1 / 2

3000日ぶりの口論と酒の味

ソードが北の魔王を討伐した。 そんな知らせを聞いたのは、書斎から出て3日ぶりに日光を浴びた時だった。心地好い疲労を胸に空の胃へ食べ物を流し込んでいる傍らで、弟子の魔法術師が目を輝かせて私に報告してきたのだ。 北の大地の大半を何十年と征服し、我が物にしていた悪名高き魔王。それが勇者の生まれでもない剣士一人に破れたらしいと。まるで自分の父か兄が修めた功績かのように語る彼を私は押し退けた。少なくとも私にとってはそんな名も無き剣士の歴史に残る功績よりも、垢と汚れにまみれた身体を清める方が大事だった。 数分の行水を済ませた後、私は再び書斎へ閉じ籠った。今しがた書き上がった論文を提出しに行かなければいけないのだが、既にどうでもよくなっていた。私はインク壷を振り上げると床に叩きつけた。インクが染みる絨毯を何度も踏みつけながら、ただひたすらにソードのやに下がった表情を思い浮かべていた。 ソードは決して血に恵まれた剣士ではなかった。 有象無象に埋もれて然るべき平凡な男で、自他共に評価は低いはずだった。だが奴はペンよりも剣を握ることを選び、しまいにはこんな冗談のような成果を上げるに至ってしまった。むしゃくしゃして、腹が立って、目に入る物体を片端から手に引っ掛けた。崩落の音はどこか遠く他人事で、ひび割れた心を埋めるには微塵も足りなかった。どこぞの誰かが捏造した夢物語だったらどんなに良かったか。そうであれば、私は今こうして癇癪を起こしていないだろう。 棚という棚に収められた全てをぶちまけてしまって、ついにはそれ自体に手をかけようとしたところで我に返った。我に返って、そして途端に虚しさを覚えた。 もったいない。 どうしてこんなことがまかり通ってしまったのか。 奴の名を二度と聞くことがないようにと、私は対極に位置するこの都市で二度目の人生を歩むことにしたというのに。 ――。 燻っていても仕方がない。とにかく私の中で燃え広がる衝動に抗う術はなく、私は次の瞬間には努めて冷静に旅支度を始めていた。最低限の装備を整えてから部屋を出ると、小鳥のように震えた弟子が一枚の封書を私に差し出した。 私はそれを受け取り、二秒後には炭へと変えた。驚愕する彼に『残滓魔力で誰から届いたものかくらいすぐに分かる』と説明してやり、更に一週間ほど留守にする旨を伝えた。その間に届く封書は一枚たりとも受け取らず、不在という旨を添えて返送するようにとも。 まったく。こんなもの送られずとも貴様の考えることくらい分かるというものを。 本当に憎らしい男だ。 * ウィザが南の魔法術師協会の長になっている。 濁流のような情報の中で、唯一それだけがオレの目を引いた。 北の魔王を倒すためにオレは3000日を費やした。晴れてそのカウントを止めた日にまずしたことは、他の都市の情勢を把握することだった。何しろついこの前まで魔族に支配されていた流通に乏しい最北の地だ。自分から取りに行かなければ水の一滴すら手に入らないような辺鄙な仮宿は、隔離された異世界のようなものだった。 だからまあ、その情報は寝耳に水もいいとこだ。あの向こう見ずの頑固者がよくも上り詰めたもんだと腕を組んだ。 素直に驚いて、感心して、そして、オレは随分と久々に腹を抱えて笑った。身の丈何十倍のドラゴンの首を落とした時も、魔王の心臓を刺し貫いた時もこんな気持ちは湧きやしなかった。 あいつが魔法術師協会に陣取っているということは、オレの親父は失脚したということだ。あのクソ野郎はどんな顔をしていただろう。自分の息子でもない、才能もない平凡な男に努力なんてもので足を掬われたのは、どんな心地だっただろう。 それから、あいつも。 オレと喧嘩別れしてからの3000日の間で、見事に新しい環境で望んだ未来を手に入れたわけだ。