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第2話
エヴァンタの勤め先は水上都市の隅にあった。夜に賑わうネオン街で用水路に架かる大きく丸みを帯びた橋を渡る。水面にピンクやパープルやグリーンのライトが揺れていた。欄干に腕を置いてじっとして水面に目を凝らす。_ぼうや
人工的な色彩が輝く川から目を離した。耳元で囁かれた気がして、きょろきょろと辺りを見回す。
ぼうや
上擦った男の声にも思えたが、掠れた低い女の声のようにも思えた。生温かい潮風に頬を撫でられる。それが悲痛な色をを帯びて聞こえた。
「お母さん?」
悲しみに打ち震えたものの響をその中に見出した。幻聴だったのだろうか。周りは、ネオン街の騒がしさに少しの距離を置き、地震と波浪を警戒して人は減っているもののそれでも人気 のある観光地の賑やかさが橋を隔ててあり、静寂はなくともうるさくはなかった。
ぼうや
背後を取られる。首を振る。エヴァンタと同じ香りが散った。
「お母さん…?」
両目を覆われる。ネオンに沈む夜が見えなくなった。質感はあるが体温がない。
「誰…?」
危機感はなかった。敵意も感じなかった。戯れのようで、懐かしくもある。優しい手付きに狼狽もなかった。
かわいいぼうや…
それは男の声だった。耳元に息吹さえ届きそうなほどに近くはっきりと聞こえた。恍惚としているが暗い雰囲気のある声音で、シェルキオはペンギンの腹を2度3度押さずにはいられなかった。足元が揺れ、今日で4度目の地震だった。布で作られたペンギンが鳴く。働いている贈り主は怯えていないだろうか。あの保護者は夜中の地鳴りに驚いて同衾している迷子に抱き付くのだ。
おいで…帰っておいで…
大木を前に車内で眠るティラパッツァの嘆きに似ていた。まさかティラパッツァが呼んでいるのか。シェルキオはまた返事の代わりにペンギンを鳴らした。コレイゾンハーヅに戻ろうとレンガの敷石を蹴る。両目を覆っていたものからは容易に抜け出せた。
あの人も待っているから…
何が見えたわけでもなかった。エヴァンタを追う黒い人の形をふと揺れた光に見てしまったのだ。不安に駆られ、ペンギンポシェットの白い腹を鳴らし気を紛らわせる。ティラパッツァの態度も気になった。何か言おうとしていたのは伝わったのだが、何を言いたかったのかまでは分からなかった。"事故"の報告でもしようとしていたのかも知れない。もしくは怪我でもしていたか、特に喋る相手もいはしないが口止めがしたかったか。思い当たるのはそれくらいだ。ペンギンの腹に埋め込まれた鳴き笛が止む。女の声が後ろから聞こえた。聞き慣れない人名を口にしていたが、対象は犬かも知れないし、猫かも知れない。あまりペットの散歩には向かず、地域猫もそう見当たらないこの辺りならば、入り組んだ水路に迷い込んだアザラシやイルカのことかも知れない。
おい
肩に手を置かれ、シェルキオは振り返った。シェルキオの顔を見て、銀髪の女が緑色の双眸を、ネオンを映した眼鏡の奥で丸くした。ディムグレー地にホワイトグレーのストライプが入ったスーツは、ネオンの街中でもよく見るが女の服装としては珍しかった。
無事だったのか。たまには連絡くらいしたらどうなんだ?世話を焼かせないやつだとは思ったが…
銀髪の女は安堵した様子で項垂れ、そのまま喋るせいで篭って聞こえた。
「すみません。貴方は誰ですか」
女は面を上げ、鋭利な印象を受ける顔立ちをさらに鋭くした。細い眉が動いた。
「誰かと間違ってますよ」
