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第10話 霜降②

 俺は一週間で退院し、一か月もすれば怪我はほとんど完治した。    空気に霜が混ざり始めても、俺は足繫く桐葉の元へ通った。石油ストーブを焚いた部屋で肌を重ね、飽きずに互いを暖めた。桐葉は寒いのが嫌いみたいだった。なるべく服は着たままで、終わった後も俺のそばを離れずに暖を取っていた。ストーブの上で温めたミルクを一緒に飲むと、胸の奥までじんわり暖かくなった。    ずっとこのまま呑気に過ごしていたかったが、世界はそう都合よくできていないらしい。年が明け、いい加減真面目に受験勉強をしなければいけなくなった。桐葉はコツコツやってきたので問題ない。やばいのは俺だ。親にも先生にも怒られてしまった。進学校に行くつもりはないが、それでも多少は勉強しなくてはならない。    しばらく会えなくなると告げると、桐葉は「息抜きしたくなったら来いよ」とだけ言った。   「俺、高校行けるかな」 「あと二か月あんだろ」 「あんま自信ねぇよ」 「私立は受けねぇの」 「願書は出した。でも、やっぱ県立がいいよな」 「まぁ精々がんばれよ」    俺たちの会う頻度はがくんと減った。それでも我慢できなくなることはあって、月に二回くらいは会ってセックスをし、キスをし、手を繋いだ。長居できないのであっという間に別れがやってくる。桐葉が夢に出てきたりして、夢とわかって落胆したりして。    そんなこんなで二か月が過ぎ、高校入試は無事終了した。その翌日だったと思う。俺は女の子に呼び出された。放課後の誰もいない教室で彼女は待っていた。俺はどきどきしながらドアを開ける。   「杉本くん」    長い髪を揺らして、彼女は振り向いた。名前は……何と言ったろう。違うクラスの子だからよく知らない。ただ美人だと思った。清楚系で賢そうだけどずけずけしていなくて、積極的に学級委員長をやったりはしなさそうな、そんな感じの美人。   「あの、俺に言いたいことって――」 「ずっ、ずっと前から、好きだったんです!」    セーラー服の裾をきゅっと握って、彼女は言った。西日が当たり、黒い髪は真っ赤に燃えていた。   「きゅ、急にこんなこと、ごめんなさい。でもどうしても、卒業前に言っておきたくてっ。できれば付き合ってほしいんです」    逆光で表情がよく見えない。俺は不思議と桐葉のことを思い出していた。そうだ、あいつはどう思うだろう。なんて言うだろうか。   「彼女がいるんですか?」 「い、いない。好きな子も、いない……」 「じゃあ」 「でも、その、ちょっと考えさせて。明日またここに来るから! その時答えさせて」    俺は一旦保留ということにし、逃げ帰った。  桐葉とは一緒に帰ったり帰らなかったり、まちまちだ。約束はしていない。駐輪場で会えば一緒に帰るけど、会わなければ別々で帰る。今日は俺が遅かったから、桐葉は先に帰っていた。俺は自転車をかっ飛ばし、桐葉の家に向かった。   「告られた!」  顔を見るなり真っ先に報告する。桐葉はしばし絶句した。   「聞いてる?」 「聞いてる。いきなり何を言うのかと思えば……」    おばあちゃんは留守だった。炬燵で暖まりながら、桐葉がお茶を淹れてくれた。こうしてまったり寛ぐのは久々な気がする。   「告られたんだよ! 一組って言ってた。お前のクラスの女子だ」 「さっき聞いた」 「で、えっと、どうしよう」 「知らん。そんなことをおれに聞くな」    桐葉は鬱陶しそうに顔をしかめた。   「付き合った方がいいかなぁ?」 「知らねぇよ。まずは誰に告られたのか言え」 「えっと、前田さん。前田春香さん。知ってるか?」 「知ってるに決まってんだろ、馬鹿にしてんのか」 「結構かわいかった。ちょっとお前に似てて」 「あぁ? それはねぇだろ。お前の目は節穴か? 前田さんはうちのクラスで一番かわいいって、男子はみんな言ってるぜ。学年内でも上位に入るらしい」 「らしいって……お前はどう思うんだよ」 「さぁな。女は嫌いだ」    おばあちゃんがストックしている雪の宿を食べながら、桐葉はお茶をすすった。俺も菓子鉢に手を伸ばす。大抵、煎餅と黒飴とブルボンの何かが入っている。   