それは一体どれくらいの努力が必要なことだっただろう。オレと同じくらいだっただろうか。それとも、オレよりもだろうか。 想像は尽きなかった。不思議とオレの中にウィザに対してのネガティブな感情はなく、純粋な好奇心だけが湧いていた。せっかくだから、顔でも見てやりたい。そんな感情に従うには十分な動機が揃っている。 さて。それはそれとして合理的な理由をこじつけておいた方がいい。 北の魔王はオレが殺した。この報は放っておいても大陸全土に広まるのは確実だ。東西南北を統べる悪しき存在の一角が崩落したことによって、これから大きく変化も起こるはずだ。魔族の動きが活発になるかもしれないし、人間族に勢いがつくかもしれない。 そうなるとまず他地方の長共はオレを見定めたいはず。どんな形でもいいから顔を見て、話をして、できるなら、その牙が間違っても自国に向かないように手を回す。どうせそうなるなら、オレから見定めに行ったって結果は同じじゃないか? ……だから、まあ、これはあらゆる意味で正当だ。これからどう動くべきかを相談するのに、南の国の長が旧知というのは都合がいい。 オレは魔力をこねて使い魔を編むと、真っ直ぐ南の国へ向けて文を送り届けた。 『中継地点で落ち合おう』 そんな簡素な文章だけを載せて、オレは何千日と世話になった仮宿を後にした。 * 正規ルートを通るなら、中央都市へは東西南北の主要都市からきっかり片道5日だ。だが私には関係ない。テレポートの連続使用で複数の関所を飛び越え、2日後には人混みの中を歩き回っていた。 中央都市はいつ立ち寄っても人で溢れた街だ。すれ違い様に少しくらい肩がぶつかっても仕方がないという顔をされるばかりで、私を見て血相を変える輩もいない。単純に知り得ないのかもしれないが、基本的な対策を施しているおかげだろう。 南の魔法術師協会長がお忍びで路地を闊歩していると知られれば、騒動は必至だろう。協会長という肩書きは最早小さいものではないのだという自覚は、これでもしているつもりだ。 だが、変装術は微量の魔力で効果を発揮する代わりに重大な欠点があった。全身を魔力で包み隠蔽するという性質故に、魔力探知に秀でた者にとっては『魔力で偽装している』ということが文字通り目に見えてしまう。いくら見覚えのない外見だったとしても、その魔力に覚えがあればまるで意味のないものとなるのだ。 私は街の中央にある広場で立ち止まり、フードを取った。魔力の屈折率を変え、透視術を駆使すれば知覚できるように調節する。目の前の男も同じような動作で魔力を操作するのを確認する。私の視覚に魔力が通った瞬間に、その男は屈強な肉体と人を食うような満面の笑みを携えていることが分かった。懐かしくもない、不快な顔だ。 「手紙見てから来たのか? それにしては早かったな」 「ほざけ。私の用件は二つだけだ。無駄な時間を使うつもりはない」 自己紹介も再会の喜びもない。勝手知ったるやり取りに温かい気持ちになることもなかった。私は、そのことにひどく安堵する。 「無駄。無駄ってか。お前が今のオレの何を知ってんだよ。なぁんも知らねえで交渉が成り立つと思ってんなら、お前はよっぽど腕に物言わせて生きてきたらしい」 口調のわりに、ソードの声色は富んでいた。何がそんなに面白いのか分からない。私はやはりこの男と顔を合わせることは苦痛だと再認識したばかりだというのに。 知ってか知らずか、ソードは私の肩に腕を回してきた。たかが3000日経っただけで随分と縦にも横にも大きくなれたものだ。一時的に近い場所にある赤い瞳が、にんまりと細まる。 「腹減ってんだ。伝説内定の剣士を労ってくれてもいいだろ、魔法術師協会長サマ?」 私はこの男が本当に嫌いだ。それが伝わることを願って脇腹に肘を入れた。 無神経なところも軽薄なところも変わらない。