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司書、探偵に出会う#3
「ちなみにどこで開催されるイベントですか?」
「これです」
男はトートバッグの中から四つ折りにした紙を取りだし、手渡した。
「みんなであそぼう! 夏のわくわくテーマパーク」というポップな書体の下に、笹塚不動産の文字。
「笹塚不動産って、内崎駅の近くの大きい不動産会社ですよね? あそこの催しですか?」
「ええ。会社のビルの駐車場を使って、屋台を出したりビニールプールを出したりするそうです。読み聞かせや工作のイベントもそのときにします。開催日は八月十一日」
「ここの図書館も、毎年夏にイベントをしています。でも、今年はそれが無しになって。日程的には、大丈夫です」
「そうですか! あの、どうでしょうか? 知り合ったばかりでなんですが……」
神妙な顔をする男に、村岡の顔に思わず笑顔がこぼれた。
「わかりました。おれでよければ」
「お、やった! ありがとうございます。すごく助かります! 主催者にも早速連絡しておきます」
「ただ、副業的なことはできないので、謝礼は食事にしていただけますと有難いです」
「わかりました。美味しいとこ、予約しておきます」
ガッツポーズをする男に、村岡は笑った。
どうしてだろう。水城のことが頭から離れず、揺れていた心が落ち着いていくのを感じた。毒を孕んだ荒波が、肋骨の下で静かになっていくように。
初めて会ったのに、不思議だった。笑顔が癒し系だからかな。だから、こんなに体が軽くなるのかな。
男の顔に見惚れていた。
男がトートバッグからセルロイド製の小さなケースを取りだした。
「おれ、天馬了介って言います。これ、名刺です。よろしくお願いします」
名刺を見て目が丸くなる。「天馬探偵事務所」と書かれているのだ。
「え? 探偵さんなんですか?」
「ええ。でもホームズは期待しないでくださいね。浮気調査とかストーカー調査とかしてる、しがない探偵です」
よろしく、と差し出された大きくて厚い手をそっと握った。手は温かかった。びりっと電流が走った気がして、村岡の肩がぴくっと跳ねた。
しっかりと握り返す。
「よろしくお願いします。おれ、村岡征治と言います」
「征治さん。よろしく願いします。名刺にメールアドレスが書いてあるから、そこにメールしてくれますか? また今後の予定とか説明させてもらいます」
はい、と答えると、天馬は紙芝居を抱え直した。
「じゃあ、これ借りて帰ります。すみません、借りなかった本はどこに戻しておけば?」
「あ、おれが戻しておきます。お気をつけてお帰り下さい」
「ありがとう。また来ます」
天馬は片手を挙げて、貸出カウンターに向かった。その広く大きな背中をぼんやりと見つめていた。
カウンターで、天馬が貸出返却業務をしている石田に声を掛けていた。
「久しぶり、芽衣ちゃん」
「お久しぶりです」
え? 知り合い? 目を丸くした村岡の背後に、清坂がすすすと近寄る。
「こらこら村岡君、図書館内であんな大きい声で立ち話はダメよ」
「あっ……! す、すみません!」
慌てて頭を下げると、清坂はカウンターのほうを見ていた。
「あのデカい人、芽衣ちゃんの知り合いかな」
「そうみたいですね。どういう知り合いなんだろう」
ミスしたことにへこみながら、村岡は天馬の背中を目で追った。まっすぐ図書館を後にしたようだ。
「お、ちょうど芽衣ちゃんが来た。訊いてみよう」
十一時。一斉返本(本を元の場所に戻すこと)の時間だ。カウンター業務を交代した石田が、ブックトラックを押しながらこちらに向かってくる。清坂が声をひそめてささやいた。
「芽衣ちゃん、さっきのやたらデカくてゴツい人、知り合いなの?」
石田は困った顔で笑った。
「実は、元カレ……で」
村岡も清坂もあっけにとられた。村岡の胸が、なぜかひりりと痛んだ。清坂のテンションが一気に上がる。
「え? 元カレなんだ! 歳の差何歳?」
「二十一歳です。天馬さん、四十三歳ですよ」
「えー! いいわねえ。なんで別れたの?」
「お父さんにしか見えないからです」
「キツイわ……これはキツイ。でも、あの人はまだ未練があるんだ?」
違いますよ、と石田は笑った。
「わたしのことが心配なんだって言ってました。ほんとお父さんですよね」
「あの……もしかして、石田さんが天馬さんにおれを推薦した? 読み聞かせの……」
はっとした顔になり、石田は頭を下げた。
「すみません、勝手に。天馬さんが読み聞かせのできる人を探していたので、村岡さんなら上手いし、きっとイベントを盛りあげてくださると思って」
「……石田さんも上手いですよね。石田さんは行かないんですか?」
「一応、元カレなので」
「なに? そこはシビアなんだ?」
身を乗りだす清坂に、石田は美しい顔で笑いかけた。ぺこりと頭を下げて、返本に向かった。
そうだよな。ノンケだよな。まだ、石田さんのことが好きなんだな。
村岡は二人の会話をほとんど聞いていなかった。勝手な妄想が頭の中を駆け巡る。
清坂が丸眼鏡を指で押しあげた。大きな黒目が光っていた。
「これは一波乱あるかもしれないわ……」
「ないですよ。きっと。世界はいつも通りです」
そうかなーと言う清坂を残し、村岡も返本に向かった。
その夜、仕事を終えて帰宅した村岡は名刺を見ながら天馬にメールを送った。返事は一時間後に返ってきた。
「メールありがとうございます。打ち合わせとか、読み聞かせの練習とか、おれの事務所でしませんか? また、都合のいい日を教えてください」
水城との予定を脳裏に思い描く。デートの約束はない。ずっと、ずっと。
「今週の木曜日、休みです。その日はどうですか? 天馬さんは土日休みですか? 来月のシフト、まだ決まってなくて。土日のほうがよければ、土日休みの日がわかればまた連絡します」
「わかりました。木曜日にしましょう。土日休みじゃなくても大丈夫ですよ。事務所は七時までなので、それからになるのが大丈夫なら、それからで。じゃあ木曜日、またおれから連絡しますね。車で迎えに行きます」
丁寧なメールだ。知り合ったばかりで情報が少なくどんな人だろうという不安もあったが、いい人そうだな、とひとまずは少し安心する。
昔付き合っていた男にセックスに誘われて断ったら、レイプされたことがあった。以来、断ることや自分の意見を言うことがますます苦手になった。
無理して人と付き合うのはしんどい。だから、自分の我を通すような怖い人じゃなさそうでほっとしていた。それに、石田の様子を見ていると怖い人だから別れたという感じはしない。
「今日は無理言って、口説いてほんとすみません! また村岡さんに会えるのを楽しみにしています。プロの『白雪姫』を聞けるの、とても楽しみです」
届いたメールを何度も目でなぞりながら、いっそ口説いてくれたらいいのにと思った。
そして、水城に申し訳ない気持ちになった。
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