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プロローグ(二人の話をしよう)

 薄暗い照明にムーディーな音楽、いかにもあいつが気に入りそうだ。駅から少し入り組んだ場所にあるせいでこのバーを見つけるのには苦労した。  今の時代はSNSが発達しているおかげで探したい人間がすぐみつかる。俺が彼をみつけたのもSNSのおかげだ。とあるバーの店長がアップした店内の写真に客として彼が映りこんでいたのだ。そこからは街中のバーを連日連夜はしごし続け、ネットの力を借りながらようやくここに辿り着いた。もう逃しはしない。  店の奥へと進んでいくと、カウンターに一人で座っている赤毛の男が目に飛び込んできた。小柄だけれどもシャープな横顔が決してその身長を小さくみせてはいない。むしろ鋭い顔つきが彼の纏う雰囲気をより頑強に見せていた。  ——間違いない、彼だ。  ずっと探し続けてきた男、再会までどれほどもどかしく恋焦がれたことか。あまりの懐かしさに魂が震える。  本当なら今すぐにでも抱きしめてめちゃくちゃにしたい。しかし残った理性が自分の弱さから生まれた願望をはねのける。  第一印象は大切だ。今後の関係を大きく左右する。しかし何より忘れてはいけないのは彼はまだ俺と出逢ってすらいないということだ。怖がらせるわけにはいかない。 「隣、いいですか」  少しでもいい印象を与えられるようによそゆきの声色で話しかけた。  顔を上げた彼の瞳が俺を射すくめる。そう、この瞳だ。俺を掴んで離さないこの目が彼が俺の探し求めた人であると教えてくれる。  にこりと微笑みかけると品定めするように視線を上下させていた彼が手で隣の席を示した。 「どうぞ」  言われるがままに隣に腰掛ける。  自分が身体を動かすたびに家から出る前につけた香水の匂いが鼻腔をかすめた。ようやく彼に会えるかもしれないという期待のせいで少々気合いを入れすぎたようだ。今度からはもっとふきかける量を少なくしなければ。 「ジントニックで」  そう一言マスターに注文を告げる。  本当は酒は自分で作るときのほうが多く、あまり外では呑まない。でも彼に会いたい一心でこういったバーに足を運び続けた結果、なんだかすっかり慣れてしまった。  今じゃ彼をみつけるという目的とは別件で馴染みの店ができている始末だ。まだ知り合ってもいないのに彼の影響を受けているなんて、なんとも滑稽な話だ。 「グラスが空だ。なにか奢りますよ」 「ありがとう、お任せするよ」  俺が話しかけてもまったく動じず余裕すら感じさせる。そこからかなり誘われ慣れているということがすぐにわかった。今までどれくらいの男に酒を奢られ、どれくらいの男とベッドを共にしてきたのか。考えるだけで腹わたが煮えくり返りそうだ。  遊び人め、あとでとことん追求してやる。 「それじゃあ、ブロージョブをこの男性に」  マスターに彼の分のドリンクを注文する。  呑んだことのない酒だけれど、馴染みのバーのマスターにコーヒー好きな人にお勧めのカクテルをきいたらこれを教えてくれたのだ。なんでもコーヒーリキュールと生クリームを使った甘いカクテルらしい。彼が気に入ってくれるかはわからないが、プロの意見をきいたものだから不味いということはないだろう。 「それじゃ、乾杯しようか」  テーブルにお互いのグラスが出揃ったのを見計らって彼に声をかける。俺の頼んだジントニックに比べて彼の分のグラスが妙に小さい。  まあ、そんなことはどうでもいいか。  気を取り直して彼のほうへ向き直る。その瞬間、すっ、と膝に彼の手が置かれた。その手が誘うように俺の太腿を軽く撫でさする。  こんな男をたらしこむような芸当、一体どこで覚えたんだ。  怒りのあまり身体が震える。俺にやるのは可愛いから許すけれども、同じことを他の人間にもしているかと考えると暴れだしたい気分を必死で抑える。 「一体なにに乾杯するんだ」  彼が上目遣いに俺をみつめる目つきから、俺のことを憎からず思ってくれていることがわかった。  彼の瞳には感情が如実に表れる。怒り、憎悪、嘆き、喜び、好意、欲情。だから黙っていても大抵は彼をみつめれば何を考えているかおおかた想像がつく。 「やっとみつけた俺らの出逢いにってのは?」  彼がバーで自分を誘ってくるような伊達男が好きだというならば、同じくきざに振る舞ってやろう。  使い古されたくさい台詞だけれども、照れをおくびにも出さず堂々と言い切ることに意味がある。 「やっとって俺たち初対面だろう。それともどこかで会ったことが? 」 「まあ、じきに思い出すさ」  しまった、彼にとって俺はついさっき知り合ったばかりの男だった。それでも俺にとって彼は古い付き合いなのだから仕方ないじゃないか、と肩をすくめる。  気持ちを切り替えてグラスを軽く持ち上げた。 「俺たちの出逢いに」 「出逢いに乾杯」  ジントニックに口をつける。うん、美味い。彼が気に入っているというからどんな店かと思っていたけれども、バーテンダーの腕も抜群だ。  ちらりと隣の様子をうかがう。彼はブロージョブのグラスをテーブルに置いたまま、手に取ろうとしない。  まさか苦手なカクテルだったのだろうか。いやな想像が頭の中にぐるぐると駆け巡る。  緊張の面持ちで様子を見ていると、グラスをテーブルに置いたまま彼がぱくりと飲み口を口にくわえた。呆気にとられているうちに、彼は一気に上を向いてそれを飲み干す。  口の端からグラスからこぼれた生クリームが滴り落ちる。その姿は男の白濁を飲み下すときのそれに似ていて身体がかっと火をもった。  コーヒーの好きな人用にとは言ったけれども、こんな卑猥なカクテルを教えてくれとは頼んでいないんだが? 馴染みのバーのマスターのしたり顔が頭に思い浮かんで小さくため息をついた。  彼にも頭のおかしな男だと思われたにちがいない。せっかくいい印象を残そうとめかしこんで香水までつけて意気揚々とやってきたのに全ての努力が水の泡だ。  ……それにしても、彼のこの表情はなんだ。  口からこぼれたクリームを赤い舌を見せつけながらぺろりと舐めとる仕草に目が釘付けになる。ただならぬ色気に当てられて頭がぼーっとしてまともに考えられなくなる。首筋にまで垂れた白いクリームが彼の肌のなかで異様に浮き立っていて、男の情欲を煽るようだった。  今キスしたら、その唇はとびきり甘いんだろうな。  そんなことを想像したらいてもたってもいられなかった。 「……綺麗にするよ」  気がつけば夢中で彼の唇にむしゃぶりついていた。舌でクリームを舐めとると口いっぱいに甘みが広がる。もっと、もっとと天井知らずの欲望が俺を駆り立てた。  なぜ俺がこの男の唇を貪っているのかって?  それには深いわけがある。全部話すのにはとてつもなく時間を遡らなきゃならないが、そんなに気になるのなら仕方ない。  ——それでは、俺たち二人の話をしよう。

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