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第55話 「変わり身が早すぎる」
夜会の当日が訪れた。朝、ルカス陛下が出て行ってすぐに、レストが花束と本を持って、部屋の中へと入ってきた。きちんと買ってきてくれたのである。
「どこに置いておこうかな? 後で二人の時に渡したいんだけど……」
「テラスはどうです? 本は、こちらの箱に入れておけば蓋もありますし濡れませんよ」
「有難う!」
レストは気が利きすぎる。本当にいつも助かっている。その後俺は、この日のために仕立ててもらった衣装を着付けてもらった。先日の夜会よりもさらに仰々しい服で、肌触りは良いが、着心地は悪い。こういった服を日常的に着ている人々が、その上で美しい立ち居振る舞いをしているのを考えると、すごいよなぁと改めて思ってしまう。
ルカス陛下が訪れたのは、夕方の事だった。
「準備は出来たか?」
「はい」
頷きながら、俺はテラスをちらりと見た。渡すのならば、終わってからの方が良いだろう。レストは陛下の従者と話をしている。
「脱がせたくなるな」
「? せっかく着たんだし、一人ではこの服を着るのは無理だからやめてください」
「どこでも盛っているわけではないが、そういう意味じゃない」
そんなやりとりをしてから、俺はルカス陛下に促されて部屋を出た。
本日の夜会は、王宮の二階の大広間で行われるらしい。
後宮を出てからは、ずっとルカス陛下が俺の左手を握っている。
中に入ると、巨大なシャンデリアが、まず視界に入った。
「これはこれは」
入るとすぐに、王弟殿下が歩み寄ってきた。こうして見ると、陛下と王弟殿下は顔立ちが似ている。
「兄上が人を連れているのを見ると、嬉しい驚きが絶えないというかなんというか」
王弟殿下はルカス陛下に挨拶をしてから、俺を見た。
「久しいな、オルガ……様? 姉上ではないしな。呼び方に困るな。義兄上になったわけだが、俺とオルガは出会いが出会いだからな……」
苦笑した王弟殿下を見て、俺も曖昧に笑った。俺の処分のためにやってきた人物であるから、お互いに複雑なんだと思う。そう考えていたら、ルカス陛下が咳払いをした。
「仲が良いのは悪いよりはずっと良いが、フォルト……あまり俺を嫉妬させるような事をオルガに対して言わないでくれ」
「陛下、本当に愛に溢れていて、ちょっと気持ちが悪いぞ。ああ、そうだな、さしずめ俺と宰相閣下は、仲人といったところか?」
フォルトというのは、王弟殿下の名前だ。
黙って俺は、二人の異母兄弟のやりとりを聞いていた。
その内に夜会が始まった。
最初は挨拶があるとの事で、大広間の奥に、二つセットで並べられていた椅子に、俺はルカス陛下に連れられて向かった。正面から見て左に陛下、右に――俺が座る事になった。ちょっとなんというか、妃になったという自覚がほとんど無かった俺としては、まさか自分も挨拶される側だとは思っていなかったから、狼狽えてしまう。
そんなこんなで座る前から挙動不審になりかけていた俺だが、挨拶が始まってからは、比較的落ち着いた。はっきり言って、誰がどこの誰なのかすらわからなかったが、みんな自分の名前を名乗ってから、挨拶を開始してくれる。
隣のルカス陛下もいちいち、「元気そうだな、キルス伯爵」などと、爵位までつけて答えている。それを聞いていれば、どこの誰なのか直ぐに把握できた。
そして彼らは、だいたい同じ事を言うのだ。陛下に婚約のお祝いを述べ、俺には、綺麗・麗しい・お美しいの三つの内のいずれかと、文官時代の才能を褒め称えるのである。つまりは、お世辞だ。盛りに盛られた俺への設定が、俺の腹筋を破壊しそうになり、俺は爆笑しそうになるのを必死にこらえた。
すると「笑顔も素敵だ」と口にし、彼らは帰っていく。座ってお世辞を聞いている分には、そう大変ではない。こうして挨拶が終わってからは、今度は立ち上がり、陛下が室内を回る事になった。俺も伴って席を立ち、グラスを片手に各地を回る。右手で陛下を掴み、左手には水が入ったグラスを持っている。俺は酒が弱いとして、シャンパンに見える炭酸水を用意されていたのだ……。なお、陛下の腕は、豪華な服が動きにくいので杖の代わりのようになっている。かなり俺は、失礼だろうが、陛下がいなければ歩く速度がより遅くなる自信がある。
