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第15話 猜疑②

 週末、仕事終わりに駅から桐葉のマンションへ直行し、寝て、朝になったら自分のアパートへ帰る。それが日常になった。桐葉が仕事帰りに俺のバイト先へ寄ることもあったが、それを除けばセックスするためにしか顔を合わせなかった。だから、白昼に桐葉と会うのは珍しいことだった。    俺は亜夜子ちゃんに誘われて新宿のショッピングモールへ来ていた。ちょうどお盆休みで、どこもかしこも人でごった返していた。特に買いたいものがあったわけではないらしいが、夏休みなのにバイトばかりで全然遊べていないのが不満だったらしい。ソフトクリームを奢らされたので、たぶん財布代わりにされている。  女子向けのかわいらしい雑貨店でしばらく釘付けになった。パステルカラーのふわふわしたものが売っていた。「もうすぐ友人の誕生日だからここで何か買っていこう」などと言って、亜夜子ちゃんは本格的に店内を物色し始めた。    亜夜子ちゃんを待っている時に、俺は桐葉の影を見た。はす向かいの雑貨店で見知らぬ男と買い物をしていた。男性向けの小物が売っている店である。亜夜子ちゃんをほっぽり出して、俺は駆け出していた。「おい」と声をかけると、桐葉は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。   「……驚いたな。なんでこんなとこにいるんだ」 「驚いたのは俺の方だ。何してんだよ、こんなとこで」    ちらりと、桐葉の隣に視線をやる。俺よりは背の低い、しかし桐葉よりは背の高い、たくましい体付きの気難しそうな顔をした男が立っている。年齢は赤石よりも上に見えた。   「そっちの人、誰」  努めて穏やかに問うが、焦燥を隠しきれていなかったように思う。 「今井さん。おれの上司だ」    今井さんはきっかり三十度腰を曲げて敬礼する。軍人ばりの堅苦しさに俺は拍子抜けし、つられて会釈をした。 「どうも、友人の杉本です」 「ああ、最近誕生日だったっていう……」    そう言った後、今井さんは思い出したように口を閉じる。桐葉は苦々しい顔をしている。   「すまん。つい口が滑った」 「今井さんって、意外とうっかりさんですよね」    桐葉はむすっと眉間に皺を寄せて俺に詰め寄った。ずいと押し付けてきたのは小さな紙袋である。しっかりした作りのショップ袋で、黄色のリボンが飾られていた。俺はそれを素直に受け取る前に狼狽した。   「え、なに?」 「だからこれ、やるっつってんだよ」    桐葉の言葉が要領を得ないので、代わりに今井さんが話してくれた。   「誕生日プレゼントだそうだ。もらってやってくれ。今日はそれを買いに来たんだ」    先日桐葉と会った時のことだ。既に誕生日が過ぎていたので、「プレゼントは?」と冗談めかしてアピールしてみたのだった。当然桐葉はプレゼントなんて用意しておらず、「めでたい歳でもねぇが一応おめでとう」と淡々と言った。俺も本気で祝ってほしいわけではなかったからその話はこれで終わり。こんな会話を交わしたことすら忘れかけていた。    それなのに、桐葉はわざわざプレゼントを買いに来てくれたのだ。わざわざ会社の先輩に頼んで選んでもらったのだろう。次会う時にこっそり渡そうとしていたのかもしれない。そう思うと、ぎゅっと握りしめられたみたいに心臓が痛くなった。胸が痛くて切なくて、なぜか無性に苛々した。    今井さんは良い上司のようだった。絶対に彼氏ではない。ましてやセフレなんかでは断じてない。そうとわかっているのに、胸のつかえが取れない。心のもやが晴れない。俺の表情に陰が差しているのに気づいたのか、桐葉の眉間の皺はさらに深くなった。   「なんだ、全然嬉しそうじゃねぇな」 「う、嬉しいよ? だってなんか、意外っていうか……プライベートでよくしてくれる上司が、お前にいるなんてさ」    ちょっと棘のある言い方だったろうか。桐葉は肩をすくめ、囁いた。   「なんだよ。いっちょ前に妬いてんのか?」    俺はどきっとして、大きく一歩後退る。桐葉の目、こちらの腹の内を全て見透かしたような眼差しが苦手だった。   「妬くって何を? 餅でも焼こうってか?」 「はは。餅は餅でも、ってな」    鼻で笑ったら、鼻で笑い返された。  桐葉は今井さんと一緒にさっさと立ち去ってしまった。後ろ姿を見送りながら、俺は立ち尽くす。   「……なんだよ、あいつ」 「どうした?」    背後からいきなり亜夜子ちゃんが現れた。驚いて、持っていた紙袋を落としてしまう。   「おいおい、そんなにびっくりしなくてもいいだろう」 「いや、ああ、ごめんね。ほったらかして」 「気にするな。私も杉本をほったらかしてた」    落ちた紙袋を拾ってくれる。描かれたロゴを見て微笑んだ。   「いいものをもらったな。中身は何だ?」 「え? さぁ。まだ見てないから」 「しかし私も運がいいな。さっきの人、例のお持ち帰りさんだろう」    受け取った紙袋を再度落とす。床に着く前に亜夜子ちゃんが受け止めてくれた。   「本当にどうした? 挙動が不審だぞ」 「あ、亜夜子ちゃんが変なこと言うからデショ……」 「お持ち帰りさんじゃないのか?」    沈黙を肯定と受け取ったらしい。   「赤石から聞いたんだ。あの日、女性たちは一人残らず帰ってしまったそうじゃないか。杉本はもう一人いた男のメンバーを連れて帰ったと言っていた。