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エピローグ

 学校から帰ってきてから、俺は何気なく郵便ポストを確認した。そこには、今まで見たこともないくらい厚い茶封筒が入っていて、困惑した。  しかし差出人を見て、思考が止まった。差出人は、凪斗の入院していた大学病院。気付いたら俺は、家の中へと駆け出していた。  そして、母さんの驚いたような声も無視して部屋へ駆け上がり、俺はその茶封筒の縁を勢いよく破り開けた。  一日たりとも、俺は彼のことを忘れたことはなかった。でも彼のことを思って、会いに行くのはできなかった。  連絡も取れなくて、彼が今どうなっているのか、それを知るのもできなかった。それでも彼の無事を願って、ただ想い続けて日々を過ごしていた。  どうか無事でありますように、そう願いつつも、その中身が何なのか、俺は何となく察しがついていた。  もし彼が快方に向かっていたら、こんなものを俺に送るはずがない。だから、恐らく彼は―― 『まずは、必死に生き延びて作家になる、秀のその言葉は守れなくてごめんね』  中身は、原稿用紙が何百枚も入っていて、一番上の原稿用紙に、そう書かれていた。その言葉が目に入った時、気付けば涙が零れていた。 『でも秀に僕の作品を読ませる、その言葉は守れたよ』  それを見て慌てて他の原稿用紙を見ると、それは確かに小説らしき文章が書かれていた。それから俺は、無我夢中でそれに読み耽った。  それは凪斗の私小説だった。無口で無表情な凪斗とは思えないほど、文章の上の彼は饒舌で、表情豊かだった。それは今になって新しい凪斗を発見しているようで、思わず笑みが零れた。  凪斗は全てを達観して諦めていると思っていた。でも本当は、やりたいこともたくさんあったのだ。喘息持ちだから、人付き合いが苦手だから、親に捨てられたから仕方がない、そんな言葉で片付けようとしては、片付け切れない思いを嘆いていたのだ。  凪斗は、見た目ほど大人びていなかった。ちゃんと、子供らしい部分もあった。  それは現実に基づいていて、現実とは違う部分は三つ。  一つ目は、先生を女医として描いている部分。恐らく、世間一般的には同性愛が認められないことが分かっていたのだろう。そしてきっと同じ理由で、二つ目は俺の恋心は伏せられていた。  三つ目は、物語の中の彼は、奇跡が起こって肺がんから生還していた。――口ではどんなことを言おうと、凪斗だって本当は生きていたかったに決まっている。この小説には、彼のそんな叶わぬ願いが詰まっているようだった。  何度も涙で読むのを中断しそうになっては、何とか読み終えた。  そして読み終えた後、最初の凪斗からの言葉が記された原稿用紙の裏に、何かが走り書きされているのに気が付いた。そこには、 『もし秀がこの作品をどこかに発表してくれるのなら、ペンネームは使ってほしいものがあるんだ』  そして書かれていたペンネームには、凪斗の思いが滲み出ていた。 「凪斗らしいや」  思わず零れた言葉は彼の生前にもよく言っていた言葉で、その言葉が自分の耳に入ると、いよいよ涙が止められなくなった。  もう二度とこの言葉を口にすることはないだろう、そんな当たり前のことが、今になって気付いた。  彼の一番はどう足掻いても先生だった。それでも、彼は決して俺の存在を忘れた訳ではなかった。先生ほどではないにしろ、恋愛ではなく親愛だったにしろ、俺のこともちゃんと愛してくれていた。  それと、彼はやっぱりどうしても、自分を深く愛することはできなかったのだろう。それでもこれを書いた、恐らく死ぬ間際の彼は、少しは自分のことを認められたのだろう。  そのペンネームを見て俺は、そんなことを感じた。  ――そこに記されていたペンネームは、瀬尾秀斗(せおしゅうと)

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