…そう言ってたわ」 その言葉にレイは今にも泣き出しそうに唇を震わせた。 そんなレイの反応を見れば、今までのレイの態度を見れば。キヨのその言葉は正しくなかったのだとミリアはすぐに気がついた。 かつては確かに、愛なのか情なのか…自分に思いを向けてくれていた。 でも今のレイは、キヨのことだけで頭がいっぱいで、ミリアが完治したことに喜びの感情も1つもない。…こんなにも取り乱したレイも、今まで見たことがない。 レイが今何を1番大事に思っているかなど、一目瞭然だった。 「…ねぇレイ、あなたはキヨ様が悩んでたことにちゃんと気づいてたの?あなたはキヨ様が18歳だってことも、ちゃんと知ってた?」 「…18…?」 レイがはっと息をのんだ。 「あぁ…やっぱり知らなかったの…おかしいと思ったの。昨日キヨ様が、18だっていうから。 そんなに必死になるくせに、あなた今までキヨ様と何をしてたのよ…」 「なにって…」 結婚式を挙げて、一緒に暮して、共に仕事場へ向かうようになって。 時々ホームシックになることは知っていた。 レイとミリアの結婚がなくなったことで自分を責めていたことも知っていた。 頭を抱きしめれば早く寝ることも知っていた。 なのに、そんな当たり前のことも知らなかった。 *** 翌日、すべての状況を顧みて「この国の神子様は消えてしまった」と、そう国内外に発表された。 神子様が消えてしまうのは、この世界のものにとってそこまで特別珍しいことではない。 今までの歴史を振り返れば、その命が尽きるまで国に留まってくださった神子様よりは、消えてしまった神子様の方が圧倒的に多いのだ。 どうして神子様は消えてしまうのか、そのメカニズムははっきりと解明されてはいないが、神子様が消えるにしても、国に留まってくれるにしても。長短はあれど必ず期限があるものだと、この世界のものは皆理解しているのだ。 キヨがいなくなってから、この国には魔物が出るようになり、天候が荒れたり不作になることもあった。 しかしそれは元に戻っただけのこと。キヨが来る前に比べて悪くなったわけではない。 だから国民は皆、キヨがいなくなったことに一瞬落ち込みはするものの、今まで神子様から受けていた恩恵がどれだけありがたかったか実感しながら、また神子様に憧れるだけの日常に戻っていく。 キヨがいなくなっても、この国も、人々の生活も、当たり前のように続いていくのだ。 そしてそれはレイも、例外ではない。 キヨがいなくても、毎日陽は登り、当たり前のように仕事が待っている。 教会、福祉施設、老人施設、学校…毎日何処かに向かい仕事を全うしなければならない。 「元に戻ったね」 誰もがそう言った。 本当にそうだろうか?平然と過ごす人々に理解ができない。 「なに、元に戻っただけのこと。我が国が召喚したという事実が残っただけで大したもんだ。お前はよくやった。我が国の儀式が正しい証明できたのだ。また召喚の儀式を再開すれば、誰かがまた神子様を喚べるかもしれん」 国王はそう言った。 事実が残ったからなんだ?証明できたからなんなんだ? 別の誰かが喚んだって、くるのはキヨじゃないだろう。 そんな周囲の様子に、レイは自分だけが取り残されているような気がしていた。 仕事に行くたびに、馬車の中でも着いた先でもキヨのことを思い浮かべない日はない。 寝室を開けるたびに、キヨがいなくなって広くなったベッドを見ては虚しい気持ちになった。 キヨはよく泣いていたから、ベッドに横になると「キヨは1人で泣いていないか」とそればかりが頭に浮かんでなかなか眠りにつけない。 …夜中にミリアの元へと行くのは、あの日以来止めていた。 だから睡眠時間は倍以上に長くなっているはずなのに、キヨと寝ていた時よりも寝不足のように体は重く感じた。 “ 何かしてないと、また余計なこと考えちゃいそうで嫌なので…” キヨがいつか言った言葉を思い出して、休日はミリアと共に教会へ足を運んでもみた。 ミリアはキヨとは違い、子どもたちに絵本を読み聞かせたり、文字を教えて回った。 やはり健康になってもキヨのように、子どもたちに交じって鬼ごっこや隠れんぼはしないようだ。 「……っ」 何かしてないとキヨのことを考えてしまうのに、結局教会へ来ても、何をしてても、キヨのことを考えてしまうならどうすればいいのだろうか。 泣きそうになる気持ちを堪えるようにきつく目を閉じると 「レイ様、どこか痛いの?痛いの痛いの遠くのお空へ飛んでけ〜」 近くにいた小さな少女が、そう言ってレイの体を何度かなぞるような素振りを見せた後に、勢い良く掌を空へと伸ばした。 「…?それは何の言葉だい?」 子どもに目線を合わせるようにしゃがむと、嬉しそうに笑った。 「神子様がね、教えてくれたおまじない。これをすると、痛いの気にならなくなって、皆笑顔になるのよ!レイ様も、痛い顔じゃなくなったでしょ?」 「…神子様が?」 「そうだよ!みんなに教えてくれたの!あれ、レイ様まだ痛いの?痛いの痛いの、遠くのお空へとんでけ〜!…どう?よくなった?」 「…うん。もう1回やってくれるかな」 「うん!痛いの痛いの遠くのお空へとんでけ〜!」 はらはらと涙が溢れる。 名前も知らない少女が、一生懸命キヨから習ったというおまじないを唱えてくれる。 (こんなおまじないも広めてたのか…) そして子どもたちがちゃんとそれを覚えてくれていた。 (…本当に、オレは何も知らなかったんだな) キヨと子どもが何の遊びをしてたのか聞いてはいても、どんな会話をしてたのか何も知らなかった。 キヨの年齢だけじゃなかった。全然知らないことだらけだ。 ずっと一緒に住んでたはずなのに、キヨの辛さも、悩みも、全然理解できてなかった。 (…キヨはずっと、こんなに辛かったんだな) きっと違う世界で生きているはずなのに ある日突然大切な人に2度と会えなくなることが、こんなにも辛いだなんて…オレは全然知らなかった。

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