この男と話をしていると、紐をかけたように思い出したくないことが浮かんでくる。 それでも無様に逃げるという選択肢があるはずもなく、視界に入った手頃な大衆飲食店に足を踏み入れた。こうした店でいいところと言えば安価なところと喧騒が絶えないところだけだ。席に着くなり矢継ぎ早に注文をするのを見る限り、こういった場所の方が文句が少ないだろうという予想は当たったようだ。 「それで。まず一つ目だが」 「まだ乾杯もしてねぇだろ。気が早ぇ奴だな」 こいつは私が腐れ縁との語らいにわざわざ時間を作ったとでも思っているのだろうか。 「もっと他に話すことがあるだろうよ。聞きたくねえ? どうやって魔王を殺したのかとか」 「今日はそんなことを話しに来たのではない」 「オレは話したい。知り合いに会うのも3000日ぶりなんだぜ。何でもいいからわーって騒ぎてぇんだよ」 ならば人選ミスと言う他ない。仮に私の機嫌が良かったとしても、決して饒舌な方ではない。そんなことはとうに把握しているだろうにわざわざ口にするあたりが、性格が悪い。 私はソードが何を考えているのかが分からなかった。ただ飲み食いするだけが目的なはずはない。探りを入れずとも酒が入れば暴露しそうなものではあるが、時間をかけたくはない。 そのうちに私の眼下にジョッキが荒々しく置かれる。やたら泡の多いエールを掲げて、ソードは声を張り上げた。 「乾杯!」 ガチンと勝手に合わせられたジョッキからエールが僅かに零れる。およそ7割ほどを一気に飲み下す様を見て、呆れながら私も口を付けた。たいして美味くはない。そもそも私はエールよりワインの方が好みだ。 「そうそう、お前が協会長になってるの知ってかなり驚いたんだぜ」 顔が強張るのが分かった。酒が不味くなるという感覚を、言葉でなく理解できた。 「お前が剣士止めて魔法術師になるって聞いた時は絶対無理だって言ったけどよ。まさか本当に夢を叶えちまうとはな」 「……そうか」 「いやいや、褒めてんだって。だって才能ねぇってわかってたじゃん。オレと同じで3000日でやり遂げたんだなぁ、ってよぉ……ほんとさ。胸いっぱいになったわ。わりとマジで」 「……」 言われる通り私に魔法術師の才能はなかった。この男の嫌味でもなんでもなく、純然たる事実だ。 昔はそう言われても何一つ気にすることはなかった。私より才に溢れた人々に陰口を叩かれようと『事実だから』と怒りの一つも湧くことはなかった。けれど、今日この日の言葉は――ひどく私の心をかき乱した。 「貴様こそ」 「あん?」 「貴様こそ、同じだっただろう。才能の欠片もないくせによくも3000日もの間生き延びたものだ」 「まあ、な。オレもただ無意味に過ごしてた訳じゃなかったってコト」 「先代会長は嘆いていたぞ。何故この椅子に座るのが貴様ではなく私なのだと呪詛を吐かれもした」 「……」 「本当に、そう思った」 ソードは先代の魔法術師協会長の唯一の子息だった。つまり、約束された魔法術師の血が流れている。その才能をドブに捨てて、こいつは剣の道を行くことを選んだ。 ――私もそうだ。 私にも私の持ち合わせた才能のルーツがあった。ただ、私がその道を行くことを選ばなかった。剣よりも魔法術に魅入られて、同じように捨てたのだ。 私たちはお互いに親不孝者だった。 「……別にいいじゃねぇか。結果出したんだ。才能なんかなくたって努力でどうにかしたって、それ美談じゃん。恥ずかしいなんて思ったことはないね」 「貴様が素直に魔法術師を目指していれば、半分以下の時間で協会長になれたはずだ」 「お前だってそのまま剣士になってりゃ、半分以下の時間で魔王を殺してたさ」 この男は全く悪びれなかった。生まれ育った環境に、親に、才能に砂をかけたとしても後悔や反省は見られない。 