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二話 王子って実はスケベだったんですね 10

 エリファスが、 「おめでとうございます! あなたは王子の同居人として見事に選ばれました!」  ベランダでそう叫んでから二週間。  人間の適応能力は大したもので、魔界の王子との同居生活にもずいぶんと慣れてきた。  奏は布団の中で身じろぎすると、もぞもぞと身体を起こした。ふわわわわ、と盛大なあくびをする。  もう朝か……。そろそろ起きて朝ごはんの用意をしないと。自分ひとりだったときは適当に済ませることも多かったが、人に食べてもらうのに手は抜きたくない。  あくびで滲んだ涙を拭いながらベッドへ目を向けると、ミハイエルはこちらに背を向けて眠っていた。  ミハイエルに『いつまで台所で眠るつもりなんだ。こっちの部屋で眠ればいいだろう』と言われたのは数日前のことだ。いつまでもなにもミハイエルに追い出されたからしかたなく台所で寝ていたのに。  でも、まあ、これも少しは打ち解けてくれた証しだろう。  ミハイエルは奏のベッドをそのまま使っている。格安のベッドは魔界の王子様が眠るのにふさわしくない。あずかっている支度金で新しいベッドを買おうとしたのだが、 『俺はこのベッドでいい。余計なことはするな』  ミハイエルにそう言われてしまったので、新しいベッドは買わないままだ。意外と倹約家なのかもしれない。  奏はそっと布団から出ると、食事の準備を始めた。  今日の朝食はツナと長ネギの入った卵焼き、小松菜と油揚げの煮浸し、具だくさんのおみそ汁、セロリの浅漬け。あとはきのうの残りの炊き込みごはんを焼きおにぎりにすれば、本日の朝ごはんの完成だ。  新しく作ったものは卵焼きとおみそ汁だけなので、二十分と立たないうちにテーブルに朝食が並んだ。  よし、そろそろ王子を起こすかな。  奏がエプロンを外しながらドアへ向かうと、開ける前に向こう側から開いた。 「あっ、お、おはようございます」  ドキッと心臓が跳ねる。同居生活には慣れたものの、目が覚めるほどに整った顔立ちはいまだに見慣れない。寝ぼけて眠そうな顔をしていても、寝癖で髪があちこち跳ねていても、美形は美形だ。つい心臓が高鳴ってしまう。  どうやらミハイエルは寝起きが悪いらしく、朝はいつも少し不機嫌だ。 「あ、朝ごはんできてますよ。きょ、今日は高校の入学式ですね――って、ちょっ!」  ダイニングテーブルに向かって歩いてきたと思ったら、いきなりぎゅっと抱きしめてきた。鼻先を髪にうずめて、くんくんと匂いを嗅いでくる。 「おっ、王子! ひっ、人の匂いをかがないでください!」  欠かさず風呂に入っているし、まだ加齢臭が漂う年齢でもないが、体臭をかがかれるのはたまらなく恥ずかしい。 「ミカでいいと言っただろう」  ミハイエルはむっつりと言った。 「おっ、おれも言いましたよね!? ひ、人の匂いをかいだりしたらだめだって。ま、魔界はどうか知りませんが、にっ、人間界では、ひ、人の匂いをかいだりしないんです!」 「どうしてだめなんだ」 「どう、どうしてって――は、恥ずかしいんですよ。に、匂いをかがれたりしたら」 「恥ずかしい理由がわからない」  もう一度抱き寄せられたと思ったら、またもや匂いを嗅いでくる。 「ちょっ、もうやめ――っ」  耳たぶがちりちり熱い。 「俺はおまえの香りが好きなんだ」 「――――」  なんだそれは。いや、知っているけど。奏の匂いはミハイエルの母親の匂いに似ている。知っているのに、求愛されているように感じてしまう。 「ずいぶんと仲がよろしくなられましたね」  笑みを含んだ声にハッとして振り返ると、いつからそこにいたのか長髪長身の男――エリファスが立っていた。

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