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エピローグ(二人の楔は解けぬまま)
薄暗い照明にムーディーな音楽。男を引っ掛けるにはちょうどいい。
ここは最近発掘したバーだ。駅から少し入り組んだ場所にあるので人の出入りは少ないし雰囲気がよくて気に入っている。
何より、客層が俺好みだ。残念ながらそれでもある程度の妥協は必要だけれども。
抱き合ったとき筋肉がなきゃ萎えるけど、あまりにも屈強すぎると抱き潰されそうになるから却下。髭面はこっちから願い下げだし、短髪嗜好の人間とはどうやったって分かり合えない。
欲を出せばパリコレモデルみたいな長髪がタイプだけれど、現実にはそんな男は転がっていない。
その結果、適当な相手で手を打って一夜を過ごし、束の間の快感と一晩ぐっすり眠れる倦怠感を手に入れることになる。もうずっと恋人はいない。一晩だけの関係のほうが後腐れがなくて俺はそれが気に入っている。
「隣、いいですか」
声の主を見上げると、自信ありげに微笑まれた。こういう傲慢な男は鼻持ちならない奴が多いんだけれど、そのスタイルに免じて許してやる。
薄くついた筋肉が服の上からでも伝わってくる。これぐらいなら許容範囲内、むしろ合格だ。ブルネットの髪を長く伸ばしているけれど決して下品ではなく、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出している。
うん、結構タイプかも。
「どうぞ」
隣の席を手で示してやると素直にそこに腰掛けた。
彼が動くたびにふわりと香水の匂いがただよう。
「ジントニックで」
男がマスターに注文の声をかける。こういう場所には慣れているのか動きがいちいちスマートだ。
俺の経験則から言えばこういう男はかなり遊んでる。彼も俺に興味があるみたいだし、ちょっと押したらすぐオチるんじゃないだろうか。
早くも今晩の相手が決まりそうでほくそ笑む。
「グラスが空だ。なにか奢りますよ」
「ありがとう、お任せするよ」
「それじゃあ、ブロージョブをこの男性に」
初対面の人間にこんなものを飲ませるなんて酔狂というか馬鹿というか。涼しい顔をしてるくせに頭の中はどんな妄想でいっぱいなんだか底が知れてる。
ブロージョブとはコーヒーリキュールと生クリームを使ったカクテルで細長い小さなグラスに入って出てくるものだ。このカクテルは飲み方が特殊で、俺もスクール時代のパーティーでふざけてでしか飲んだことがない。
まったく恥ずかしい男だ。でもそんなふざけたところも嫌いじゃない。少なくとも何を考えてるのかわからないお堅い人間よりはずっとましだ。
「それじゃ、乾杯しようか」
テーブルにお互いのグラスが出揃ったところで男が何事もないかのように言い出す。
すっ、と男の膝に手を置いた。驚いたのかぴくりと肩を震わせる姿がかわいい。
「一体なにに乾杯するんだ」
「やっとみつけた俺らの出逢いにってのは?」
「やっとって俺たち初対面だろう。それともどこかで会ったことが? 」
「まあ、じきに思い出すさ」
男は意味ありげに肩をすくめる。
奇妙な奴だ。やけに慣れ慣れしいのにちょっと距離を詰めると意外にも初心な反応が返ってくる。自分から押すのは平気でも他人からぐいぐい来られるのは苦手なタイプか?
そのくせにこんな酒まで頼んで、変な奴。
「俺たちの出逢いに」
「出逢いに乾杯」
ジントニックに口をつける男の喉仏が嚥下に合わせて上下する。その様子がやけに色っぽくて生唾をのみこんだ。
いやいや、見惚れてる場合じゃない。御所望のブロージョブ、ちゃんと見ておけよ。
グラスをテーブルに置いたまま、その飲み口を口にくわえる。そしてこぼさないよう注意しながら一気に上を向いて飲み干した。
いくらこぼさないようにしても限界があり、やはり口の端から生クリームが溢れてしまう。その状態が男をくわえこんだ後みたいだからって名付けられたカクテルだ。飲んだあとの品が悪いのは許してほしい。
こんなものを注文するお前が悪いんだぜ、と男の顔を見上げると、彼は俺の口元に目が釘付けだった。こぼれた生クリームが筋になって首筋にまでも垂れている。
「……綺麗にするよ」
興奮で掠れた声、その言葉の意味を理解するよりも前に男の顔が近づいてきた。
ぺろりとこぼれた生クリームを舐めとられる。制止の声をあげる間もなく男が口づけてきた。
その瞬間、目の前が真っ暗になった。いや、真っ白になったのか。とにかく白黒に点滅してそのまぶしさに目を開けていられない。
そして追い討ちをかけるように脳裏にダムが決壊したみたいに勢いよく走馬灯のようなイメージが流れこんできた。
その間にも何度も口づけされる。甘ったるい酒のせいで頭がおかしくなったのだろうか。
ビリビリと痺れる感覚、蘇る記憶、刃物で刺されたような腹部の痛み、俺を介抱する優しい手、初めて手ずから淹れてくれたコーヒーの味、踏切の先で俺を待ってくれていた男。
そうか、お前は——
「約束、守ってくれたんだな」
「言っただろう、必ずお前をみつけだすからって」
「もう待ちくたびれたよ」
「馬鹿、今まで全部忘れてたくせに」
目の前にあるのは、この世で一番愛した男の姿。いや、前の世界、そのもっと前の世界でもいとしく想った恋人だ。
きっとこれから先の世界、そのまたもっと先の世界でも俺はこの男に恋に落ちる。
彼が俺をみつけだしてくれる限り、何度でも。
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