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最終話 Home! Sweet Home!【岳秋】
養子縁組届の提出には、二人揃って区役所に出向いた。区役所に足を踏み入れる直前で、春樹 が岳秋 の腕に手を掛け、引き留めた。
「一つだけ、約束してほしいことがあるんだ」
真剣な目で春樹は訴えた。
「うん。良いよ。何?」
唇を噛んで少しためらった後、彼は切ない願いを口にした。目には涙が浮かんでいる。
「……アキは、交通事故で死なないで」
両親と姉を交通事故で喪った春樹にとって、愛する家族を持つことは、喪うことの恐怖と隣り合わせの感情だったのだろう。今更ながら、養子縁組を渋ったこと、それでもトラウマを乗り越えて岳秋と家庭を築こうとしてくれたことを思い出し、春樹の決意の重さに、改めて気付かされた。
「わかった。交通事故には遭わないように、むちゃくちゃ気を付ける。……お前もだぞ? 俺も、二人続けて愛した人を交通事故で失いたくないよ」
笑顔を作ろうとしたが、口元が僅かに歪んだだけで、岳秋の試みは失敗に終わった。喉に熱い塊がつかえ、飲み下そうとしたら涙が滲む。
春樹は顔をくしゃくしゃにして、泣きたいのか笑いたいのか定かでない、顔の筋肉のコントロールを失ったような表情を浮かべている。交通事故で亡くなった岳秋と夏実の赤ちゃんの遺体を抱き上げた時の彼の表情を思い出した。
「僕がアキを介護しなきゃいけなくなるぐらいまで、長生きしてね」
春樹が背伸びして岳秋の肩に顎を載せ、首にしがみついて抱き付いた。
「お前こそ。十七歳も年下なんだから、俺より先に死ぬなよ。絶対に長生きしてくれよ」
岳秋も泣きながら春樹の細い背中に手を回し、しっかりと抱き締め、その首筋に顔を埋めた。夏実の葬式で抱き締めた時と同じ匂いだった。
自分たちは、十年かけて今ここに辿り着いた。しかし、愛する人を喪う悲しみも、お互いの気持ちも十年前から色褪せていない。
大の男二人が区役所の前で泣きながら抱き合う姿は、喜劇か悲劇にしか見えないだろう。できれば喜劇だと思ってもらいたい。もう二度と自分たちの人生に悲劇はいらない。岳秋は思った。
区役所の戸籍係に養子縁組届を無事提出した後、岳秋は、ほっと息をつき、懐から指輪を取り出して春樹の薬指にはめた。
「俺のセンスで勝手に選んだ。気に入らなかったら許せ」
指輪をはめた春樹の左手を自分の両手で包み込む。
「ハル。俺と結婚してくれて、ありがとう。これからも、ずっと一緒にいて欲しい」
「アキ。僕と結婚してくれて、ありがとう。僕は永遠にあなたのものだよ」
涙目のまま、フフッと照れ笑いしながら見つめ合い、二人は軽く唇を重ねた。そして愛の巣 へと帰って行った。
***
トントントン。
まな板で野菜を刻む軽快な音。そして味噌汁と少し甘い卵焼きの匂いが、寝室まで漂ってくる。
黒崎 岳秋は、いつも通りの朝食を拵 えてくれるパートナーの春樹に感謝しながら、まだ彼の温もりの残る布団を抱き締めて寝返りを打った。布団でゴロゴロしながら彼の気配を感じ、「アキー。ご飯だよー」と呼び掛けられるまでの時間が、岳秋が新婚の幸せを一番素直に実感できる時間だった。
今日は軽やかな足音がする。春樹が起こしに来てくれたようだ。寝室のドアが開く。寝転がったままの岳秋の目に、ネイビーのチノパンとソックスを履いた春樹の足が見えた。
「アキー。ご飯だよ」
岳秋は唸り声を上げて布団から起き上がった。
「うわ、すごい寝癖」
春樹が、岳秋の寝起きの頭を見て、呆れたように軽く目を丸くした。岳秋は、少し小柄な春樹の背後から抱き付く素振りでじゃれついた。春樹は笑い声をあげて逃れようとする。春樹の無邪気な笑顔に、岳秋もつられて笑いながら二人は台所へ向かった。
義兄弟 (完)
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