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第2部・第13話 一条の光明

 晴れの日が多くなり、気温もあがってきた。季節はもうすぐ春だ。  その後も、訓志(さとし)はフード・ドライブのボランティアを続けていた。もし勇樹(ゆうき)にやめろと言われても、やめる気はなかったが、意外にも、彼は何も言わなかった。てっきり反対されると思っていた訓志は拍子抜けしたが、勇樹は、訓志が訴えた寂しさや承認欲求の満たされなさに気付けなかったことに、不甲斐なさや罪悪感を感じているようだった。  勇樹との関係には、大きな変化はない。表面上、二人は互いに穏やかに優しく接していた。むしろ、以前にもまして「愛してる」と囁き合い、アメリカ人ばりの頻度でキスしている。  ただ、彼が訓志の不貞を疑った日以降、互いに深く踏み込んで心情について吐露(とろ)し合うようなコミュニケーションは絶えていた。互いに、腫れ物に触るように接している。そのことに訓志は気付いていたが、どうすれば良いか分からず、何もなかったような顔をして過ごしていた。  ディックとは少し距離を保ちつつ、友達として付き合っていた。周りには、変わらない良い友人同士であるかのように見えていただろう。時折、彼が切ない恋心を秘めた眼差しで訓志を見ていることには気付いていたが、かと言って、訓志にできることは何もなかった。  今や唯一の楽しみになったボランティアのある日、訓志が「ハーイ」と挨拶しながら調理室に入って行くと、初めて会う白髪の女性がいた。多くのボランティアに囲まれている。きっと、みんなから慕われている人なのだろう。もじもじ、話の輪に入りたそうにしていると、料理作りのリーダーの女性が、訓志に気付いてくれた。 「あぁ、ミランダ。こちら、初めてよね? 彼はサトシ。最近ボランティアになったのよ。とっても料理が上手いの。あと、歌が凄く上手。日本では歌手を目指してたんですって。  サトシ、こちらはミランダ。このフード・ドライブチームを立ち上げた人よ。最近は身体の事情でお休みしてたんだけど、久しぶりに来てくれたの」 「初めまして、ミランダ。サトシです。去年の暮れから、ディックの紹介でボランティアに参加しています」  控え目な笑顔を浮かべて挨拶すると、ミランダは、大きな指輪をたくさんはめた手を差し出し、満面の笑顔で話し掛けてくれた。 「初めまして、サトシ! あなた、すっかりここで人気者みたいね」  創設者で人気者のミランダが久しぶりに現れ、ボランティアは盛り上がった。料理作りでも、いつも以上に賑やかな笑い声が絶えない。配達に出る際も、みんなが彼女とペアを組みたがったが、ミランダ本人の鶴の一声で、彼女のペアは訓志になった。 「えっ! 僕で良いんですか? 僕よりも長く貢献してる方たちが、みんな、あなたとペアになりたがってるのに?」  訓志は遠慮したが、ミランダは譲らない。 「このボランティアに来てくれた人とは、一度は必ずペアになるのが私の流儀だから」  恐々と周りを見渡すと、他のボランティアも、うんうんと頷いている。全員に平等に接するポリシーを貫いてきた人なのだろう。訓志は、緊張気味に、脚の悪い彼女をエスコートした。  配達中、ミランダは、ずっと訓志の身の上を聞いてくれた。 「ミランダ、あなたって、すごく聞き上手ですね。どんなお仕事をされてたか、聞いても良いですか?」 「少し前まで、キャリアカウンセラーをしていたのよ。色んな学校に行ったり、職業あっせん所に出向いて、色んな人の話を聞くのが仕事だったの」  彼女は優しい笑顔を浮かべた。 「あぁ、なるほど! あなたは聞き上手で話し上手だから、天職だったでしょうね。  ……キャリアかぁ……」  訓志が思わず漏らした嘆きを、彼女は敏感に拾う。 「あなたは、アメリカ市民との結婚で、この国に来たばかりなのよね? まだ労働許可は下りないかしら」 「これから永住権を申請するので、労働許可もまだです。労働許可が下りれば働く権利自体はあるんですけど、ご覧の通り、英語もまだ下手ですし。  ……実は僕、日本でも大学を出てないし、ちゃんとした職業についていたとは言えなくて」  祖母のような年齢の優しいミランダに、思わず訓志は一番の悩みを打ち明けてしまっていた。彼女は全く動じず、うんうんと頷いて訓志の話を促す。 