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日本編7 絡めた小指は離れない

 握る手から伝わってくる体温から互いがこれ以上なく高潮しているのがわかる。  エレベーターを降りるなり、ドアを開けるわずかな時間すらもどかしく二人で部屋に飛び込んだ。後ろ手にドアを閉め、靴やら服やらをそこらじゅうに放り投げながら脱ぎ捨てていく。  全ての衣類を取り払うと抱き合いながらベッドになだれこんだ。 「ねえ、キスしていい? 」 「さっきもしたじゃないか」 「そうだけど、もっとちゃんとしたやつ」 「嫌って言ったら? 」 「じゃあやめとく」 「本当に? 」 「ううん、嘘」  思った通りだ、と陸人さんが悪戯っぽく笑う。来いよ、とでも言いたげに顎をしゃくられ、我慢できずにその唇に吸いついた。その柔らかい感触を存分に堪能する。今まで我慢してきた分、いっぱいしておかなきゃ。  脳裏に流れ込んでくる走馬灯と今目の前にいる陸人さんの姿が重なり、一体どちらが現実なのかよくわからなくなる。  でもどちらにせよ、俺がこの人を好きだという事実に変わりはない。 「リシャールは本当は俺のこと、どう思ってた? 」 「嫌悪してた反面、心のどこかでは憎めないところもあるとは思ってた。俺を見るとすぐ飛びついてきて犬みたいだったし」 「じゃあリヤードも? 」 「うーん、あれはジャミルと一緒に過ごした時間が短かったからな」 「セックスまでしておいて? 」 「それはジャミルが誘うからだろう。あんなにせがまれたら断れない。友達になれたらとは考えたことはあるけど」 「えっ、俺リヤードのこと考えながら一人でシてたよ」 「うわ、お前、俺のことすごい好きだったんだな」 「……でも俺、リヤードの首切って殺したんだった」 「それは……まあ、俺もジュリアンのこと刺しちまったからな、お互い様ってことで」 「軽っ、陸人さんってそんなタイプだったっけ」 「お前が先に言ったんだろう、そんな昔のことは忘れるって」  かつての記憶の答え合わせだ。お互いの記憶をひとつに繋ぎ合わせていくパッチワークのような作業がおかしくて顔を突き合わせてくすくすと笑みがこぼれる。 「あっ、でも俺これだけは覚えておくわ」 「なんの話だ? 」  唐突に声をあげた俺に陸人さんが訝しげな視線を向ける。 「ロベールが俺のことめちゃくちゃ好きだったってこと。お前だけは憶えていてくれって言われてたから」  俺の言葉に陸人さんの瞳がふるりと震えた。じわりと潤んだそこからぽろりと涙がこぼれていく。 「うわっ、ごめん。なんか変なこと言ったけ」  涙を指で拭いながらうろたえる俺を陸人さんはそっと手で制した。 「違うんだ、これは、嬉しかっただけで……」 「嬉しかったって、たかがこんなことで? 」 「俺にとっては特別だったんだ。どれほど憎んだ相手だとしても愛せるってことをシルヴァンは教えてくれた。それなのに、俺はお前を守れなかった……」 「ああ、処刑されたことか。あれはロベールのせいじゃない。時代が悪かったんだ」  子供のように涙を流す陸人さんの肩を抱いてやる。  俺は、いや“シルヴァン”はそんなこと気にしてなかったんだけどな。  でもロベールにとっては自分のいないうちに恋人が逮捕されて処刑されるというのに責任を感じていたに違いない。自分がかつて憎み、殺そうとした相手だとしたら尚更だ。長年胸に秘め続けた自らの怨念が招いた結果かもしれないと自分を責めたことだろう。  慰めるように陸人さんの閉じた唇をちろりと舐めると自然と口が開いた。その隙をついて舌を差し込む。おずおずと遠慮がちに絡められた舌は口づけを深くするたびにどんどん大胆になっていく。  陸人さんからはさっきまで飲んでいたコーヒーの匂いがした。  頭の中がぼうっと熱を帯びて思考が纏まらなくなる。