「それでも勿体ねぇなんて思ったことはねぇよ。一瞬も」 私はソードのそういうところが嫌いなのだ。 同族嫌悪なのは分かっている。私は――努力が追い付かなくなった瞬間を考えて、今も眠れない日があるというのに。 この男は昔から私の神経を逆撫でる。その度に私は言い様のない怒りに突き動かされて、憎らしさに歯噛みして、それを舌に乗せる。 「結果論だ。貴様が目先の我欲しか見えていないのは変わらない」 「そりゃお前もだろ。いくら近道があったって、オレらはそれが嫌で、それでこんだけ時間が経っちまったんだからさァ……もういいじゃねぇか。それにもう認められるようなフェーズに入ってるんだぜ。止める訳にもいくかよ」 「……貴様」 名も無き剣士が魔王を殺した。 それが今後どれだけの影響を生むのか分からないはずはない。その存在を欲しがる者もいれば、厄介だと切り捨てる者もいる。 それにこいつは――正面から向き合おうと言う。正気の沙汰とは思えない。 「じゃあ、そろそろ真面目な話もしとくか」 散々エールを煽って、来る皿来る皿を片っ端から空にしていたソードが、その言葉を皮切りに指を組み合わせた。 茶化すような素振りのない、真面目な目付きだった。 「北が崩落した。南は魔王が配置されない限り現時点じゃ盤石だ。今のうちに東西の魔王を落とさないといけない。他はどうなってんだ?」 「……西との交渉は難航している。異様なまでに保守的で最低限の防衛しか成す気はないようだ。東はこれからだが、条件によっては私が身を切れば余地はあるかもしれん」 魔王が討伐された地域は一定期間が経過すると再び魔族が配置される。それを阻止する手立てはない。いつの間にか『居る』のだ。 それに対抗する策は一つだけ。魔王が再配置されるまでに全ての魔王を討伐することだ。 だが――それが上手くはいかない。魔王がいることで生まれるデメリットとメリットが釣り合っている現状に満足する人間族は、決して少なくないという事実が私の頭を悩ませている。 「じゃあ西に探り入れるよう北の国王に進言する。北がゴチャついてるうちに能動的にならねぇと東に動かれるぞ、って発破かけりゃいいんだろ」 「円卓に着かせられればそれでいい。結局は東西南北の長が顔を合わせなければ戦争になるだけだ。……それで貴様は結局どの国に籍を置くつもりだ」 「暫くはあちこち放浪するからどこも断るぜ。大体オレみたいなぽっと出が出しゃばったら各国の勇者様に角が立つしな。北の国王に討伐の報告上げたらとりあえず自由だ」 「わかった。それが分かれば今日はもう満足だ」 私が知りたかったのは『ソードがどこかの地に与して情勢をかき乱す意思があるのか』ということだ。知識としては仕入れるが首を突っ込む気はないというのは身の振り方としてベストだ。何より私の心労が一つ減る。これだけでも今日の会合の利はあった。 「で?」 ころりと、ソードはまた酒に酔わされたかのようなだらしのない顔に戻って促した。 「で、とは」 「なんかお開きみてぇな空気になってっから。他は?」 「他? もうない。とりあえず欲しい情報は得られた」 「いや、いや。まだだろ。まだ話し足りねぇ」 私はエールを飲み干すとフードを被り直した。酔っ払いの相手をする気はない。それにこれ以上胸の内を掘り探られるのも嫌だった。 「なあって、ウィザ。オレがさ、何で一番にお前に会いに来たと思う?」 「は。一番?」 「一番だよ。三日前に魔王殺してさ、北の国王との謁見もすっぽかしてここ来たんだよ」 耳を疑うような発言をされた。謁見をすっぽかした? 国王の? ――そんな重大なことよりも私を優先した? 「どうしてだと思う?」 「訳がわからん」 「知りたいだろ。知りたいよな。じゃあお開きにする訳にはいかねぇよな」 ソードは、また私の肩に腕を回した。