26 / 56
二話 王子って実はスケベだったんですね 7
「杏、おまえ幼稚園の先生になるのが夢なんだろ。昔っから言ってたよな。大きくなったら幼稚園の先生になるんだって。幼稚園教諭の免許は大学とか専学にいかないと取れないんだろ」
「そうだけど……。でも、しかたないよ」
杏は大きな目を伏せた。長い睫毛が目の下に青い翳りを落とす。
「このタイミングでこんな話が舞いこんできたってことは、きっと神様が杏の夢を叶えてやろうとしてるんだよ。だから、大学にいって夢を叶えて、おれの夢も叶えてよ」
「お兄ちゃんの夢?」
「自分の子供を杏の働く幼稚園に通わせること。それがおれの夢なんだよ」
「えっ!? そんなことを言うってことは、ひょっとして彼女ができたの?」
杏は席から腰を浮かさんばかりの勢いだった。瞳が期待にきらきらと輝いている。
「……いや、できてないけど」
できる予定もありませんけど、なにか?
「なあんだ……」
「ま、まあ、おれの夢はともかくとして。おれはおまえに夢を叶えて欲しいんだよ」
頼んでいたパンケーキが届き、話が中断する。
奏が頼んだのはいちばんシンプルなもの、杏が頼んだのはたっぷりの苺とたっぷりのクリームが添えられたストロベリースペシャルという奴だ。
奏が頭で思い描いていたいわゆるホットケーキと違って、もっと小ぶりで厚みがあり、かなり柔らかいらしく、パンケーキ同士がくてっともたれあっている。
「うわあ……美味しそう!」
杏の瞳がふたたびきらきらと輝く。
どれどれとひと口食べてみると、口の中に優しい甘みがふわっと広がった。なんだこの柔らかさ。なにをどうすればホットケーキがこんなにも柔らかくなるのか。謎だ。
ふわふわパンケーキを食べながら、奏は杏を説得した。皿の上がわずかに残ったクリームだけになるころ、
「……わかった。進学することにする。ありがとう、お兄ちゃん」
やっと杏はそう言ってくれた。
「でも、私と夏目のお義父さんに全額使うのはだめだよ。自分のことにもちゃんと使って。毎月の奨学金の支払いはそこからすること。それとお金をあげるんじゃなくって、貸すことにして。契約書を作って、ちゃんと契約を交わさないとだめだよ」
しっかり者の妹はそうつけ加えることも忘れなかった。
「それにしても魔界の王子様かあ。どんな人なの?」
端的に言うのなら美形極まる尊大王子だ。
「そうだなあ……まあ、とにかく顔が良いよ。威厳があるっていうのか、思わずひれ伏したくなるっていうのか。十歳も年下なのに」
「へえ、格好いいんだ。会ってみたいなあ。私、魔族って会ったことがないんだよね。どこかですれ違ったことくらいはあるのかもしれないけど、見た目じゃわからないもんね。近いうちにお兄ちゃんの家に遊びにいくね」
「えっ」
杏をミハイエルに会わせたらいったいどうなるのか。無愛想だがそれを補って余りあるほどの美形である。ひと目惚れなんて事態もありえる。
万が一ふたりがおつきあいをはじめて、億が一結婚なんてことになったら、杏も王子の母のように魔界へいってしまうかもしれない。それだけは断固として阻止しなくては。
「いや、そんなわざわざ会うほどの相手でもないっていうか」
「会うほどの相手でしょ。お兄ちゃんとルームシェアしてるんだもん。魔族や王子様じゃなくっても気になるよ」
「いや、でも――」
「なによ、私に会わせたくない理由でもあるの?」
本音を話すわけにもいかず、奏はもごもごと口ごもった。
ともだちにシェアしよう!