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第18話 この手を離さない【春樹】

 一度は春樹(はるき)の将来を考えて、岳秋(たけあき)のほうから身を引こうとしていたこと。  改めて「二度と離さない」と言ってくれたこと。  恋の痛みと喜びを改めて肌身で感じ、気持ちを昂らせた春樹は、岳秋の首に回した手に力をこめる。砂漠でオアシスに出会った旅人が水を貪り飲むように、二人は互いの唇を求めた。激しいキスが途切れた時、熱い眼差しで見つめ合う。  お見合い会場だった割烹料理店を出た後、人目をはばからず号泣する春樹を庇うように、岳秋がタクシーを拾ってくれ、二人はまっすぐ自宅へ戻ったのだ。車内では二人とも無言で、ムスッとした表情を浮かべていたが、口を開けば泣き出してしまいそうな状態だということは、お互い分かっていた。玄関のドアを開けた瞬間、靴を脱ぐことすら忘れて、どちらともなく抱き合い、口付けを交わした。 「俺がハルに告白したのは二年前だけど、それより前からお前に()かれてた。だけど、夏実(なつみ)に対する罪悪感がすごかった。『あの日、俺が車で送ってれば』とか『俺との子どもを最期まで守ってくれたあいつが死んだのに、俺だけ幸せになる資格があるのか?』とか。ずっと考えてた。  ……夏実が死んだ後に好きになった人が、ハルだって知ったら、あいつ、どう思うのかな? って、今の今まで悩んだよ」  声を時折詰まらせながら、彼は苦悩を初めて春樹に打ち明けた。後半は涙交じりだった。 「アキ。僕も共犯だよ。同じことで悩んだ。アキ一人だけ悪者になんかさせない。僕だって、アキを必要としてるんだ」  春樹は、涙の(にじ)んだ彼の(まなじり)に口付けた。 「俺たちが死んだら、あの世で夏実に謝ろう」  涙を見せたことが恥ずかしかったのか、彼は照れたような笑みを浮かべ、春樹と額同士をこつんとくっ付けた。 「そうだね。……姉さんの分まで、僕はアキを大切にするから。そう、姉さんに誓ったんだ」  髪を愛おしげに撫で、春樹が優しく囁くと、岳秋の顔が歪む。 「ハル、男前だな。俺がウジウジ悩んでた間に、そんな風にカッコ良く乗り越えてたなんて」  岳秋は、男らしい太い眉をしかめた。目からは、再び涙がこぼれ落ちる。春樹は無言で彼を抱き締めた。これまでは年上の義兄に頼るほうが多かった。でも、どんなに彼が大人だとしても、不安や苦悩を一人で抱えきれない時があるはずだ。 (僕もアキを守る)  固く決意した瞬間、春樹の肩に伏せていた顔をあげた岳秋が、食い入るように春樹を見つめる。 「ハル。最後まで抱いて良いか?」  来るべき時が来た、と思った。唇をきゅっと引き結び、春樹は力強く(うなず)いた。岳秋に促され、手を引かれる。肩を優しく押され、岳秋のベッドに横たわった。 「好きだ」  壊れやすいものを愛おしむような、優しいキスだった。岳秋の右手は、春樹の身体をさまよう。首筋、肩、腕、脇から腰。そして胸。春樹の身体の輪郭を確かめるように、おずおずと触れ始めたと思いきや、パーカーのファスナーを下ろし、素肌に触れ始めた瞬間、急激に愛撫は熱を帯びる。指先だけで、羽毛でくすぐるような軽さで、ゆっくりと焦らすように脇から腰骨へと撫で下ろされた。  その艶めかしい手技に、大きく息をついて身体の力を抜いて快感を逃そうとした。しかし、その呼吸が既に震えていることを、耳ざとく岳秋は聞き付けたようだ。鎖骨へ、そして胸元へキスを落としながら、手早く春樹のベルトとデニムのボタンを外してしまう。快感への予感だけで、春樹の肌は軽く粟立ち、外気に晒された胸の突起は主張を始めている。 「少し固くなってる。まだ触ってないのに」  含み笑いを浮かべ、岳秋はそこに軽く口付け、唇で挟んで軽く吸い上げた。 「う、んっ……」  遠慮がちに声をあげると、軽く歯を立てられた。快感を強引に引きずり出され、春樹はうろたえた。身体の奥から押し出されたような喘ぎ声が漏れる。自分の手で口を押さえると、すぐに岳秋に除けられた。 「もっと聞かせて。ハルの感じてる声」  かぶりを振って軽く抵抗すると、岳秋は、甘やかすように(うなじ)に口付けながら囁く。 「ハル、可愛いよ。もっと気持ち良くなって。全部くれるんだろ? 俺に」  岳秋は、いつもこうだ。普段は不愛想でぶっきらぼうなのに、色っぽい場面になると、こちらが赤面するほど甘い言葉を、臆面なく囁く。包丁捌きは不器用なのに、春樹の身体の敏感な場所に触れる指や舌は、驚くほど繊細だ。彼はこれから、自分の全てに触れるのか。期待と興奮に背筋がぞくぞくする。 「もし、抱き心地イマイチでも、返品不可だから。ちゃんと、もらってね」  照れ隠しに素っ気なく言うと、岳秋は、腹筋を震わせて笑った。 「……ああ。責任は取るよ」  ニヤリと唇の片端を引き上げた笑みには大人の男の色気が匂い立つ。一方、『責任を取る』という、時代がかった台詞がおかしくて、春樹もつられて笑った。  くすくすと忍び笑いしながら、二人は唇を重ね、互いの身体を愛撫し合った。着ているものは全て取り払い、生まれたままの姿で肌を寄せ合う。互いの気持ちを打ち明けあってから、性的な身体の触れ合いは度々あったが、全てを脱ぎ捨てて抱き合うのは初めてだ。  服を着ている時より恥ずかしくない。それに素直になれる。甘える猫のように、顔を岳秋の身体に擦り付けると、彼はぽつりと呟いた。 「お前、抱き心地良いよ」 「……へっ? まだ最後までしてないじゃん」  何を言っているんだ、この人は。まじまじと見つめると、岳秋は悪戯っぽい笑みを浮かべ、内緒話を打ち明けるように囁く。 「キスすれば、だいたい分かる」 「……キスで、僕のお尻の具合が分かるわけ?」  疑わしげに問うと、岳秋は声を立てずに笑った。 「セックスって、穴に棒突っ込むのと訳が違うんだぞ。プロセスを一緒に作り上げていくものだから。キスには、その人の精神性が出るんだよ。だから、相性もだいたい分かる。  ……お前は? 俺とキスして、気持ち良いって思わない?」  問い掛けておきながら、岳秋は、すぐ唇を重ねて来る。これでは返事ができないではないか。春樹は、言葉ではなく、自分の唇で答えることにした。 (アキとのキスが好き。すごく気持ち良いよ)  確かに、言葉を使わないだけで、二人で交わす会話みたいだ。さっきまでは初めて裸で抱き合うことに若干の照れがあり、おずおずと様子を探り合っていたが、次第に、キスの音と吐息の湿度が高くなる。

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