「付き合えばいい。かわいかったんだろ」 「いいのかなぁ」 「だめな理由があるか。かわいかったんならそれでいいじゃねぇか」 「でも、前田さんのこと何にも知らないし。好きになれるかわかんねぇ」 「誰だって最初はそうなんじゃねぇの。せっかくだから付き合ってやれよ。勇気出して告白してきたんだろ。まぁでも、もしもそうなったら……」    物憂げに呟いた後、たっぷり間を置いて口を開く。   「おれとお前の関係は、終いだな」    口角は上がっていたけど、物悲しい目をしていた。    俺は元々女の子が好きだ。元々も何も、今だって女の子は好きだ。おっぱいが好きだ。成年向け漫画雑誌もアダルトビデオも、ノーマルに男女が致しているものを見ている。じゃあなぜ桐葉とセックスしているのか。それは俺にもわからない。きっと桐葉もわかってない。   「別に、セフレ解消しなくてもよくねぇか?」  俺は言ったが、彼女に失礼だろと桐葉は言った。全くその通りだ。   「女とヤッたことねぇんだろ? この際だから試してみりゃあいいじゃねぇか。男の尻舐め回すよりよっぽど健全だぜ」  桐葉がそう言うならそうなのかもしれない。俺よりも頭いいしな。 「うまくいかなかったら慰めてやるよ」    桐葉の言葉に後押しされ、翌日の放課後、昨日と同じ教室で、俺は前田さんに返事をした。彼女は涙を一粒流し、笑った。    春休みを使って、カラオケやらゲームセンターやらでデートをした。他には、何回かマクドナルドに行った。デートと呼べるのかどうかも怪しいが、とりあえずデートだ。  彼女に名札がほしいと言われ、恋人持ちの間で名札交換が流行っていたのを思い出した。四角いプレート状の名札で、四隅に開いた穴を使って制服に縫い付けるタイプのものだ。穴にボールチェーンを通して筆箱にじゃらじゃらと提げておくのだ。恋人のだけでなく、友人と交換しているやつもいた。    女の子と付き合うのはなかなかに面倒だった。髪型を変えたり新しい服を着てきた時は気づいてやらなきゃいけないし、その上褒めてあげなきゃいけない。俺の方も身だしなみに気を配らなきゃいけない。桐葉と会う時は何も気にしていなかった。それこそ、学校から直で会う時は学校指定のジャージのまま遊びにいった。それでも一切問題なかった。  それから彼女は頻繁に連絡を取りたがった。高校に入って携帯電話を手に入れたのだが、用がなくてもメールを送ってくる。返信が遅れると彼女の機嫌が悪くなるので、がんばってメールを打った。中学の頃は携帯を持っていなかったし、桐葉も持っていなかったから、こんなことで頭を悩ます必要もなかった。    いちいちこちらの予定を把握したがるのも、やたらと構ってほしがるのも、愚痴なのか相談なのかわからない話を聞かされるのも疲れる。機嫌を損ねた時の扱いにも困った。間違ったことを言うともっと機嫌を損ねる。仕舞いには泣かれる。事あるごとに「私のこと好き?」「嫌いなんでしょ」と言って試してくる。そのくせ一向にヤラせてくれない。    相手が桐葉だったら、と何度も思った。あいつだったらこんなことしない、あいつならこういう時こうするはずだ。ムカついた時はすぐ手が出るし、もちろん俺も殴り返すし、でもそれで終わりだ。俺が誰と会うかなんて気にしてなかった。電話の一本もしてきやがらない。そもそも電話番号を知らないし教えていない。ああ、もう一度桐葉とヤリたい。    俺だって努力はしたのだ。彼女とは高校が別だったけどなんとか予定を合わせて会うようにしていた。メールも、そこそこ返していた。でも夏休みまで持たずに別れてしまった。「私のことを見ていないでしょ」と言ってフラれた。    桐葉とは合格発表の日以来会っていない。一高に受かったと言っていた。市内で一番優秀な県立高校だ。話したのはその程度で、その後は彼女と会ったり入学準備で忙しく、入学してからも忙しくて会わなかった。しばらく会わずにいるとそれが日常になってしまい、ますます足は遠のいた。    結局どうすることが正しい選択だったのか、ずっとわからないままだ。九年後、桐葉と偶然再会するまでは。

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