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第2話 センチメンタル・ジャーニー(2/3)
元カレとの思い出の地・横浜での傷心旅行がしたいというお客様・ユウキに、サトシはお供することになった。
ホテルニューグランドを出た後、二人は少し歩いた。最近の天気の話(急に寒くなったね)や、横浜の一般的な話題(花火大会の日はこの辺すごく混むんだよね)など、当たり障りのない話をしながら、山下公園から、海の見える丘公園へと歩みを進めた。
初対面の話題としては常識的な内容ばかりだったが、海を眺めるユウキの眼差しは、常に悲しみを湛 えていた。時折、目を細めて、大切な思い出を噛み締めているように見えた。
サトシは、ユウキの様子を窺いながら迷っていた。
(僕から、元カレさんの話を聞き出した方が良いのかな? まだ思い出に浸ってるみたいだから、しばらく、そうっとしておいてあげた方が良いかな……?)
旧外国人居留地を歩いていた時、立ち止まったユウキが、ふっと顔を上げて、サトシを見た。
「サトシ君、どうしたの? 俺に何か言いたそうな顔してる」
口元だけ微笑みを浮かべたユウキに訊かれ、サトシは、不意を突かれて慌てた。
「す、すみません。不躾にユウキさんを見ちゃって。傷心旅行なんだから、当たり前なんですけど、すごく悲しそうだなって。色々思い出してそうだから、思い出話を、僕から聞いてあげた方が良いのか、しばらくそうっとしておいた方が良いか、悩んでました」
正直に答えたサトシに、ユウキは、口元の笑みを一層深く、反比例するかのように目元を悲し気に細めた。
「気を遣わせちゃったね。そうだよな、少しはサトシ君に事情を話しておいた方が、俺を扱いやすいよな。
……元カレとは、大学院時代に知り合ったんだ。途中、何度か別れてた時期もあったけど、結局、八年ぐらいの付き合いだったと思う。いわば腐れ縁だね。
バイセクシャルなのは知ってたけど、『女性と結婚する』って理由で振られるとは思ってなかった。俺にとっては突然の別れ話だったから、ショックだったよ」
一呼吸おいて、ユウキは優しく言った。
「……サトシ君は、優しいね。気を遣ってくれて、ありがとう」
サトシは、この場にふさわしい言葉が思い浮かばず、黙って首を左右に振った。
ユウキの目元には、悲し気な笑みが浮かんでいた。薄く刻まれた目尻の皺 に、彼の歩んできた人生が、少なくともサトシよりそれなりに長いことを、改めて感じた。
その後、元町商店街でお茶を飲んで一休みして、中華街へ向かった。夕食時の中華街は、旧正月が近いこともあってか、すごい人出だった。
サトシは自分からユウキの手を握った。少し驚いた顔をしたユウキに、はにかんだ表情で甘えるように言った。
「人がすごくて、はぐれちゃいそうだから。良いですか?」
ユウキは、口元をふっと緩めて、無言で頷いた。
ほとんど中華街に来たことのないサトシでも名前を聞いたことのある、有名なレストランで、夕食をご馳走になった。
「なんでも好きなもの、頼んで良いよ」
ユウキは気前良く言ってくれたが、
「僕、あんまりこの辺に来たことがないから、よく分からないんです。嫌いなものとかアレルギーはないし、なんでも美味しくいただきますから、ユウキさんにお任せしても良いですか?」
サトシは困った表情を作って、上目遣いでおねだりした。
「ここは、フカヒレが美味 いよ。あと、魚の蒸し物かな」
サトシに優しく微笑み返し、ユウキは、すらすらとおすすめ料理をあげ、ウェイターを呼んで注文した。
(僕が食べたいものより、ユウキさんが、この店で懐かしいと思うものを食べてもらった方が良いよね)
「……アイツ、好きだったんだ。ここのフカヒレが。いつも俺の分まで食べちゃってさ。だから、俺、自分で食べるのは初めてかもしれない」
サトシの内心が聞こえたかのように、ユウキが、独り言のように呟いた。