女の不機嫌そうな表情に怯み、不安は手癖となってペンギンの腹を弄ぶ。女の観察し見定めようとする視線に耐えながら暗い中でも分かる緑色の目を迎えた。女は黙り、諦めたのか肩に置いた手を下ろす。聞き慣れない名をまた呟いて、それから、違うのかと確認された。
「俺、シェルキオっていいます。その名前にも貴方の顔にもやっぱり覚えがないです。きっと人違いですよ」
銀髪の女は落ち着いた様子で、そうか、と言った。
こんなに似ているのにな。
鼻で嗤うような、口の端だけが持ち上がる笑みを浮かべた。悪かったなと一言残し去っていく。肩まで伸びる銀糸がネオンの光を受けて輝いた。ヒールのある靴が石畳を鳴らす。ネオンの街とは反対の観光名所である繁華街へ向かっていく、シェルキオには見慣れない女性の後姿を数秒だけ眺めた。似ている似ていないでいえば、女の顔にはまるで覚えがないがどこか彼女の雰囲気を知っていた。不機嫌そうな表情と緑の目を。思い出そうとしたところで地が揺れた。安定感のあるベッドタウンと違い、水上都市はいたるところにヒビが入り、規制されている建物や区間もあった。そのうち足元から地割れが起きてネオン街も自身が別かたれてしまうのではないかとすら思った。橋の欄干に手をついて、激しく揺れる地に踏ん張る。水面が光を放っていた。ネオン街の鮮やかな煌めきを借りたものではなく、水中から光を発している。シェルキオは揺れに耐えながらその光を凝視した。奥底から照らされている海水が生き物よろしく呼吸をしているように見えた。小さく蠢いている。海のその息吹が、成長の余地を告げる。シェルキオは逃げ出した。海に呑まれてしまうのではないかと思った。エヴァンタを抱き締めたまま用水路に飛び込んだ時は何の躊躇いもなかったが、海の息吹が恐ろしかった。ネオン街を走り抜ける。コレイゾンハーヅはその奇特さから端にある。同じ区画には他にも老女性風俗や半裸レストラン、性人形愛好館、カップル覗きホテルや獣姦バー、魚類死姦クラブなどがあった。しかし獣姦バーは当地の自然愛護団体、魚類死姦バーは役所の観光課と環境衛生課によって違法性が認められ開店間もなく潰れてしまった。コレイゾンハーヅのある北エリッセのネオン街第6区に入る直前で団体と出会 した。爪楊枝で歯茎を突つく高齢の女性の集団だった。男性従業員をアイドルに見立てたスポーツジムで、女性を主な対象としていたが男性客もいるらしかった。2階がガラス張りでランニングマシーンを使用している会員が見えた。
おお、随分色艶のよいのがいるのぉ…
おいおい、ありゃあ迷子 だんべに…
ほれ、波浪警報出とるが。帰 れ、帰 れ
ジムの明かりを浴びて立ち尽くすシェルキオについて、ジムで汗を流してきたばかりらしい高齢女性たちは集団の中でひそひそと話していた。だがシェルキオはそれどころではなかった。耳鳴りがするのだ。地鳴りのような、大地の軋みのようにも感じられた。ペンギンのポシェットを握り締め、耳の奥の軋轢をやり過ごしているうちに高齢女性の集いは興味は示していたが、どこかで何か食べる話をしながら少しずつ繁華街の方角に向かっていった。ペンギンのポシェットを鳴らす。怖くなり、動けなくなる。エヴァンタの顔を見ないと落ち着きそうになかった。ペンギンの腹に入った綿が偏ってしまいそうだった。エヴァンタは怯えていないだろうか。柔らかな白い布を揉みながら、漠然とした緊張を紛らわせコレイゾンハーヅに急いだ。表口のある道に入り込む。突き当たりに見える堤防に先程見かけた銀髪の女がいた。ネオンの届かない場所で夜空を見上げている。ペンギンが腹の前で鳴いた。
おお、新しいホールか?にしてもやけに若 ぇな
まぁずかわいいんじゃねん?
