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第14話 猜疑①

 翌朝、蹴っ飛ばされて起きた。背中をどかっと蹴られてベッドから転げ落ちた。幸い受け身を取れたが、俺を蹴飛ばした犯人はベッドの上で偉そうにふんぞり返っている。   「てめえ、よくもやってくれたな」    桐葉は腰をさすりながら俺を睨みつけた。それはこっちの台詞である。ベッドから落ちて怪我でもしたらどうするつもりだ。   「ちょっともぉー、朝っぱらから機嫌悪くなぁい? 散々な言い草だぜ、全く。一応言っとくけど、和姦だからな。お前から誘ってきたんだろーが」    桐葉は黙って俺を睨む。   「そもそも、誰がお前をここまで運んでやったと思ってんだ。まずはありがとうでしょうが。恩を仇で返す真似しやがって」 「……恩なら既に返しただろうが」  深い溜め息をつく。   「ケツ貸してやったんだ。ありがたく思えよ。さっきの蹴りは、てめえの寝顔がムカついたからだ」 「へっ、素直じゃねぇなぁ。昨日はあんなにかわいか――」 「悪いがよく覚えてねぇんだ。妙なことを口走ったかもしれんが、そんなのは閨での睦言に過ぎねぇってこった。本気にするなよ、杉本」    桐葉はすっかり元の調子だ。夜はあんなに乱れて、俺を求めて、髪の毛なんか食べて、泣いて、喚いて、何度もイッたというのに。まるで狐に化かされたような気分だ。   「別に、本気で受け取るような言葉もなかったけどよ」    妙なことって具体的にどんなことだろうか。セックス中も好きだとは言われなかったし、俺も言わなかった。   「また抱かせろよ」 「なんでだ。嫌だぜ」 「一回も二回も変わんねぇだろ。俺さァ、やっぱお前とするの好きなんだよな。それ以上は求めねぇからさ。時々セックスするだけでいいから。難しいことないだろ?」    桐葉は苦虫を噛み潰したような顔をする。   「結局、昔と一緒だな。てめえはいつでもそうやって、強引に事を進めちまうんだ」 「強引じゃねぇし。ちゃんと許可取ってるじゃん」 「だったら断る隙を作れよ。嫌だって言ってもどうせ押しかけてくるんだろ?」 「まぁ、たぶんそうなるだろうな。家、すぐ近くだし」    桐葉は大きく舌打ちをし、むしゃくしゃしたように頭を掻いた。   「勝手にしろ。ただし、精々週一にしてくれ。昔みたいに暇じゃねぇんだ」 「わかってらぁ。俺だってこう見えて忙しいんだぜ。今日だって……」    ベッドサイドに置かれた目覚まし時計を見、慌てて立ち上がった。今日は昼からバイトが入っていたんだった。急いで帰ってシャワーを浴びて飯食って、できれば洗濯もしたかったが無理そうだ。   「っつーわけで帰るな。ほんとなら甘々ピロートークでも交わしたいとこだけど――」 「馬鹿言ってないでさっさと帰れ」  枕を投げつけられた。    案の定洗濯機を回している暇はなく、俺は電車に飛び乗った。バイト先のビストロ椿は、夜は飲み屋だが昼は喫茶店になる。喫茶椿である。昭和レトロな雰囲気の穴場的喫茶店だ。あまり人が入らないせいで時給は低いのだが、ボランティア感覚で時々手伝っている。   「いらっしゃ……って、杉本か。遅刻だぞ」    モノトーンのシックな制服にフリルのサロンエプロンを付けた女の子が言う。すっきりとまとめたポニーテールが揺れた。   「いやぁ、ごめんね。昨日遅くってさ」 「赤石から聞いた。コンパだったんだろう」 「そうそう、だから」 「だからって遅刻はよくないなぁ、杉本?」 「ご、ごめんなさい」    凛と引き締まった態度をしている彼女だが、実は華の女子高生である。店から徒歩五分の距離に住んでおり、諏訪部店長の旧友の娘だという縁もあって、休日はここでバイトをしている。バイトというか、最近ではほとんど彼女の店と化している。店長は二階の自宅に籠り、おそらく休息を取っている。  俺も急いで制服に着替え、カウンターに立った。ちょうどお客さんが来たので注文を取る。コーヒーを淹れるのは彼女――亜夜子ちゃんの仕事だ。亜夜子ちゃんのコーヒーは美味いと思う。馬鹿舌でもわかる。将来はバリスタになりたいらしい。    お客が去って暇になると、雑談しながらラテアートの練習をしたり、豆を補充したりする。お腹が空いてサンドイッチを摘まみ食いしたが、これは給料から天引きされる。   「杉本、首のとこ、どうしたんだ? 虫刺されか?」  とんとんと自身の首を指し示して亜夜子ちゃんが言った。 