会場は立食式で、各地には美味しそうな料理の皿や酒が並んでいる。暫くの間会場を回っていき、一通りのテーブルを回り終えると、ドッと疲れた。丁度目の前にテラスが見える。俺の部屋のものとは異なり、やはり広い。後宮の俺の部屋のテラスも俺からすれば広いが、王宮は比べ物にならない。
「オルガ様、グラスが空ですぞ」
その時、近くにいた貴族が、気を利かせて、俺にフルートグラスを差し出した。反射的に受け取った俺は、空になった炭酸水のグラスを渡す。陛下は別方向を見ていた。そして俺は、自分がそれまで炭酸水を飲んでいた事を忘れていた。
「あ、美味しい……」
一口飲んでみると、渡されたシャンパンはとても甘くて美味しかった。しかし、強い。二口目で、既に体が熱くなった。
「ルカス陛下、俺、ちょっと外の空気を吸ってきます」
「ん? ああ、では俺も――」
「いえ、お話中ですし、一人で大丈夫です」
杖は必ずしも必要ではないし、挨拶混じりの会話中の陛下の邪魔をしてはならないし、そもそも杖扱いしてはならないだろう。そう判断して、俺は一人でテラスに出た。ひんやりとした夜風が心地良い。
「ん? オルガ?」
外に出ると、すぐに声がかかった。見れば奥の、中からは死角になっている場所に、王弟殿下が一人でたっていて、そこでワインを飲んでいる。
「王弟殿下、こちらで何を?」
「賑々しい場が好きではなくてな。挨拶も済んだし、避難中だ」
苦笑した王弟殿下は、それから俺を見ると、小さく笑った。
「兄上を頼むぞ」
「頼まれても俺にできることが少なすぎて」
「正直だな」
そんなやりとりをして思わず笑いながら、俺はもう一口飲んで、その強さに息を呑んだ。このお酒、強すぎる。
「オルガは、どうしてここに?」
「酔っ払って」
「その酒で? 相当弱いんだな」
顔が熱い。そう思っていたら、後ろから肩に手を置かれた。振り返るとルカス陛下が立っていた。
「フォルト、俺を嫉妬させるなと言わなかったか?」
「こちらへ自分でおいでになられたんだけどなぁ。目を離した自分が悪いんじゃ? 誓って俺は、何もしてないぞ」
「オルガの笑顔が見えたし、顔が赤くなっていた。何を言った?」
「兄上を頼むとしか」
「くっ、なんてデキた良い弟なんだ!」
「変わり身が早すぎる」
二人はそう言って笑っていたが、この頃には、俺の体はふわふわしつつあった。再度俺は、ルカス陛下の腕を掴む。
「陛下、俺、酔っ払った」
「! 炭酸水はどこにやった?」
「なくなっちゃった……」
「そろそろ夜会も終わりだ。出るとするか」
こうして俺達三人は中へと戻り、会場をあとにした。何でも、王族がいない方が気楽に話せる場合もあるらしい。というのも、他の貴族達は、愛を囁きあったり、恋人を探したりする場合があるからのようだった。
陛下に連れられて部屋へと戻り、俺はソファに勢いよく体を投げ出した。俺は酒が好きなのに、本当に弱いのだ。
「大丈夫か?」
ルカス陛下が、俺にお水をくれた。礼を言ってそれを受け取ってから、俺は必死で起き上がった。
「陛下、ちょっとテラスに来てくれ」
「うん? まだ夜風にあたりたいのか?」
「……そ、そんな感じだ!」
陛下に支えられて外へと出て、俺は朝用意してもらった箱と薔薇を見た。
「これ」
「これは……?」
「俺の好きな童話と薔薇です。白薔薇祭だから」
半ば酔ったままで笑顔を浮かべた俺を見ると、陛下が目を丸くした。
「これを本当は自分で買いに行きたくて、街に行こうと思ったんだ」
「そうだったのか」
「陛下に喜んで欲しくて」
そう言って俺は、自分から陛下を抱き枕のように抱きしめた。すると片手で白い薔薇の花束を握っていた陛下が、もう一方の手を俺の腰に回して抱きとめてくれた。
「オルガが一緒にいてくれるだけで、俺は嬉しいし、充分喜んでいるんだぞ?」
「もっと、いっぱい。沢山!」
「――有難う」
こうしてこの夜は、お互いがお互いを抱き枕にして、ゆっくりと眠った。
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