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第1話 センチメンタル・ジャーニー(1/3)
横浜ホテルニューグランドの「ラ・テラス」で、その人は、椅子に深く腰掛け、寂しげな遠い目で窓の外の景色を眺めていた。哀愁の漂う横顔だった。
冬の晴れた日差しが、きれいに刈り込まれた樹木の生垣の緑を眩しく照らし、時折、船の汽笛も聞こえる。ノスタルジックで美しい風景が、彼の曇った表情と鮮やかな対比を描いていた。
……なんで、この人は、わざわざホストを呼んだんだろう?
こんなに格好良ければ、恋人にも、一夜の相手にも、困りそうには思えないのに。
しかも、こんなに沈んでいるのに、ホストを抱こうなどと、思うものなのだろうか?
ゲイ専門の出張ホスト・サトシは、マナー違反は承知しつつ、今日のお客様が自分を呼んだ動機が何なのか、思いを巡らせた。
彼の身長は、サトシと同じ百八十センチ前後か、もう少し高いかもしれない。年齢は、事前に聞いていた通り、三十代前半だろう。痩身 で小顔で、モデルのような若々しい体型だが、目元や口元に少し疲れが滲 み始めている。
前髪が少し長く、緩 いウェーブが掛かっている、黒い髪。眉尻に向かってやや下がり気味の太い眉。奥二重 だが大きな目も、少し垂れ気味だ。両目がやや離れていることもあいまって、性格の優しさと大らかさを感じさせる。鼻筋が高く通っていて、顎のラインが細く、知的で上品な印象だ。
事前連絡通り、彼は白いタートルネックのセーターに、ネイビーのジャケットを羽織っている。派手さはないが、素材や仕立ての良さそうな上品な服装は、顔立ちに良く似合っていた。
まだ彼が自分に気付いていないのを良いことに、少し離れたところから、サトシは、今日の自分のお客様を観察した。
(他に、同じような服装・年齢の人はいない。この人で間違いない。
……それにしても、首の長い人だなぁ。『タートルネックが似合うイケメン選手権』があったら、間違いなく優勝だな)
自分の服装も、事前連絡通り、グレーのチェスターコートとオフホワイトのモヘアニット、黒いパンツであることを、もう一度確認し、露骨な営業ぽさを消し去った感じの良い微笑みを浮かべ、サトシは、今日の自分のお客様へと歩み寄った。
彼の目を見ながら近付くと、まるで待ち侘 びていた恋人を見つけたかのような目線を向けられ、サトシは軽く困惑した。同時に、先週の店長との会話を思い出していた。
***
「サトシ~。お前、来週の土曜って、まだ一日空いてるよね?」
アポの合間の時間潰 しに立ち寄った出張ホストの店舗でサトシが雑誌をめくっていたら、パソコンのシフト表を確認している店長が、声を掛けてきた。
「はい。まだ空いてますけど」
いつも直前に予約が詰まることが多いのに、まだ一週間以上先の予定を尋ねられた。サトシは怪訝 な表情をしていたのだろう。店長は言葉を重ねた。
「来週の土曜、キャスト一人一日貸し切りたいってお客様がいるんだけどさ。希望するキャストの条件が『身長百八十センチ以上のネコの子』って言うんだよ。
そんなキャスト、うちにはいないからさあ。お前、普段はタチだけど、ネコもできるよな? お願いできないかなぁ、と思って」
「へぇ……。珍しいですね。ネコの子をリクエストするお客さんて、普通、小柄なキャストが好きですもんね。まぁ、良いですよ。ネコ、久しぶりだけど、イケますんで」
サトシは、店長の頼みを快(こころよ)く引き受けた。
「ありがとう、サトシ! 助かるよ!」
店長は両手を合わせて、サトシを拝んできた。
「ちょ、店長、大げさ (笑)」
(一日拘束されて、嫌なお客さんだと最悪だけど、まぁ、何人ものお客さんとこをグルグル回るのもダルイしな……)
***
待ち合わせ場所に指定されたのがクラシックホテルのラウンジだから、変な客ではないだろうと思ってはいたが、予想を遥かに超えるイケメンが待っていたので、サトシは逆に緊張した。
「こんにちは。ユウキさんですか?
僕、『花屋』から来た、サトシです」
サトシは、小首を傾 げて営業スマイルを浮かべながら、今日のお客様『ユウキ』にご挨拶した。自分という商品がいかに魅力的かをアピールする、緊張の一瞬だ。
幸い、これまでサトシは、ルックスが原因のクレームを受けたことはない。
前髪が長めのナチュラルなマッシュルームカットは、明るめのアッシュベージュに染められ、白い肌を引き立てている。二重で少し垂れ気味の大きな目、真っ直ぐな眉、鼻や口は小さめで、ふっくらしている。きれいな卵型の輪郭で、愛らしい顔立ち。手足は細く、まだ少年ぽさを色濃く残す二十二歳だ。
「あぁ……。こんにちは。どうぞ、座って」
彼は、自分の横の椅子をサトシに勧めた。
「はい。……失礼します」
サトシは礼儀正しく、浅めに椅子に腰かけた。
ウェイターがお水とおしぼりを持って来た。ユウキがホットコーヒーを飲んでいることを確認しつつ、注文してもよいか? と、目でお伺いを立てた。ユウキが頷くだけで何を頼むか聞いてこないのを見て、サトシはウェイターに直接告げた。
「ホットコーヒーを一つ、お願いします」
サーブされたコーヒーをサトシが一口啜ると、ユウキが、おずおずと話し始めた。
「俺、出張ホスト頼むの初めてだから、こういう話をするのが普通か、分かんないんだけど。今日、君を呼んだ理由を、聞いてもらっても良い?」
「はい、勿論です。もし、ユウキさんがイヤでなければ」
サトシは、控え目にユウキの話を促した。
「……実は、最近、恋人に振られたんだ。君みたいに背の高い子だった。彼は、バイセクシャルでね。女性と結婚するらしい。情けないけど、今日は傷心旅行に付き合って欲しくて」
ユウキは、その長い腕を椅子の肘掛 けに載せて指を組み、口元だけ微笑みながら打ち明けた。
(失恋か……。それで、あんな悲しそうな顔してたんだ……。確かに『女性と結婚する』って言われちゃ、こんなイケメンでも、勝ち目ないよな……)
初対面の、それも、お金で買ったホストに個人的でデリケートな事情を率直に教えてくれたユウキに、サトシは感心すると共に同情した。
「そうだったんですか……。お辛かったですよね。じゃあ、今日は僕が、精一杯ユウキさんに優しくしますね」
「……ありがとう」
ユウキは、さっきよりも大きく唇の両端を持ち上げて、微笑んだ。サトシを見つめる彼の目元は、少し泣きそうにも見える。
(今日はユウキさんを優しく慰めてあげよう。少しでも、失恋の痛手が癒えるように)
こんな風に、お客様に感情移入して接客するのは、いつ以来だろう、と、サトシは思った。
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