「ユウキさん。僕の分、半分あげますから、今日は、一人半ぶん食べてください。
ホントは全部あげますって言ってあげたいけど、僕もちょっとは食べてみたいから半分こ。どうです?」
サトシが、ユウキの腕をポンポンと軽くいたわるように叩いて、悪戯っぽい表情で提案したら、ユウキは、泣き笑いのような表情を浮かべ、サトシの手をきゅっと握った。
「サトシ君。きみ、ホント良い子だね。あんまり俺を泣かせないでくれよ」
食事の間に、ビールと紹興酒 を少し飲んだら、お酒に強くないサトシは、ほんのり頬が赤くなった。
「大丈夫?」
ユウキが顔を覗き込んで心配してくれたのをキッカケに、彼の肩に凭 れ、腰に手を回した。ユウキは、また元カレを思い出したのか、少し瞳を潤ませてサトシの肩を抱いた。
無言で、赤レンガ倉庫のロマンティックなイルミネーションを眺めながら、みなとみらいまで歩いた。
インターコンチネンタルホテルにチェックインしてダブルの部屋に入ると、ユウキはサトシのコートを脱がせてくれた。
(この人、ホントに紳士的だな……。ホストのコートを、女性にするように脱がせてくれるお客さんなんて、見たことないよ)
「お願いしたいことが、二つあるんだ」
ユウキが遠慮がちに言った。
「お店の禁止事項以外でしたら」
神妙 にサトシは答えた。
「ああ、痛いこととか危ないことじゃないよ」
ユウキは苦笑いした。
「一つ目。俺のことを『ヒョン』って呼んでくれないかな。韓国語で、男性が、自分のお兄さんとか、親しい年上の男性に呼びかける時に使う言葉なんだけど。
元カレは韓国人で、俺より年下だったから、そう呼んでくれてたんだ。
二つ目。大好きな恋人に抱かれてるように振る舞ってほしいんだ」
ささやかなお願いを、寂しそうな表情で口にしたユウキの姿に、サトシの胸は締め付けられた。
(こんな素敵なユウキさんを振って、切ない顔させてる元カレって、罪な男だよなぁ……。女と二股かけた挙げ句に、そっちと結婚するなんて)
「分かりました」
サトシが薄く微笑むと、ユウキは、ホッとしたように頬を緩めた。
シャワーを浴びて戻って来たら、先に済ませていたユウキが、立ち上がって腕を広げた。
サトシは素直にユウキの胸に身を委ね、彼の背中に手を回した。ユウキは、優しくサトシを抱き締め、愛おしそうに頬にキスをした。
「ヒョン、大好き」
サトシがそう言うと、ユウキは辛そうに眉を顰 めた後、少し顔に角度を付けて、サトシに近付いた。サトシは、条件反射的にユウキと反対側に顔を傾けた。
「……キスしても良い?」
ユウキは、唇同士が触れ合う直前に、サトシに尋ねた。
「……へっ?」
間抜けな声を出したサトシに、ユウキは、おずおずと言った。
「あの、唇に。もし嫌だったら、悪いなと思って」
「……あぁ! 僕はOKです。ユウキさんが良ければ、しましょう。キスも、いっぱい」
サトシが優しく微笑むと、
「ありがとう」
ユウキは照れくさそうに笑い、そうっと、自分の唇をサトシのそれに重ねた。
唇の表面の薄い皮を愛撫するかのように、ゆっくり左右にスライドさせる。一瞬、唇が離れたかと思えば、サトシの下唇を掬 い上げるように口付け、自分の上下の唇で食み、軽く吸う。
甘くて、優しいキスだった。
口付けられたサトシのほうが切なくなってきて、少しだけ熱を込めてキスを返した。すると、気持ちが昂ってきたのか、ユウキの呼吸が少し荒くなり、次第に、唇を押し付けたり、吸い上げたりする力が、強くなった。
サトシの唇が緩み、開いたのを感じたのか、ユウキが舌を絡めて来た。
「ん……」
サトシは、微かに甘い声をあげた。
「好きだ」
ユウキが、優しく囁いた。
「僕も大好きだよ、ヒョン」
見つめ合い、微笑みを交わすと、ユウキがサトシのバスローブの紐を解いて前を開き、下に落とした。
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