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    第3話(1)

「そういえば今夜のことなんだが」  誘われるまま、ともに食卓に着くとヴィンセントがおもむろに切り出した。  エッグベネディクトにキノコとジャガイモの豆乳スープ、リンゴとキウイ、バナナのヨーグルト()えというメニューでの昼食となった。 「夕方までには仕事を終わらせて、五時頃には出かけるつもりでいる」 「わかりました」  莉音が応じると、スープを口に運びかけていたヴィンセントが手を止めてじっと見つめてきた。 「夜は空いている、ということでよかったかな?」 「あ、はい」  あらためて確認されて、そういえばさっき、早瀬にもおなじことを訊かれていたのだったと思い出した。 「では、急な話で申し訳ないんだが、今夜は少し、時間の都合をつけてもらえると助かる」 「僕ですか?」 「そう。レストランを予約しているから」  思いがけない言葉に、莉音はスプーンを握ったまま固まった。 「レストラン――えっ? 僕がご一緒するってことですかっ!?」 「そうだ。というか、そのために予約を入れた。むろん、君さえよければ、ということだが」 「え? あの、そのためって……急にどうされたんですか?」 「君に家のことを任せるようになってから、まだ一度もきちんと話ができていないのでね。というか、顔を合わせること自体、今日がはじめてだろう? ゆっくり話をしたいとずっと思ってた。早瀬にすべて任せっきりになってしまっていたから」 「あ、でもそんな。わざわざレストランの予約までしていただくなんて」 「たまには外で美味しいものを食べるのもいいだろう。調理の専門学校を中退していると履歴書にも書いてあったし、実際、君の作る食事はいつもひと手間かけられていて素人の域を超えている。ゆくゆくはそういった方面に進みたいという希望があるなら、プロの料理人の味と技に触れる機会はできるだけたくさんあったほうがいい」  そのための機会の場を、わざわざ設けてくれたのだと気づいて驚いた。 「それと、さっきも言ったとおり、ひとりでする食事は味気ない。それから今度、外食産業の方面でもあらたに事業を展開する予定もあるのでね。そのための視察という目的もある。だから君さえよかったら、これからときどき付き合ってもらえるとありがたいんだが」  すかさず入ったフォローがヴィンセントの為人(ひととなり)をよくあらわしていた。気兼ねせずに済むように、という配慮がとてもありがたかった。 「それならば喜んで。こちらこそ、いろいろ考えてくださってありがとうございます」 「とんでもない。君の頑張りにはとても感謝している。出会いはさんざんだったが、むしろだからこそいまに繋がっているのだと思うと、かえってよかったと思うくらいだ」  あの暴漢たちに感謝してもいいというヴィンセントの軽口に、莉音は笑った。 「ダメですよ、一歩間違えたら大変なことになるところだったんですから。記憶が戻らなかったり、障害が残るようなことにならなくて本当によかったです」 「ああいう特異な状況でも、あまり不安を感じずにいられたのは君のおかげだ。名前や住んでいる場所、経歴。ちゃんと把握しているという認識はあるのに、いざ思い出そうとすると雲を掴むようにするりと記憶の中から取り出せずに消えてしまう。そういうもどかしさの中で、苛立ちばかりが募る一方だったときに君が手を差し伸べてくれた」 「でもそのまえに、社長さ――じゃなくて、えっと、……アルフ、さん?」  言い慣れないために半疑問形になりながら確認してしまうと、目の前の美形は満足そうに頷いた。 「えっと、その、アルフさんが僕を守ってくれたのが先なので、僕としては当然かなって」 「情けは人のためならず。つまりそういうことだと?」  さらりと返されて、思わず感心してしまった。 「すごい……」  無意識のうちに出た呟きに、莉音をとらえていた青い双眸(そうぼう)が不思議そうに瞬いた。 「あ、いえ。ものすごく、日本語がお上手だなって思って」 「日本語を母国語にしている人にそう評価してもらえるのは光栄だね」 「僕なんて、二十年近く使ってても、まだ怪しいです」  莉音が言うと、ヴィンセントは声をたてて笑った。 「それはいくらなんでも謙遜が過ぎるだろう」 「いえ、ほんとです。面接なんかになると、すごく緊張してしまって思ったことの半分も言葉にできないですし。あとになって、もっとこんなふうに言えばよかったなとか、こういうふうに答えられてたらよかったのにとか思うこともしょっちゅうですから。面接以外でも、わりと多いかも」 「それは日本語が上手いかどうかとはまた別の話だろう」 「そうなんですけど、咄嗟の切り返しでそんなふうに的を射た答えを端的に返せるのってすごいなって」 「仕事柄、取り引きをするうえでそれなりに場数を踏んでいるからね。こういうのは慣れの問題だ。変にスレていない、素直で誠実な君の反応のほうが余程好感が持てる」  率直な言葉で褒められて、妙に気恥ずかしさをおぼえた。

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