喧騒に紛れて誤魔化されることのないように。引き寄せて、耳元で、はっきりと。 「3000日の間、ずっとその呆然とした面が見たくてたまらなかったんだよ」 カランと鳴るジョッキの氷に視線を落とす暇もなかった。 * オレはウィザの腕を引いて店を出た。あいつはロクに抵抗することなく、オレに連れられて路地の端っこを引きずられている。フードに隠れた顔が今は見えない。オレらの変装術なら解けることもないんだし、そうやって隠す意味も特にないってのに。 多分オレがどうやっても帰すつもりがないって分かって諦めたんだろう。こうなれば二軒でも三軒でも付き合ってくれそうな態度は、オレが次に選んだ店が何かを知った瞬間に一変した。 コンフュージョン。咄嗟にオレへかけられた混乱術を即座にレジストして、オレは強引に戸をくぐった。 場末の連れ込み宿は少し混んでいた。それでも一番高く、一番広い部屋は空いていて、オレは迷わずそこを選ぶ。多分素で混乱しているだろうウィザは、力の入れ方を忘れたみたいに躍起になっていた。結局デカいベッドに放り投げられるまで、自由にはなれなかったんだけど。 「き、貴様。貴様一体どういう……!」 オレはまた笑いそうだった。再会した時は随分老けたなと思ったというか、大人になったなと思った。昔と比べて無愛想で可愛げが激減した面はやっぱりこいつ変わっちまったなとがっかりしたモンだが、こういうところを見ると「変わってないな」と実感する。 ウィザの、昔からオレに振り回されて慌てふためいてる姿が一番好きだ。オレの一挙手一投足に敏感に反応するところが、飽きなくて好きだった。 「どういうも何も、飯食って、酒飲んで、こんな場所に来ちまったんだから、やることは決まってるだろ」 「ふざけるな!」 「ふざけて男連れ込むかよ。たとえ酔っててもよ」 一つ一つ逃げ道を潰す。ウィザは数秒毎に絶句して思考を止めているようだった。多分オレは異性愛者だと思ってたとか、自分がそういう対象になるとは思っていなかったとか、そのあたりなんだろう。 ウィザがオレに対してどう思っているのかは大体わかる。でもオレはこいつとは違う。同族嫌悪なんてものはないし、こいつほど物事を深く考える性質じゃない。 ただ、久しぶりに会ったこいつがオレの見たいものばかり見せてくれたから――滾った。そんだけのこと。 即物的で行き当たりばったり。自分でも適当に生きていると思う。でもいいんだ。後悔や反省が出て来ないってことは、結局のところそういうことだ。 「『マジックシール』」 「!!」 オレが剣士になったからって魔法術師の才能が消えたわけじゃないのは当たり前だ。なのに『剣士』に魔力を封じられるとは思ってもなかったなんて顔で睨み付けてくるのは滑稽だった。大体それはお前だって同じだろうに。 「っぐ」 「私に触れるな!」 鍛えることは止めても持ち前の膂力が損なわれないのと一緒で、鋭い拳は明らかに魔法術師のものじゃない。オレは口元の血を拭った。血が熱くなるのをひしひしと感じる。 「オレは触りたい」 「来るな!」 「お前に近寄りたい。お前のこと……メチャクチャにしてやりたい」 「は……?」 ぎょっとした隙に覆い被さって、抱き締めた。オレよりは細っこいけどしっかりとした男の身体。髪は長いけど女の繊細さはどこにもなくて、気取った香水の匂いがした。 「今すげぇドキドキしてる。酒だけのせいじゃない。分かるだろ」 改めて突き付けると、ウィザは硬直した。それから、絞り出すように言われる。 「私は、貴様となどもう二度と会わないと思っていた」 「おう」 「才能を捨てたところで努力が報われるとは限らないと、できる限りの言葉で罵倒したな。貴様も、同じように私を扱き下ろした。互いに否定して、拒絶して、別れた。