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第2話
その後、一週間経っても捜査に進展は見られなかった。
鍵も付け替えたし、大丈夫だと思うと莉音は帰宅の許可を求めたが、ヴィンセントは一向に首を縦に振ろうとしない。
「犯人が捕まるまで、悪いが帰すことはできない。鍵を替えたところで、またおなじ連中の手にかかればおなじことが起こる。夜中に侵入でもされれば、無事では済まないだろう」
「で、でも、一度侵入して金目のものはなにもないってわかってると思いますし、そう何度もおなじ部屋ばかり狙わないと思うんですけど」
「それでも、あの辺りが物騒であることは変わりない。私を襲った連中は君にも危害を加えようとしただろう。その犯人も、まだ捕まっていない」
鍵を付け替えた程度では、防犯上の面でとても安全とは言いきれないとヴィンセントは言い張った。
「あんな場面に出くわして、君がどんなにショックを受けて怖い思いをしたか、この目で見てる。莉音、これは私の我儘だと思ってくれてかまわない。頼むから、犯人が逮捕されて、なんの問題もないと安心できるまでここに留まってほしい」
ずっと不在にしたままのほうが余程不用心になるのではないかと思ったが、自分を心底心配してくれているヴィンセントに、それを言うことはできなかった。
「もし私と過ごすことが苦痛だというならば、近場のホテルか、セキュリティのしっかりした部屋を用意しよう」
思わぬ提案に、莉音は飛び上がった。
「えっ!? ま、待ってください! ダメですっ、そんなの。っていうか、僕には払えません」
「そんなことは気にしなくていい。うちのホテルか、私が所有している物件のどれかを使えばいいだけの話だ」
「それでもダメです。そこまで甘えさせてもらうわけにはいきません」
きっぱり告げたあとで、おずおずと目の前の長身を見上げた。
「あの、ごめんなさい。ここの生活が嫌だとか、アルフさんと一緒にいたくないとかじゃないんです。むしろその逆で、すごく居心地がよくて毎日楽しいです。でも、アパートの部屋、荒らされちゃったままなので少し片付けておきたくて。あと、郵便物とかも気になるし……」
莉音を見下ろしていたヴィンセントは、しばらく黙りこんだ後に「わかった」と応じた。
「ならば明日、片付けに行こう。土日を使えばある程度はなんとかなるだろう」
「え、まさかそれって……」
「私も一緒に行く。というか、ひとりでは行かせられない。理由はさっき言ったとおりだ。それに、ふたりでやれば作業も捗るだろう」
「で、でもそんな。せっかくのお休みなのに……」
「むしろちょうど休みでよかったと思っている。平日であったとしても、必ずスケジュールを空けた」
どうあっても同行するという意志は変わらないらしい。さとったところで、「莉音」と呼ばれた。
「さっき君は、そこまで甘えられないと言ったが、私はむしろ、もっと甘えてほしいと思っている」
真摯な眼差しを向けられて、莉音はどう答えていいのかわからず困惑の表情を浮かべた。そんな莉音に向かって、ヴィンセントは悪戯めいた笑みを閃かせた。
「困ったときはお互いさま。最初にこの言葉を教えてくれたのは君だ。また私に困ったことが起こったときに助けてもらうためにも、いまは遠慮なく寄りかかってくれてかまわない。むしろぜひ、そうしてほしい」
「そ……」
あまりに強引すぎる理屈に莉音は一瞬絶句し、直後に反論した。
「そんなのずるいです。そんなふうに言われちゃったら、逃げ道がなくなっちゃうじゃないですか」
「逃げ道をことごとく排除して、狙った相手を確実に懐の内に絡めとる。それがビジネスで成功する最大の秘訣だ」
至極真面目な顔で言われて、莉音はとうとう笑い出した。
「そんな秘訣使われちゃったら、僕に勝てるはずないじゃないですか。わかりました。じゃあ、お言葉に甘えてお願いします。ほんとはちょっとだけ、心細かったので」
「無理もない。あんなふうに勝手に自分の家に踏みこまれたうえに荒らされれば、だれだっていい気はしない。気持ちが悪いし、不安になって当然だ」
ヴィンセントの言葉に、胸の裡がほんのりあたたかくなった。
「アルフさん、ありがとうございます」
「礼には及ばない。ただたんに、点数稼ぎがしたいだけだから」
「点数稼ぎ? ですか?」
「そう。莉音は一緒に暮らしている私より、早瀬のほうに打ち解けている。だからこの機に、しっかり距離を縮めて懐いてもらおうと企んでいる」
悪びれる様子もなく堂々と宣言されて、莉音はこらえきれなくなって吹き出した。
「や、やめてください、そんな真顔で。雇い主であるアルフさんに敬意を払うのは当然じゃないですか。早瀬さんはその雇い主の部下なんですから、おふたりを同列に扱うことなんてできません」
「それでも、もう少し気安くなってほしい」
「僕は充分打ち解けてます。早瀬さんとはまだ一度もご一緒したことがないご飯も、アルフさんとは毎日一緒にいただいてますし」
莉音が言うと、ヴィンセントはそれもそうかと妙に納得した様子を見せた。
「私が褒めるせいか、早瀬は莉音の手料理に強い関心を寄せている。食事の時間帯に訪ねてこないよう、注意しておく必要があるな」
どこまでも真顔で言うヴィンセントに、莉音は笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。そんな莉音を見て、あざやかなサファイア・ブルーの双眸がふっとなごむ。莉音の抱える不安を少しでも取り除こうとする意図があっての発言であることはあきらかだった。
軽口にまぎらせて差し伸べられる思いやりが、とても嬉しかった。
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