足を縺れさせる男と、彼を支えたる男2人がシェルキオの背中にぶつかった。へひひと酔っ払い独特の高い引き笑いをして支えられている男はシェルキオの首に腕を回す。
「えっ」
飲むぞ~、地震なんざ怖かねぇんだよ、おれぁ~
案内せぇよ、ナイスガイ2人ね~
コレイゾンハーヅの扉が葡萄のように列なった鈴束を響かせながら開かれた。芳しい化学薬品が鼻を通り抜ける。段差や柱で仕切られた黒いテーブルや革張りのソファや椅子が部屋にいくつもあった。スーツ姿の若い男が出迎える。シェルキオを連れ込んだ2人組の名を確認し、シェルキオに戸惑う。新しいホールなんさ!と威勢よく笑い、従業員は形式的な説明を進め、恭しくテーブルへ案内した。シェルキオの身柄はまだ解放されずそのまま指定されたテーブルまでも連行された。ソファの端にある柱に追い込まれる。1人で歩けない男はシェルキオの腹で揺れる平べったいペンギンを始終揉んでいた。
「おいおい、ぼうず!マジか!」
古典音楽が流れ、花瓶やぬいぐるみやシーグラスなどで飾られた落ち着いた雰囲気の店内に驚いたような声が上がった。露出の多い派手な服装の女たちに囲まれていたエヴァンタが立ち上がり、光沢のある黒い革張りのソファに座ったシェルキオの元へと大股でやってきた。
「エヴァンおじさん、地震は大丈夫でしたか」
「おう、それはまぁ、大丈夫だけどよ…」
シェルキオの隣に座った酔っ払いはまだペンギンを放さなかった。
おおイヴちゃん、イヴちゃんの知り合い~?
なんだい、今日はイヴちゃんが相手してくれるんかい
シェルキオを連れ込んだ男の1人がエヴァンタの肩を抱き寄せる。ペンギンを握り潰す男は衣類から紙幣を数枚、よく磨かれているおかげで天井にある華美な照明器具まで映す黒テーブルにばら撒いた。げらげらと笑ってシェルキオに縋る。
おいホールぅ、ボサッとしてねぇで水 、水
酔っ払いはシェルキオの頬の感触を愉しみながらぺちりぺちりと指で顔をはたく。
「お客さぁん、そいつぁうちの従業員じゃねぇんでさ。まだケツの青いガキでして」
なにぃ、じゃあこういう店は初めてなんかい?うん?
シェルキオは綺麗にスーツを着こなし、髭に櫛を入れたエヴァンタの姿に見惚れていた。隣の酔っ払いはペンギンを引っ張り、紐が首を圧迫する。
景気がいい!ガキんちょ!おじさんが社会を教えたるわぃ!好きな物頼みなっせ!ほれ、メニュー!
「えっ!そんなっ、エヴァンおじさん!」
突き出されたメニュー表を受け取りはしたものの、どうしていいのか分からずエヴァンタに助けを乞う。だが酔っ払いはシェルキオに絡み、メニュー表を引っ手繰るとあれこれ説明を始めた。話が長たらしくシェルキオは急いた。指名料が別途2万クオーレかかるとも気付かず、たまたま目に入った"ラブポーション"を注文する。周りから歓声が上がる。酔っ払いは、マジか~と言いながらも、直後に景気がいい!と喚いた。コレイゾンハーヅの制服を着ている40代後半から60代前半までのホストたちは青褪めた。酔っ払いは指名は誰にするのかと迫る。シェルキオは怯え、首を振る。誰にするのかと問われても、知らなかった。エヴァンタはにやにやと笑っている。イヴちゃんにしろ、イヴちゃんにしろ、と隣の隣のまだ完全には酔っ払っていないほうの男が囁いた。流されるまま、エヴァンタを指名する。払い甲斐がある!とまた大声を上げ、ばら撒いた紙幣を寄せ集めた。
油膜が浮いたように液面が虹色に照る、透過性はあるものの不自然なピンクとも淡いヴァイオレットともいえないものがグラスに注がれ、シェルキオのいるテーブルまで持ってこられた。自分が飲むものなのかと思いグラスに手を伸ばす。白くすべらかな手を毛だらけの手に叩かれた。エヴァンタがグラスを手に取る。
「エヴァンおじさん?」
「何だか分からんものを飲むんじゃねぇや」
口に入れるには禍々しいほどにわざとらしく香り、弱い粘性のある液体が入ったグラスをエヴァンタは傾ける。
「エ、エヴァンおじさ…っ」
露わになる喉が上下した。再び歓声が上がった。シェルキオだけが魚のように口をぱくぱくさせていた。
ポーションコール!ポーションコール!
ホールにいた従業員や客は右手を突き上げ、一斉に凱歌のような大声が響き渡った。
面白き世を面白く!もっと進んで面白く!ポーションコール!ポーションコール!水都を彩るシルバーウルフ!夜空を煌めくバタフライ!飲みます、飲みますポーションコール!ポーションコール!