この先交わることなどないと思っただろう」 「あぁ、思った」 「私は貴様が道半ばで息絶えていればいいのにと心から願っていた」 ウィザの胸元のボタンを外す。肌が露になっていっても、ウィザは項垂れたまま遠い目をしていた。苛烈な青い瞳は水底の濁りを見せている。 「オレはお前が現実に打ちのめされてりゃいいのにと思った。挫折して、それでも泥を啜って生きてればいいって」 随分と白くなった地肌に唇を寄せる。鬱血は色濃く残って、オレは真新しい土壌に鍬を立てるように紅を散らしていった。 「でもそうならなかった。それならそれでいいんだ、オレは」 「私はよくなかった。そうならなかったことを知りたくなかった」 「駄々っ子だな、お前。こうなったら吐き出しちまえよ、3000日分をさ」 オレも服を脱ぎ捨てる。上半身裸になったところで息を呑まれるのがわかった。ちゃんと鍛えただろ。あんなにのっぺりした魔法術師でもここまで鍛えられただろ、オレ。 もっと打ちのめされてほしい。傷ついたお前の顔、メチャクチャ興奮するから。 「どう、する、んだ」 「お前の処女オレにくれよ。……処女だよな?」 「当たり前だろうが殺すぞ」 「ふ、あっはっは! そう、その調子だ。優しくしてやるから、もっと曝け出せよ」 ボトムに手をかけて、強引に脱がせる。ウィザは流石に少し嫌がったが、ここまで来れば結局はただのポーズだ。爪先まで全部脱がしきってまじまじと見下ろした下半身に目を剥いていると、心底苦々しげに零された。 「貴様のことなんて大嫌いだ。ソード」 バキバキに勃たせておいてそれは、ちょっと説得力ねぇなぁ。 * 処女だと素直に言ってしまったからだろうか。この男の手付きは妙に優しくて吐き気がしそうだった。 部屋のランクのせいなのか、備え付けの潤滑油はやたらと甘ったるい匂いがして頭がくらくらした。いや、酒のせいかもしれない。私はジョッキ一杯しか飲んではいないが、悪酔いするのには十分だ。 「指、増やすぞ」 「ぃ、ぎっ……」 武骨な指が一本増えるだけで相当に圧迫感がある。そういう想像力は持ち合わせているのか、ソードは潤滑油を継ぎ足すとゆるりとした速度で壁を擦った。胎の内側を擦られると喉から引き攣るような声が自動的に流れて、泣きそうになる。枕に吸わせるにも力不足だった。 「ぁ、あ、アっ……!」 「気持ちいいなら声出せって。オレだって男初めてで全然わかんねぇんだから」 「うる、さ……ッ」 嫌いな男に身体を暴かれている。あまりに倒錯的で疑心が膨れ上がっていく。私はこんなにも単純で感情的な人間だったのだろうか? 二本の指が壁に押し付けられる。押し付けて、意思をもって抉り引っかかれる。駄目だ。乱れた思考の爪痕からとろりと白濁が零れるように、漏れる。 「ぁく、んアッ、っぁあああ゛!」 「うわッ……」 下肢ががくがくと痙攣して吐精してしまう。かくかくと腰が上下するのが自分の意思で止められない。おまけにこだまするような快楽の波紋が全身に広がって、たまらない。 「あ゛……ぁ、あ」 「ここでもイけんだ……すげぇな。知らなかった。ちんこ擦られるよりヤベェんだ」 顔に火が付く。分かって言っていないのが幸いだ。別にそうしたくてそうしている訳じゃない、と何度目かもわからない言い訳をする。 潤滑油が粟立つ音がして思わず目を見開いた。拡げられる。指を更に増やされた。果ては受け入れるために。丹念に下ごしらえをされる。 「そぉど、だめだ、今、イって」 「あ? じゃあさっきのとこは触らねぇようにするから」 「そうじゃ――ん゛んッ……!」 そういう問題ではない。ただでさえ狭いのだ。触れないようにしたところでどうやったって触れる場所で――そもそも私は反射的に締めてしまう。肉の付き方、骨の位置まで把握しそうなほどに強く。 もう二度は果てただろうか。まだ終わりには程遠いというのに、これでは拷問だ。