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09ー15
音や匂いで感情が分かると簡単に言えばリスクを回避出来る。俺みたいなスラム街で生きてきたヤツにとってそれはすごく重要で、生死を分ける選択だって頻繁に起こる環境の中感情が分かるというだけで生存率は一気に上がるのだ。
だから俺は自分が他人とは違う力があり、それがこの乾いた地獄みたいな環境を生き抜く為には有利になるものだと理解した時から殆ど無意識で感情を探るようになった。
時々本当に頭おかしい奴は楽しいって感情だけでヒトをサンドバッグにしてくるから、そういうのだけは感覚だけじゃ回避出来なかったがそれ以外は案外上手く躱せていたと思う。
だから俺は今も生きている。
だけどこの力は良いだけじゃない。分かるが故に裏切りの匂いも、死の音も俺には聞き分ける事ができた。
スラムで生きてれば向けられる感情の殆どが悪意だ。だから俺は悪意にはすごく敏感で、それを回避する為の術なら持っていた筈だった。
なのに俺の異能も、回避する為の術も全く持って意味をなさない事態が起きる。
それがヴァイスとの出会いだった。
「あの時は完全に体がバグったって思った。もう頭ん中ぐちゃぐちゃでさ、何にもわかんねえの」
俺は悪意を感じ取るのには長けている。
けれど、この異能だって万能じゃない。ニイほどの特出した力があればまた別だが、俺のは感情が分かるだけ。それが誰に向けてのものかまではわからない。
「どんだけお前の感情を知ろうとしても体が拒否ってさ、それ含め運命って呪いだと思った」
だが今考えれば、あれは拒否でもなんでもない。俺は悪意を感じ取るのが得意で、その逆は殆ど分からない。もし最初からそれを感じ取れていたならきっと俺たちはもっと早くに分かり合えていたかもしれない。
でも、そんなもしもの話をしたってしょうがないんだ。
「俺、あんたのことすげえ嫌いだったよ。本当に。何回も殺してやりたいって思った」
今俺の鼻と耳に届くものは本当に同一人物かと疑いたくなる程に優しいものだった。
それを教えてくれたのだって、この人なんだ。
「だけど今は、生きてて良かったって思ってる」
信じられない程の悪意からヴァイスを突き飛ばして、代わりに俺の肩が撃ち抜かれたあの日。俺はすごく安心したんだ。守れたって、この人が生きてたらそれで良いやとすら思った。
そこまで思っていたのに、俺はやっぱり臆病だった。
「色んな理由付けして、全部から逃げてた。俺にとって未来を考えるのってすげえ怖いことだから」
日が陰り、室内を照らすものが暖炉の炎だけになる。
「今死ぬかもしれない、そんな感覚でずっと生きてたし、これからもそうなんだって思ってた」
外ではまだ賑やかな声がする。
楽しそうで、満たされている人たちの声だ。
「でも、そう思って逃げるのは卑怯だよなぁ」
腹に回る腕を離して貰い、向き合う様に膝立ちになった。少しだけ見下ろせるその体勢から見えるヴァイスの顔はやはり怖いくらいに綺麗で、脆いとすら思えた。
「…今だってすげえ怖い。未来を約束するのって、本当怖いんだよ、俺」
眉を下げて笑い、息を吐いた。
「…ヴァイス、一回しか言わねえからな」
日が暮れて月が顔を出す。
宝石みたいに煌く紫が、僅かに揺れた。
「俺と一緒に生きて」
空に花火が上がる。
色とりどりの火花が散って、薄暗くなった室内を照らした。
きつく抱き締められた身体が仄かに熱を持つ。腕を回した体が震えているのを感じて、俺まで泣きそうになった。
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