男女様々、老若様々な歌声がよく磨かれた床を小さく揺らした。シェルキオは戸惑いながら少しずつ顔を赤らめながら俯くエヴァンタを見ていた。スタッフルームへ続く洒落た扉から奥に控えていたらしき他の従業員が、その後にティラパッツァが現れた。
今夜も元気にポーションコール!ポーションコール!捧げよ、捧げよ、ハートフル!胸に灯すはコレイゾン!輝くハーヅに誓います!ポーションコール!!
最後の「ポーションコール」の部分で場は最高潮の盛り上がりを見せた。まだ騒がしかったがそれすらも静寂に思えるほどだった。雑用係らしき若いスタッフが全テーブルや従業員たちにグラスを配った。シェルキオも半ば押し付けられるようにグラスを受け取る。扉脇にいたティラパッツァは優雅な物腰で若いスタッフが押すワイン瓶の山とテーブルを回り始めた、グラスにアルコールを注ぎながら一言二言客と話していた。シェルキオは何かまずいことをしてしまったのではないかという気がした。
「ぼうず…まぁ、座って飲めよ…じゃなくて。ケツの青いガキですからって断るんだぞ。ぼうずに酒飲ましたらお縄だ、お縄だ」
顔を真っ赤にしたエヴァンタが引き攣った笑みを浮かべながら平静を装い、落ち着きなく立ち尽くすシェルキオに言った。ティラパッツァがテーブルにやってきてシェルキオを連れ込んだ2人組をもてなした。
「こいつぁまだガキですから、どうぞ御二方のどちらかで頼みますわ」
2人組はにやりにやりと笑いながら何かを決めはじめた。シェルキオはエヴァンタと2人組へ首を忙しなく振った。何の話なのかまるで分からないのだった。シェルキオのペンギンを弄んでいた方が立ち、まともに歩けなくなっているエヴァンタの肩を抱いた。ホールの中心にある、段になっている舞台のような場所に上がっていく。そこにはガラス製なのか透明な、背凭れの深い椅子とショッキングピンクの羽毛立ちした生地のクッションが置かれている。エヴァンタは座す前に着ていたスラックスを脱ぎ始める。オーナーは止めないのかとティラパッツァを探せば、スタッフルームへ帰るところだった。付添人と化していた2人組の片方は、エヴァンタと共にガラスの椅子に座った。膝に乗せているようにも見えたし、大股で間に挟むようにも見えた。若いスタッフがコードを気にしながらマイクを設置する。何か不穏な空気を感じシェルキオはティラパッツァを追った。スタッフルームの廊下は暗かった。ティラパッツァを呼ぶ。光の漏れたドアを開ける。だが開けるより先にノブに手を掛けた瞬間、木板は引かれた。
「こらこら。部外者は立ち入り禁止ですよ」
あくまで柔らかく、まるで注意とも思わせない調子だった。腰を屈め、目線を合わされる。
「す、すみません…でも、いいんですか、エヴァンおじさん…」
「ええ、あれはポーションサービスといって、お客様がポーション系の注文をしてくださった時に催されるんです。ですから、大丈夫ですよ。皆さん慣れていますから」
「ティラパッツァさんは参加しないんですか」
眼鏡の奥のヘテロクロミアは違うことを考えていたらしかった。しかし瞬時にシェルキオに意識が戻った。
「僕は参加しません。少し刺激が強かったでしょうか。もう少しここにいることも出来ますが、どうなさいますか」
「ここにいてもいいですか」
「ええ。お気の済むまでいるといいですよ」
そう言ってティラパッツァに髪を撫でられながら入口脇のソファを勧められた。ふわりと埃の中でくしゃみをしたように光が散らばった。互いにそのことを忘れたようにティラパッツァは部屋の隅に置かれた机へ向かった。紙の音や電卓を叩く音がした。そのうち古めかしい音楽が流れた。シェルキオは革張りのソファに座りオーナーの後姿ばかりを眺めていた。暫くするとティラパッツァは立ち上がる。
「少し空けます。ホールに行くだけなのですぐに戻って来ますが」
真っ黒い軸に黄味の強いラインがアクセントになっているペンを置いてティラパッツァは上品に椅子から立ち上がり、シェルキオにそう言った。
「そろそろ俺も行きます」