過ぎた快楽は毒だという言説にそんな馬鹿なと思っていたが今日を境に改めるとしよう。 ふと、呼吸がしやすくなっていることに気付く。見上げると、烈火のように輝いた赤い瞳が細められていた。 「待……」 押し当てられる。しっかりとは見ていないが、指など比較にならない、杭のような。 「ウィズアルド」 「――」 理解する前に貫かれる。あ、あ、と呻き声が肉を拡げられる度に発される。無理だ。入らない。入れるな。そんな単語も伝えられないまま、脳髄の痺れるような感覚だけを握りしめていた。 「入っ、た。はは……やれるもんだな」 「~~っ……」 「……ウィザ。苦しいのか。見せろよ、顔」 見せたくはなかった。けれど強引に両手で正面を向かされて、飄々とした顔が視界いっぱいに広がる。勝手に伝う涙を舐め取られて、睨み付けた。 「ソーディン」 「……は」 ぽかんとする顔を掴み返して、阿呆みたいに半開きの唇に舌を捻じ込んだ。驚いて縮こまっていた舌はすぐに応えてきて、乱暴に絡め返してくる。呼吸も忘れて貪った。太い首に腕を回して、短い髪に指を指し込んで。 随分と久しく。それこそ3000日の比ではないくらいに、互いの名を声にした気がした。 「私は、貴様が嫌いだ。これまでもこれからも」 「オレ、お前のこと好きだ。好きだから、思い通りにならないことばかりしたい」 限界にまで両脚を押し広げられて腰を引かれる。内臓まで引きずり出されそうな暴力はいっそ心地よかった。現実逃避も許さない強引さが、今はありがたい。 「っぐ……あ、すげ……きっち、ぃ!」 ソードは興奮と快楽でおよそ人には見せられない目付きになっている。魔王を殺した時もこんな顔をしていたのだろうか。 そう思った瞬間に、どくりと心臓が鳴った。血が、異様なスピードで送り出される。 「あ゛~……! ああぁ゛、あ゛……あ……!」 有言実行をされた、と思う。もう私の頭の中はメチャクチャだ。 穿たれる度に死んでいるような気がするし、色気の欠片もない濁った声しか出ない。それなのに陰茎は痛いほど反り返っているし、千切りそうなくらいソードのモノも締め付けている。 気持ちいい。すごく、気持ちいい。 未だかつてない高揚に視界が潤んで止まなかった。 「ウィザ、ウィザぁ……やべぇ、オレもすげぇイイ……」 「わたし、ッも……ア、ぃく、イ゛――」 性感帯を潰された瞬間に潤んだ視界が真っ白になって、私はまた下肢を痙攣させていた。仰け反る背を上から押さえ込まれて、体重をかけられる。 「お前……これ、出てねぇ、けど」 「あ――?」 ソードが私の陰茎に指を添える。それは腹に反り返ったまま、硬度を保っていた。白濁の痕跡は、そこにはない。 「知ら、な……」 「ちゃんとイってんのか? 出しておかねぇと……あ」 心配そうにしていたのは少しのことで、ソードは口角を上げた。両手で私の腰を抱えるとごちゅりと物理的に音を立てて突き上げた。 「ん゛……ッお゛……!!」 「ま、長持ちすんだったらいいんじゃね? いっぱいイっとけ」 「くそ、がッ……や゛め――っあああぁあ゛!!」 下半身を固定されて逃げる余地もないまま欲を叩きつけられる。杭のようだと思った陰茎は難なく抽挿されるようになっていて、入り口も中も奥も好き放題に快楽のはけ口にされている。 あられもない声で泣き叫ぶくらいしかできない私をどう思っているのか、ソードはただ楽しそうに腰を振っている。最悪だ。こっちは楽しくもなんともない、のに。 「はや゛く、イ゛け! はゃぐ! おわ゛っで、ぇ……!」 狂乱しながら、断続的な絶頂を迎える。この拷問に耐える術を私は持っていない。気持ち良くて、気持ち良くて、頭がおかしくなる前に終わってほしいことでいっぱいだった。 声を上げてソードが笑う。肉と肉が触れ合う音よりも、大きく。 「馬鹿だな。