「虫刺され? 全然かゆくないけど……」 「いいから見てこい。私が気になる」    トイレの洗面台で確認し、ぎょっとする。襟から覗く小さな赤い痕。鬱血痕。いわゆるキスマークだ。まさか桐葉がやったのか? まさかも何も、このタイミングでこんなことできるのはあいつしかいない。どうしてこんなことをしたんだと疑問に思うと同時に、居たたまれない気分に襲われる。年下の女の子にキスマークを指摘されるなんて……   「おい杉本。どうだった」  暖簾の向こうから声をかけられ、びくっと肩を揺らした。 「なん、何でもない。ただの虫刺されだよ」 「今ちょっと焦ったな。やはりキスマークか」  暖簾を割って、亜夜子ちゃんが顔を見せた。にやにやとからかうように笑う。 「隠さなくてもいいじゃないか、この色男め。昨日はお持ち帰りというやつをしたんだな」 「違うから! ほんと違うからね!」 「まぁまぁ。彼女ができたら私にも紹介してくれ」    俺の弁明を無視して、亜夜子ちゃんはカウンターへ戻ってしまった。その後もちらほらと客が入り、ぼちぼち仕事をした。  夜の勤務を終えて終電に揺られながらスマホを見、俺は目を疑った。電車の中にも関わらず、うげっと声が出そうになった。本日二度目の衝撃である。原因は赤石からのラインであった。    『昨日お持ち帰りしたって亜夜子ちゃんから聞いたんだけど、まさか悠絃ちゃんと何かあったの!? 』  ご丁寧にスタンプなんか使って驚きを表現している。亜夜子ちゃんめ、情報漏洩が早すぎる。  『誤解だから! ただの虫刺されだから! 』  『でも全然かゆくないって言ってたって亜夜子ちゃんが』  『それ嘘だから! 今は全然すごくかゆいし、これは確実に虫刺されだわ』  その後二言三言話し、赤石が突然寝たので会話は終わった。    翌晩も通常通り出勤した。月曜なので客足はまばらだ。閉店間際ともなると、客は赤石一人しか残っていなかった。カウンターの向かいに座り、まかないのピラフを食べる。 「今日もおつかれさん」  赤石は頬杖を付き、赤ら顔を歪ませた。昨日の亜夜子ちゃんの笑顔と似ている。嫌な予感がした。   「お前なぁ、ああいう冗談はやめろよな」 「悠絃ちゃんと何かあったのかって?」 「それだよ。何もあるわけねぇだろ。逆に何があるってんだ」 「えぇ~? だってさぁ……」  含み笑いをしつつ俺の顔をじろじろ見る。 「キスマーク、まだ残ってるよ?」    咄嗟に、蚊を叩き落とす勢いで首筋を引っぱたいた。昨日の夜、熱いシャワーを浴びたり蒸しタオルを当てたりしてがんばって消したというのに。ネットの情報が間違っていたというのか。    考えていたことが声に出ていたらしい。赤石は腹を抱えてゲラゲラ笑った。 「うっそー。ちゃんと消えてるから安心しなよ」 「はぁぁ!?」 「でもその慌てっぷり。やっぱキスマークなんでしょ。ていうか、虫刺されならがんばって消す必要ないよね。お兄さんの目は誤魔化せないよ?」 「ちょ、勝手に話を進めるな」 「まぁまぁまぁ。それでさ……」  赤石は俺をなだめた後、たっぷり間を置いて言う。   「……感想を聞きたいんだけど」  俺は盛大にピラフを噴き出した。 「うお、きったな!」  赤石は顔をしかめ、飛び散った米粒をティッシュに包んだ。俺は咳き込みながら言い返す。   「お前が変なこと言うせいだろ」 「だって気になるじゃんよ。ぶっちゃけ、ヤッたんでしょ? どっちがどっちなわけ?」 「おま、そういうこと聞く? 知り合い同士の話とか、俺は地雷なんだけど……」 「いやぁ、まさか杉本の『仲良くなりたい』が性的に仲良くなりたいって意味だったとはね。気づかなくてごめんね。まさか男もいけるなんて思わなくてさ」 「ねぇ俺の話聞いてる?」    男同士でなんておかしいと非難されるかと思っていたが、赤石はあっけらかんとしている。世間は案外寛容なのか? 俺がずれているだけなのだろうか。   「まーでも、悠絃ちゃんって、」    案外かわいいもんね。という何気ない一言に俺はなぜかカッとなり、無意識のうちに赤石に掴みかかっていた。わけもわからず、ただ弾かれたように体が動いた。ガタガタとテーブルが鳴った。赤石は目を白黒させて降参のポーズを取っている。   「っな、なに、ごめん、からかい過ぎた」 「か……かわいいって、マジで言ってんのか」    予想以上に低い声が出た。赤石はぽかんとしている。   「あいつがかわいいって、マジで言ってんのかって聞いてんだ」 「あーいや、ほら、顔が! 