「そうね。英語がネイティブでなく、職歴のない外国人が、アメリカで仕事に就くのが難しいのは事実ね。あなた、コミュニティ・カレッジって知ってる?」 「……それは、大学ですか? 普通のカレッジとは違うんですか?」 「普通の四年制大学は、フルタイムの学生でないと卒業が難しいし、入学試験も難しいけど、コミュニティ・カレッジには社会人もたくさんいるし、学ぶ意欲さえあれば、ほぼ誰でも入学できるの。外国人の学生も多いから、心配要らないわよ。職業訓練にも力を入れているから、就職しやすくなると思う。  もし、学位が必要そうな仕事に就きたいと思ったら、コミュニティ・カレッジから、四年制大学へ編入することもできるの。それから、働きたい会社のインターンシップに行ってご覧なさい。能力があるって認められれば、その会社への就職はうんと楽になるから」  目から鱗とは、こういうことを言うのだろう。全く考えたこともなかった「進学」という選択肢を示され、訓志は一条(ひとすじ)光明(こうみょう)を見た。全てをこの目で確かめるまで期待するまいと、自分に言い聞かせたが、胸が高鳴るのは止められなかった。 「ミランダ、ありがとうございます。僕なんかには大学は無理だと、(はな)から思い込んでました。コミュニティ・カレッジへの進学、調べて検討してみます」  訓志の少し興奮気味に上擦る声、紅潮する頬を見て取ったミランダは、満足げに深く頷き、ウィンクをして見せた。 「どういたしまして。それに、あなたの英語は十分上手よ。とても在米半年とは思えないわ。自信を持って」  その日のボランティアが終わるや否や、訓志は、コミュニティ・センターでコミュニティ・カレッジについて問い合わせた。自宅から通えそうな学校を幾つか教えてもらい、それぞれのパンフレットを貰った。  それだけでは飽き足らず、その足で実際に学校を訪ねてもみた。学生課で、おずおずと入学を検討していると言うと、どの学校でも職員の人が丁寧に訓志の質問に答えてくれ、アドバイスをしてくれた。  学内をぶらぶらと歩き回ってもみた。学生たちの年齢層は幅広く、二十代前半の訓志でも全く浮いていないように感じる。  その夜、訓志は、夕食後寛いでいる勇樹に、思い切って相談を持ちかけた。アメリカ生活が長い勇樹は「コミュニティ・カレッジに通いたい」と訓志が切り出しただけで、頭を抱えて天を仰いだ。 「Oh, my gosh! (何てこった) ごめん、訓志。それこそ、俺から積極的に提案しなきゃいけないやつだった。なんて俺は馬鹿なんだ! 良いアイデアだと思う。ぜひ通いなよ。通うべきだ。学費の心配はしなくて良いよ、俺が立て替える。出世払いで返してくれれば良いから」  久しぶりに、訓志の意見に諸手を挙げて彼が賛成してくれた。胸の中がホカホカと温かくなる。照れ隠しに、訓志はわざと拗ねたように口を尖らせ憎まれ口をきく。 「ふうん、立て替えるだけなんだ? 『俺が払う』って言ってくれるかと思った」 「俺に借り作るの嫌だって言うと思ったからさ。訓志の男のプライドを尊重したんだよ」  ニヤリとした勇樹に強く抱きつくと、訓志の額にキスしながら、勇樹は改まって謝った。 「これまで、君の生きがいに考えが至らなかった。本当にごめん。衣食住に困らせてないから幸せなはずだって、勝手に思い込んでた。君はまだ二十二歳で、色んな可能性を秘めてるってことを、忘れてたのかもしれない。  それと、嫉妬する余りに、束縛してごめん。訓志は魅力的だから、アメリカで絶対モテるだろうなって覚悟はしてたんだけど、現実は俺の予想を軽く超えてたからさ……。でも俺、訓志に余所見(よそみ)させないくらい、もっと良い男になるから。君の良き理解者って意味でね」 「勇樹は、もう十分すぎるくらい良い男だよ。これ以上カッコ良くなったら、悪い虫が付きそうで、僕が心配」  悪戯っぽく微笑んで、訓志は勇樹に口付けた。 「……仲直りってわけじゃないけど、今日、一緒にお風呂入らない?」  訓志の腰に手を回す勇樹の声は、愛情だけでなく、微妙な欲情の色を帯びている。触れられた腰から、俄かに身体は熱を孕みだした。誘惑するかのような流し目で、訓志は、勇樹を見つめた。

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