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1-王子様はピアニスト(1)

月のない空は暗く、疾走する車のライトだけが緩やかに蛇行したルートを照らしている。 こんな深い時間になっても、高速道路に車は絶えない。 もし上空から長時間露光でカメラのシャッターを切ったら、さぞかし美しい光跡が撮れるだろう。 「例の大阪のコンサートの件ですが」 その光の帯の中、運転しながら俺は後部座席に向かって切り出した。 「あー」 気のない若い男の声が返ってくる。 バックミラー越しに、シートに長身を預けて、ウェーブのかかった前髪を長い指で暇そうに弄っている姿が見えた。 「演奏のあと対談で決まりだそうですよ」 「はん」 呆れかえったような吐息が車内の空気を震わせた。 若い男は前髪を弄るのを止めて堂々と顔を上げ、隣のシートのヘッドレストに腕をかけて尊大な態度をとる。 「馬鹿だ馬鹿馬鹿。馬鹿ばっか。対談なんて誰も聴きたがらねぇよ。しかもその分演奏時間が減るじゃねぇか。相手は?」 「三浦陸さんだそうです」 「決定!俺は降りる。圭吾にでもやらせろ」 出た、毒舌ワガママ王子。案の定だ。 俺は車の走行音に紛れるようこっそりと溜め息をついた。 いや、どうせ溜め息ついてることなんてバレてるんだろうが。 一応礼儀だ、礼儀。 「駄目ですよ。先方から小原(おばら)(ゆう)がいいって名指しで依頼されてるんですから」 「それをうまく断るのがお前の仕事だろ、颯人」 「私はおいしい話は可能な限り引き受けるのが仕事です。いい機会だと思いますよ、関西方面に顔を売っておくのに。三浦さんは関西で人気ですからね」 もちろん小原悠の人気は全国に広まっている。 だがしかし、あくまでも関東中心であり、関西は関東ほどの熱はまだない。 今回のコンサートは関西に踏み込むいいチャンスなのだが……。 「No,Thank you.それはまた別の機会にするよ。三浦とは相性が悪いんだ。あと10歳若かったら喜んで引き受けるけどな」 「三浦さん、高校生ですよ」 「くそ生意気な年頃だ」 (あんたと大して変わらないだろ)という言葉が喉までせり上がってきたが、すんでのところで飲み込んだ。 セットしてあった前髪をくしゃくしゃと乱すと、悠さんはあくびを噛み殺した。 「俺は寝るからな。着いたら起こせ。いいか、お姫様を扱うように優しーく起こせよ。この間みたいに平手打ちしたら、飛び蹴りの練習台になってもらうからな」 そう言った数分後には、後部座席から平和な寝息が聞こえてきた。 この寝つきの良さはもはや特技と言ってもいいんじゃないだろうか。 たった今後部座席で眠りについた若い男の名は小原悠。 23歳で、天才ピアニストと世間では目されている。 国内はもちろん、海外に演奏旅行に行くこともある。 演奏の腕前だけでなく、185センチのすらりとしたスタイルのいい体躯にモデル顔負けの男らしくも甘く整った顔立ちで、特に女性を中心に人気がある。 現在、本職のリサイタル・コンサート以外にも、テレビに雑誌にネットにと活躍中だ。 ただし当人は子供好き……はっきり言ってしまうとショタコンで、女性にちやほやされても全く嬉しくないらしい。 そのお陰で浮いた噂は起こらないので、その点ではマネージャーとして楽でいい。 しかし、性癖がマスコミにバレないよう気を遣うので結局胃が痛い。 その上、ファンの目がないところでは白馬の王子様から毒舌ワガママ王子に豹変する。 運転しているのはマネージャーの俺こと越野(こしの)颯人(はやと)。 今年33歳、身長170センチ、顔立ちが全体的に小作りで、目力があって凛々しい悠さんと比べると特に女性的なのが際立つから、並んで立ちたくない。 元々は小原悠のただの一ファンだった。 それが偶然と悠さんの気まぐれでマネージャー業に転向することになった。

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