顔がね! 顔だけだから!」  そんなに顔顔連発されると、あいつが顔だけの男みたいじゃないか。それはそれでムカついた。   「おい杉本ォ」  厨房からぬっと現れた大男。諏訪部店長である。俺も平均以上の高身長だが、この人には敵わない。その上ガタイがよくて毛も濃いので、さながら熊である。 「客と喧嘩したらクビだっつったよなぁ?」 「け、喧嘩じゃないっすよ」    ぱっと手を離し、ささっと赤石の襟を正した。 「喧嘩じゃないんすよ、ほんと。こいつがしつこいから」 「ちょっとからかってただけじゃん。んもぅ、杉本ってばキレやすいの直した方がいいよぉ?」  赤石もへらへら笑っている。   「ちょっとどころじゃ……そんなことより、赤石ってもしかしてゲイなの?」 「いや、赤石はノーマルだ。安心しろ」  レジ締めをしながら店長が代わりに答える。へぇー、ってなんであんたが知ってるんだ。   「そうそう。オレは普通に女の子が好きなの。ゲイなのは諏訪ちゃんの方だし」 「えっ!? 店長そうなんすか!?」 「嘘を教えるな。俺はゲイじゃなくてバイだ」 「ばい?」 「男とも女とも付き合えるってことだ」    身近にそういう人がいるなんて全く知らなかった。店長がバイなのを知っていたから、俺と桐葉のことを知っても赤石は動じなかったのか。   「ま、オレが言いたいのは、困ったら諏訪ちゃんにアドバイスしてもらえばってこと。男同士だし、色々あると思うからさ」 「そうだな。相談くらいは乗ってやってもいい。で、彼氏はどんなやつなんだ」 「あー、たぶんあっちが彼女だと思うね。諏訪ちゃんも知ってるでしょ? オレがよく連れてくる子だよ」 「あのきつめの美人か。杉本め、面食いだな」 「ねー。まぁでも、ありがちっていうか? 同窓会から不倫に発展するとかねー。もしかして初恋だったりしたの?」    店長と赤石が二人で勝手に盛り上がっている。俺は慌てて口を挟んだ。   「ちょちょっ、ちょっと待ってくれよ。桐葉とは確かに……ね、寝たけど! それは認めるけど! でも違うからね? 付き合ってるとかじゃないから! ちょっと昔を思い出しちゃっただけっつうか……ほら、酒も入ってたしさ」 「うっそぉ、中坊の頃からヤッてたのぉ? ませてんねぇ」    しまった。うっかり口を滑らせた。 「その頃から付き合ってたの? 今は好きじゃないの?」  赤石がノリノリで尋ねてくるのでげんなりする。こいつ、ゴシップ好きだったろうか。まるで暇を持て余した主婦みたいだ。   「昔も今も……ほら、何ていうかアレだ……体だけの関係なんだよ」    期待の眼差しに耐え切れなくなり、仕方なく溜め息と共に吐き出した。ここまでバレてしまえば後はやけくそである。   「初恋とか恋人とか、そういう甘い関係じゃねぇの。お互い割り切ってるし、楽っちゃ楽だけど」 「お前、それはいけねぇな」 「そうよ、女の敵よ!」    店長になじられる。赤石はなぜかオカマ口調になる。   「えぇー? どうせみんなこんなもんじゃないの。そもそもセフレでいいって言い出したのはあいつの方だし」 「んー、でもそれならますます悠絃ちゃんじゃなくてもよくない? セフレなら男でも女でもいいんじゃ?」 「いやいや、あいつを侮っちゃいけねぇ」    桐葉の体は女体に勝るとも劣らないこと、妊娠のリスクがないこと、多少ハードなプレイにも耐えうること、などについて語ったが、店長は途中から店仕舞いに集中し始めるし、赤石にはどん引かれた。   「……欲望まみれじゃん」 「桐葉には黙っとけよな。あ、亜夜子ちゃんにも絶対言うなよ」 「言えるわけないでしょ。爽やかそうに見えて実は下半身に脳みそくっついてる獣だなんてさ。もしかしてちんこが本体なんじゃないの」 「お前には言われたくねぇなぁ。赤石だってちんこが本体だろ。風俗のキャッチやってるくせに風俗通ってるの知ってんだぞ」 「んなっ!? 素人童貞で何が悪いのよ! 風俗はいいよぉ? お金払えば自動で気持ちよくなれるんだから」    風俗嬢は全自動精子吸い出し機か何かですかぁ? と俺が言ったタイミングで、店長がテーブルを叩いた。   「くだらねぇ言い合いは仕舞いだ。お前らさっさと帰れ。杉本、そろそろ終電やばいぞ」  時計を確認し、慌てて立ち上がる。店長に追い払われるような形で退勤した。

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