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10ー1
「ソロー」
冬の祭りも終わりいつも通りの日常が帰ってきた日のこと、家で晩飯を作っていた俺に後ろからひょこりと顔を覗かせたイチが声を掛けてきた。
「ん、どうした?」
「いつ王子様のところ行っちゃうの…?」
いつも元気いっぱいのイチが黒い耳をぺしょ、と伏せさせながら問いかけてきた言葉に俺は眉を寄せる。持っていたナイフを置いて目線を合わせる為に床に膝を着くといつもなら飛びついてくるイチがワンピースの裾を両手でぎゅうっと握って俯いてしまっていた。
「…すぐには行かねえよ」
「…じゃあ、いつ?」
あの祭りの日、俺はヴァイスと生きていく選択をした。
それ自体にはなんの後悔もなければむしろ少し嬉しいし穏やかでもある。けれど、選択した事によって生まれる変化もある。
「…ニイにはね、ソロに変なこと言うなって言われたの。でも、でもね、私ソロが居なくなるのいやだよぉ、」
「一生会えないわけじゃねえし、三日に一回は帰ってくるぞ?」
「それでもやなのっ」
「…ヴァイスが家族になってもいいって言ってたろ」
「ソロがお家からいなくなるなんて思わなかったもんっ!王子様がお城から出てくればいいのーっ!」
「イーチ」
ぼろぼろと大粒の涙を溢しながら癇癪を起こした様に泣くイチを抱きしめると小さな両手は抵抗することなく俺の体に周り、力一杯抱きついてきた。
「わかってるもん、ソロが王子様のこと好きなのわかってるけど、寂しいのいやなのーっ」
俺はヴァイスと一緒に暮らす事を選んだ。でも、暮らして行くのは城じゃない。
王城の程近い場所に俺からすればとんでもなく豪華だが、貴族からすれば普通の家がありそこに暮らす事にしたのだ。これは二人で決めた事で、すでにアルヴァロやリドさんの許可は得てある。
「…イチ、」
「困らせたくないけど、寂しいの、」
しゃくり上げる様にして告げられる言葉からは探らずとも悲しみと寂しさが溢れ出ていて胸が痛む。けれど、こればかりは俺も引くわけにいかなくて少しだけ体を離すと止めどなく流れていく涙を拭う。
「俺、イチもニイも大好きだよ。けど、それと同じくらいヴァイスが大事なんだ。アイツもお前らと同じくらい寂しがり屋だからさ、そばにいてあげたいんだ」
「……、」
「イチ、」
唇をキュッと噛んで俯く姿にどうしようもなく胸が痛む。これだけ好きでいてくれることが嬉しくもあり、そして好きでいてくれるが故にとても心が苦しかった。
「…本当に、会いにきてくれる?私たちのこと忘れない?」
「忘れるわけないだろ。それにちゃんと会いにいく。止められたら殴ってでも会いにいく」
「…ふふ、殴っちゃかわいそうだよ」
目を真っ赤にして泣いていたイチがふわりと花の様に笑う。それだけで心底安心して息を吐き出すとまた思い切り抱き締めた。
「わ、ソロ、苦しいよっ」
「そうは言っても笑ってんじゃねえか、このお姫様め」
「きゃーっ」
抱き締めたまま脇腹を擽れば腕の中で小さくて細い体が跳ねる。泣いたあとが痛々しいが、それでも笑ってくれるイチが愛おしくて俺も頬が緩む。
「なあ、腹減った」
そんな俺とイチの触れ合いの時間を憮然とした声で遮ったニイを見ればじとっと目を据わらせていたニイの顔が不思議そうな表情に変わり目を瞬かせた。
「…ソロ、顔赤い。風邪か?」
その問いかけに俺とイチは顔を見合わせて二人して首を横に振った。
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