お前が嫌がってんだから終わるはずねぇよ」 うそだ、と口にする前にソードが奥で弾けた。マグマのような精液が流し込まれる瞬間を感じ取ってしまって、私も限界に達した。 まだこれから、何回と責め具を受けなければいけないというのに。結局挿入から一度もまともに触れられないままに、腹の上に情けなく吐精してしまった。 * 延泊に延泊を繰り返して、最終的にもういいかとなったのは3日くらい経ってからだった。何度も休憩を挟んだもののオレもウィザも後天的と先天的な体力馬鹿だから、満足しなかったんだ。 ウィザは絶対に認めようとしないだろうが、最後の一日はあいつから腰を振ってくれたりもした。オレはそれが楽しくて仕方なくて、名残惜しさでいっぱいだった。これで合意じゃないとか言われたらどうしようかと思ったが、翌朝にはふてぶてしい顔で煙管を吸っていた。よかった。こいつが物分かりのいい奴で。 「どうしてくれる。一週間で戻ると言い残してはきたがこれじゃギリギリだ。早めに戻って仕事の続きをしようと思っていたのに」 「テレポートなら数時間もありゃあっちに帰れるだろ。余裕じゃん」 「貴様ならな。私は魔力を回復させながらでないと無理だ。最短二日はかかる」 「あぁ、悪い。予定までは気にしてなかった」 「死ね」 軽口を鼻で笑って、オレも脳内で概算した。北の国王は大らかな人だが、流石に何か言い訳か手土産かは必要になるだろう。謁見をすっぽかした上にまさか腐れ縁と三日三晩ヤり倒してましたとは報告できない。 「なぁ、どうせなら送っていってやろうか」 「貴様に売る恩はない」 「いいや、買うんだよ。お前さ、北の国に魔法術師協会の支部欲しかったりしねぇか」 「は?」 「北の国王は軍備を欲しがってる。魔王こそオレが倒したが、その間誰が周辺都市を守ってたと思う? 戦力補強は急務なのさ」 ウィザは一度視線を外した。悪い話じゃないはずだ。魔法術師協会はデカい代わりに取り回しが悪い。他国に支部が用意できるとなれば、それが一歩改善される。 「取り持つと? 貴様が?」 「政治に首突っ込む気はねぇのはマジだぜ。でもオレも顔立てとかなきゃいけねぇんだよ。どうだ?」 「……いいだろう。貴様が落ち着いたら使い魔を寄越せ。考えておく」 「おう。よろしくな」 さて、これで当面の問題は解決した。また諸々の課題が浮かび上がってくるだろうが、そこは地位ある方々に任せたいところだ。暫くは休暇を貰ったところで誰にも文句は言われないだろう。言われたところで止めるようなことでもないが。 「それで?」 「それで、って?」 「本当は何をしに南へやって来るつもりだ」 吸い殻を捨てて、ウィザはベッドの側へ戻ってくる。呆れ顔は完全にオレのことを見抜いていて、たははと気の抜けた声が出た。 「ついでにお前の家に暫く厄介になろうかと思って、下見」 「生憎だが先約がいる。弟子の部屋を取り上げるほど貴様に価値はない」 「で、弟子?! お前にそんな人望あるのか嘘だろ。普通に顔見てえ」 「あるに決まってるだろう。協会長は推薦制だぞ」 あぁそういやそうだったか、と呟くとウィザがぶすくれた顔をしていた。拗ねた顔があまりに可愛くなくてニヤついていると顎に向かって拳が飛んできた。受け止めて、握りしめて、苦味の残るだろう唇を奪ってやった。 「そのお弟子様にオレのことなんて紹介する?」 「行き倒れの無職でいいだろう」 「ちゃんと紹介したらオレに興味向くもんな」 「ほざけ」 死角から勢いよく蹴りこまれて、オレはベッドから宙を舞った。脇腹を抑えて悶えるオレを見下ろす目は冷たくて、深い水にも天高い空にも見えた。 甘ったるい情なんてものは限りなく遠い。安心より納得がオレの心を占めていて、あぁ本当に、いけ好かなさを忘れさせてくれないところが最高だった。

ともだちにシェアしよう!