苦笑を送られるが、長居に遠慮の気持ちはあったくせ帰るタイミングが掴めずにいた。この流れに乗ることにした。足元にご注意ください、とオーナーは恭しく扉を開け、暗い廊下を共に通った。ホールは賑わいを増していた。マイクがさらに喧しくさせていた。
「あひっ!んほぉ!おっ、おぉんっ!あひぃっ!」
入った瞬間に後ろから両耳を塞がれた。光が舞う。目の前に回ったスーツに出てきたばかりの扉に押し戻される。
「おっ!おっ!イくっ!イくっ!ミルク出るぅっ!」
マイクに拾われた喚きにも似た声はエヴァンタのものだった。びっくりしてすぐ傍にいた者の顔を見た。
「まだ少し早かったようです。これから乾杯の音頭をとらなければなりませんから。貴方は裏口から帰るといいですよ」
「な、何をしてたんですか…エヴァンおじさんは大丈夫なんですか…?」
1人にされそうになり、腕時計の光る手首を咄嗟に掴む。暗い廊下にわずかな明かりが灯った。シェルキオが口を開く前にティラパッツァが話す。
「ラブポーションで高まった身体を解放しているんです。何も心配することはありませんよ」
扉越しに拡声されたエヴァンタの、おおよそ理性的でない雄叫びが聞こえる。掴んでいた手首が逃げ、シェルキオの両耳を守る。小さな照明でティラパッツァに促されながら裏口に向かう。
「気を付けてお帰りください」
裏口から出ると挨拶もそこそこにティラパッツァは慌ただしく乾杯に向かっていった。コレイゾンハーヅからは出たがエヴァンタを待つためまだ帰れない。不安が残りながらペンギンをキュピキュピ鳴らした。潮騒を聞きながら道に添い、堤防の横を抜け、コレイゾンハーヅ入口前を通って大通りに出ようとしたが、まだ夜空を見上げていた銀髪の女がシェルキオに気付いた。ひどく悲しげな表情を見せられ戸惑う。
「飛び込んじゃ、ダメですよ」
どうだろうな。
銀髪の女は取り繕うように苦い笑みを浮かべてそう答えた。
「ダメですよ。この都にそんな物騒な…」
意外と多いぞ。赦されなかったカップルとか、借金を苦にした若造どもとか。
「ダメですよ」
飛び込みはしないさ。ただちょっと…
銀髪の鋭い顔立ちの女は言いかける。じっとシェルキオを眺め、口元に柔らかな笑みを浮かべた。本当によく似ているな。女は優しい顔をした。
「人違いの人ですか」
背丈も声もよく似てる。仕事の都合で面倒を看ていたんだかな、いい子だった。弟みたいな。でもある日、失踪しちまったよ。
頷いてからぽつりぽつりと話される。本人なのではないかとすら錯覚するほど親しげで、彼女の認識はむしろそうなのかも知れない。
「帰ってくるといいですね」
いや、なんだかんだ上手くやってるのかも知れない。案外しっかりしているヤツだから。
ところで。彼女の話題はシェルキオ自身へと移る。子供の夜間の徘徊、特にネオン街での彷徨は看過出来ないらしかった。役所勤めで孤児院の管理人をしていると簡単に自己紹介される。何をしているのかと問われ、正直に水商売中の父親を待っているのだと答えた。彼女は小難しく眉を顰める。その後もいくつか質問が飛んだ。いくつかの家庭的な質問に答えられずにいると彼女は自身のことや最近の世間のことについて話しはじめる。シェルキオは聞き役に徹していた。無愛想で睨んでいるようにも思える面構えに時折滲むように現れるはにかみや憂いを眺めていた。
家族のことで困ったらいつでも連絡しろよ。
カードを渡される。役所の家庭問題相談課のアドレスが記されていた。じゃあな。軽やかに手を振って彼女は歩き出す。微かだが酒の匂いがした。
「お姉さんは、パトロール中だったんですか」
銀髪の女は足を止めた。無愛想であるが癖のようになっているらしい自嘲的とも軽侮(けいぶ)の色を含んでいるとも受け取れる陰険な微笑を浮かべた。短く否定の言葉を残して去っていく。
コレイゾンハーヅから出てきたエヴァンタは疲労困憊といった様子だった。シェルキオを見ると、帰ったものかと思ったらしく少し驚いた様子を見せた。顔を赤らめ、それは酒によるものでなく羞恥によるもののようだった。
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