さっきの人がそのもう一人のメンバーなんだろう?」 「いやぁ、その、そういう話は亜夜子ちゃんにはまだ早いんじゃ」 「いつまでも子供扱いするな。私ももう高校生だぞ。男同士だからって隠すこともないぞ。諏訪部店長だって……」    歯切れが悪くなったのは、本人のいないところで勝手に喋るのはよくないと思ったからだろう。   「それなら知ってるよ。でも、ほら、あいつと俺って微妙な関係だからさ。亜夜子ちゃんに紹介するのはまだちょっと……」 「付き合っていないのか?」 「んー、まぁそのうち? 今はまだね、微妙なアレなんだよ」    俺は曖昧に笑ってはぐらかした。   「でもどうしてわかったの? お持ち帰りさんだって」 「勘だ。雰囲気で何となくわかるものだ。学校でも、みんなに内緒で付き合い始めたカップルが秒でバレたりする。同じことだ。それと――」    いまだ亜夜子ちゃんの手にある紙袋のロゴを指して言った。 「これだ。確かブランド品だぞ。彼氏に買ってあげたいけど金がないと嘆いている女子はたくさんいる。いいものをもらったな、杉本」  ぽんと背中を叩かれた。    帰宅してから袋を開けてみると、革の財布が入っていた。シンプルだが洗練されたデザインで、ワンポイントの刺繍が施してあった。今使っている財布を取り出し、見比べる。何年使ったか忘れたが、あちこち擦り切れてぼろぼろである。かなり年季が入っている。  桐葉の前で財布を出したことはあるけど、何も言われたことはない。俺も何か言ったことはない。でもちょうど買い替えようかと思っていた。ぴったりのタイミングでプレゼントされた。財布を買ったのは偶然なのかあえてそれを選んだのか、どっちなのだろう。尋ねてはっきりさせたいような、有耶無耶のままがいいような、奇妙な気分だった。    この日のことを赤石に話したら、大爆笑された。平日の夜、赤石は桐葉を連れずに一人で店に来る。閑散とした店内に赤石の声ばかりが響いた。モールで桐葉に会った話は亜夜子ちゃんから既に聞いていたらしい。   「それって結局嫉妬じゃん。ただの上司に妬くなんて、杉本も相当心が狭いね」 「嫉妬じゃねぇよ、たぶん。ただなんて言うか、俺の知らねぇとこで知らねぇやつと出かけてたことがどうも……ムカつく」 「だからそれが嫉妬なんじゃん。認めなくてもいいけどさ。要はあれでしょ? 獲物を横取りされて悔しがってるんでしょ?」    赤石はユーチューブで見た動画の話をした。狼の群れが仕留めた鹿を狐に掠め取られ、怒ってその狐を狩り殺したという。   「野生の狼と一緒にすんな」 「でも要はそういうことっしょ。セフレとか言って、実は執着してるんじゃん。最初も結構慎重だったしさ。ヤリたいならヤリたいって素直に言えばいいのに」 「それはさぁ、男としてのプライドってもんがあんだろ? 俺、女に頭下げてヤラせてもらったことなんかねぇもん。むしろ抱いてくれって言われたい」 「っかぁ~、ムカつく。オレなんていっつもいっつも嬢に土下座して抜いてもらってるのに」 「いっつもいっつもって……虚しくねぇの?」  俺が憐れむと、赤石はむしゃくしゃしたように酒をあおった。   「杉本なんか、脳内真っピンク野郎のくせにぃ!」 「みんなそうじゃないの? そりゃあヤリたいけど、やっぱり主導権は譲りたくないでしょ。うまいこと丸め込んでセックスに持っていきたいんだろ」 「杉本ォ~、相変わらずガキ臭いこと言ってんなァ」  不意に店長が現れる。この光景、デジャヴだ。   「店長は違うんすか? 徹頭徹尾理性で付き合ってるの?」 「俺をいくつだと思ってる。体だけ繋げてりゃ満足だなんて時期はとうに過ぎたんだよ」 「店長って結婚してましたっけ? 男同士じゃどうせ無理だけど……」 「結婚はまだだ。というかたぶんしない」 「じゃあ俺と変わんないじゃないっすか」 「確かに、若い頃はお前と変わらなかった。でもそのうち、真面目にパートナーを探したくなるもんさ。俺も、何人かと真剣に付き合ったんだが、結局この歳で独り身だ」    店長は諭すような物言いをしたが、俺にはよくわからなかった。   「そうだぞ杉本! 好きなら好きって認めろ!」  浴びるようにビールを飲んでいた赤石が突如声を上げる。 「そうだぞ。意地張ってないで認めちまえ。真剣交際をしろ」 「だからあいつとはそういうんじゃなくて! 全然、好きとかそういうんじゃ……」    意地を張っているというのなら桐葉こそだ。あいつだって意地っ張りだし素直じゃない。口は悪いし、すぐ殴ったり蹴ったりする。そのくせこっそりキスマークを付けたり、誕生日プレゼントを用意したりする。思わせぶりな台詞を吐くくせに決して愛は語らず、夜はべたべた甘えてくるのに朝は素っ気なく追い出そうとする。  考えれば考えるほど、桐葉悠絃という男についてわからなくなる。   「そりゃ、久しぶりに会ったからテンション上がったみたいなとこはあるけど、それだけだ。あんなわけわかんねぇやつ、むしろ嫌いだわ」 「そういうところがガキ臭いというんだ」 「そんなに否定してると逆に好きなんじゃね? って思う」  店長と赤石が口々に言った。    桐葉のことはわからないが、俺自身のこともわからない。この感情を恋だの愛だのといった柔らかい言葉で片付けてしまうのは腑に落ちない。しかしただ一つ、「獲物を奪われて悔しいんでしょ」という赤石の言葉は的を射ていると思った。

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