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《サンプル版》第8話 欧介

メールが途切れた。 当然か。返信が来ただけマシだ。本当に律は、優しい子だと思う。 隣の家の窓を見ても、カーテンが開く気配はない。 本当は今日、ふたりでホームセンターに行く予定だった。キッチンに棚を作るって言ったら、一緒に行く、作るって言ってきかなかった。 律は昼に遊びに来たら、だいたい夜までいて、夕飯を食べて帰る。だから、今日も律の好きなビーフカレーを作ってやろうと思ってた。 でも、きっともう、一緒に食事をすることもなくなるんだろう。 あんなもの見たあとに、いつも通りになんて無理だ。 欲望にまみれた姿を晒してしまった。 でも、もう仕方ない。むしろ早いうちに露見して良かったのかもしれない。 いずれは分かることだった。最初の出会いがあれなんだから、隠し通せるわけがない。俺がこれ以上律を好きになる前に、離れた方が良かったんだ。 毎日のように遊びにやってくる律に、いつ俺の理性が壊れないと限らない。そんなことになったら律の家族に顔向けできないし、ここに住み続けることも難しくなるだろう。今のうちに、ただの隣人に戻るべきだ。 だからこれで良かった。 そう思うのに、内蔵が引きちぎられるみたいに苦しい。 手遅れだったみたいだ。 ときどき気に入った相手を連れ込んで、あとはのんびり朝顔を育てていけば良いと思っていた。 この小さな街の、無害な住民としてやっと落ち着いてきたところに、律が越してきた。 最初はまっすぐで明るい高校生のまぶしさに当てられただけだと思っていた。律も学校の友達が出来れば、そっちに興味が行くと思っていた。 でも違った。 律は、学校に通うことになっても変わらず、むしろもっと懐いた。必死に冷静を装う俺の気も知らずに。 「彼女とか、いないの?」 「は?何いきなり」 「ずっと俺のとこ入り浸ってるけど、いいのかなって」 「…なんで高校生は彼女を作らないといけないって思うわけ?」 「…モテないの?」 「そこそこモテるから!そこそこだけど…」 「いや、モテると思ってたよ?りっちゃん、顔いいし」 「思ってたんかよ!つか、りっちゃんやめろ!」 彼女を作らないのは、そこまで好きになれないんだと言っていた。女の子といるより、俺にいろんな知らないことを教えてもらう方が楽しいと言うのだから。勘違いもしたくなるというわけで。 律は、俺に恋愛対象について尋ねることはなかった。 聞くのが怖いということもあるだろうが、それよりも、思いやりのようなものを感じた。個人の嗜好を非難しない強さが、律にはあった。 多分それに、俺は甘えたんだ。 聞かれないから、蓋を閉めたまま普通に接し続けられたら、と。 携帯電話が急に震えだした。 律ではないのを分かっていながら、期待して画面を確認した。 意外な人物の名前に、受信するのを躊躇った。少し見つめて、通話ボタンを押した。 「もしもし」 『…欧介?』 「そうですが…」 『モン・サン・ミッシェルの芦沢です。久しぶり』 「芦沢さん…」 『急に連絡して悪い。少し話したいことが…』 俺は、芦沢からの電話を受けながら、もう一度律の部屋の窓を見上げた。やはりカーテンは閉まったままだった。

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