ざらざらとした舌の感触が口腔を自由に這いまわるたびに脳に甘い痺れが走った。  口の端からどちらのともいえない唾液がこぼれ落ちていく。  薄く目を開くと陸人さんもまた俺を見つめているのに気づいた。その伏せた睫毛がキスに合わせてふるりと揺れる様に釘付けになる。  歯列を撫ぜていた舌が離れていくのを感じて我も忘れてそれを追いかけた。夢中で吸いつくとまたしても彼の睫毛が震える。時間が経つのも忘れてひたすらに唇を貪る。絡めた舌を擦り合わせるたびに脳が蕩けるようだった。  唇を離すとそこはすっかり腫れて赤くなっている。互いの唾液で濡れててらてらと光っているそれはひどく扇情的に思えた。 「お前とこうして触れあえるのなら“永遠の煉獄”も悪くはないな」 「なにそれ、永遠の煉獄? 」 「死神に払った代償だ。今までは呪いだと思っていたが、そのおかげでどの世界でもお前と必ず出逢えるんだから天の恵みかもしれないな」  “永遠の煉獄” なんて仰々しくてよくわからないけれど、そんなところに放り込まれたせいで俺たちはこうして巡り合うことを運命づけられたってわけか。死神も粋なことをするもんだ。  陸人さんが流し目を利かせてもっととねだるようにちろりと唇を舐めてくる。その情欲を煽るような仕草に応えて再び唇を寄せた。  お互いの身体のことはすべて知っていると思っていた。欲望のままに抱き合って、相手を満足させられることなら何でもした。  ただひとつ、唇だけは手つかずのまま。それが今、念願叶ってようやく触れることを許されている。その打ち震えるほどの歓喜と興奮を彼もまた感じているのだろうか。 「その“永遠の煉獄”って、好きになるのは俺からだけど陸人さんがみつけてくれなかったら意味ないよね」 「……確かに」  事の発端となったジュリアンは言うまでもなく、エジプトでリヤードに出逢ったジャミルも、フランスでロベールと出逢ったシルヴァン、そして今この世界にいる俺も、決まって相手よりも先に恋に落ちた。  でもジャミルは娼館でリヤードにみつけてもらわなければきっと恋を知らないまま野垂れ死んでいた。またシルヴァンもロベールにコーヒーハウスで出逢わなければ愛する喜びを経験することなく断頭台の露と消えていた。そしてかく言う俺も陸人さんに大学で声をかけてもらわなければ今の幸せはなかったかもしれない。そう考えただけでぞっとする。 「お前が約束を守ってくれたから、俺もひとつ約束するよ」  陸人さんの手が俺の両頬を包み込んだ。そのあたたかさが心地よくて目を瞑る。 「お前を独りぼっちにさせたりしない。どれくらい時間がかかるかわからないけど、お前が死ぬときには側にいてやる」  ゆっくり目を開くと真剣な眼差しの彼が目に入ってきた。嘘か本当かはわからない。俺を安心させるための方便かもしれない。  でもそれでも構わない。目の前の恋人が俺のために約束を守ると言ってくれた。それだけで“永遠の煉獄”でも生きていける気がするのだ。 「次の世も必ずお前をみつけだすから」 「——ああ、ずっと待ってる」  心から満たされる充足感、この感覚をいつまでも胸に刻んでおきたい。  今後俺たちの関係がどうなるかわからない。輪廻を繰り返すうちに“永遠の煉獄”のなかで想像もできない形に変容していくかもしれない。もしかしたら再び憎み合うような関係に戻ってしまうことも考えられる。  それでも隣に彼がいて、二人で約束を覚えていればいい。身を焦がすほどの憎悪や自分では御せないほどの殺意に支配されたとき、この気持ちを宝箱のように胸の内から取り出してそっと眺めていたい。  そしたらきっと大丈夫。すべてがうまくいく。  だって俺には彼がついているんだから。

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