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司書、探偵に出会う#2
村岡の勤めている浮嶋図書館の開館時間は午前十時からだ。開館の準備を済ませ、十時きっかりに一階の自動ドアを開ける。浮嶋図書館は利用者の多い「繁忙館」ではないが、外には十時になる前からけっこうたくさんの人が並んでいる。おはようございます、と挨拶をすると、みんなおはようと言いながら中に入ってくる。自動ドアを開けると、蝉の声もいっしょに中に入ってきた。
浮嶋図書館は中央に大きな閲覧テーブルがあり、そのそばに今日発行された各社新聞が綴じられて置かれている。男性、そして年齢層が上の利用者たちは、だいたいこの新聞目当てだ。涼しく静かな場所でいろいろな新聞を読めるのがいいのだろう。大手のメジャー新聞からローカル新聞、英字新聞やスポーツ新聞まで取り揃えている。
「おはよう」「どうしてた?」そんな挨拶を知り合いと交わしながら、めいめい図書館の中に散っていく利用客たち。年齢が高めの男性たちに、主婦とおぼしき女性たちが子ども連れで混ざるのが午前中いちばんの客層だ。加えて、今は夏休み。子どもだけの利用も多い。中には虫かごを肩から提げている男の子もいる。
通路に置かれた閲覧テーブルも、本棚の側面に付けて置かれた椅子も満席だ。村岡は本棚の上に取りつけられた扇風機の電源を入れ、予約本のピックアップ作業をする前に児童書のコーナーに立ち寄った。児童書担当だった。子どもが好きなのだ。
そういえば、新刊のお知らせの掲示、替えてなかったな。古い掲示の画鋲を外そうとして、本棚の前にしゃがんでいる男に気がついた。絵本のコーナーを熱心に見ている。
やたらとゴツい体格に目が行った。そのゴツい体を丸めるようにして、しゃがんでいる。小脇に絵本を一冊、抱えていた。
邪魔したらいけないな。そっと画鋲を外し、古い掲示物を棚の上に置いていると、声がかかった。
「あの、すみません。ちょっとお尋ねしたいのですが……」
「はい」
振り向いて、男の顔をまともに見る。思わず見惚れていた。
男は村岡よりもさらに長身の、一八八センチだった。さらに、村岡のひょろっとした体と違って逞しく、筋肉の鎧を着ているようだ。サックスブルーのボタンダウンシャツを着た胸元が張っている。腰も太い木の幹のようだ。
顔はそこまでハンサムではないが、彫りが深く、妙に色っぽい。成熟した男の色香、というのか。小鼻が締まっていて、口元も引き締まっていた。顎は角ばっている。だが、意志の強そうな口元に反し、目は穏やかで優しい。日本人には珍しい灰色の瞳だ。黒髪にはところどころ白髪が交ざっている。
村岡の好みの顔立ち、そして体つきだった。
「『白雪姫』の絵本を探しているのですが……」
男の言葉にはっとして、我に返る。穏やかな、低い声だ。加齢で重ねた艶がある。村岡は慌てて男の手元を見た。
「えっと……検索はされているんですね。拝見してもかまいませんか?」
「はい。何冊かあるみたいで……。こっちは見つけられたんですが、こっちとこっちが」
レシートを見せる男に、村岡は素早くそこに書かれた記号を読みとり、場所の目星をつけていく。
「こちらの本は、この棚にあります。探しますね。もう一つは絵本ではなく、紙芝居ですね」
「紙芝居……。そうか、棚が違うんですね」
「ええ。紙芝居はこちらに置いています。ディズニー映画の『白雪姫』です」
男が紙芝居だけを集めたラックを探しだしたので、村岡はもう一冊の本を探すことにした。しばらく、視線を動かし本を探す。見つけた本は『白雪姫』と『ヘンゼルとグレーテル』、そして『茨姫』が一冊にまとめられているぶ厚く古い本だった。絵本というよりは、小説というかんじだ。
「紙芝居、見つけました!」
うれしそうな声で男が報告してくる。笑顔が可愛いな、と村岡の顔もほころんだ。
「おれも見つけました。この本、少し古いですが……」
「ほんとだ。絵も少ないみたいですね。小学生くらいの子どもに読み聞かせするから、紙芝居のほうがいいかな?」
村岡は男が持っていた紙芝居の注意書きを確認した。
「そうですね。この紙芝居、小学校三年生からを対象としていますが、お子さんはそれくらいですか?」
「それより小さい子もいます。でも、メジャーな『白雪姫』だし。話はわかってくれるかな」
にこにこする男に、村岡も微笑む。
「ディズニーの『白雪姫』、絵がとってもきれいですよね。お子さんに読み聞かせですか?」
「いえ、おれの子どもじゃないんです。ちょっと、仕事の繋がりでイベントに駆り出されることになって。そこで読むことになったんです。でも、読み聞かせって初めてで。いろいろ不安です」
「でも、お客様は声が通りますよ。はっきり読んであげたら、だいたいは聞いてくれると思います」
「司書さん……村岡さん、とおっしゃるんですね」
男の視線が村岡の名札に留まっている。顔を上げて笑った。
「村岡さんは、丁寧で優しい言い方をされますね。きっと読み聞かせのとき、わかりやすいでしょうね」
思わず照れてしまった。
「あ、いえ。たしかにおれは児童書担当ですが、読み聞かせはまだまだです。今も、勉強会に出て勉強してます」
「へえ、そんなのがあるんですね。それにしても、紙芝居か。絵本のことしか考えてなかった。いいのを見つけてくださり、ありがとうございます。ディズニーの『白雪姫』、いいですよね」
「おれも好きです」
思わず素直にそんな話をする。村岡は子どものころ、女の子になりたかった。憧れの人はディズニーの白雪姫だ。今でも憧れている。そして、あんなふうに可憐で愛らしい顔立ちだったらよかったのに、と残念に思うのだ。
男は目を見開いてつぶやいた。
「あ。なんか、村岡さん、白雪姫に似てる」
「は?」
「あ、いやすみません。透明感あるところと、その目が白雪姫っぽい、って思って」
「ええ!? ど、どこがですかっ……! おれ、三白眼ですよ。目つき悪いですよ」
「いやでも、眼差しが透き通ってるっていうか。澄んだ、きれいな目ですよね。浮世をまっすぐに見つめる目っていうか。……って、すみません。口説いてました」
笑う男に胸が痛くなる。そうですよ。おれ、ゲイなんです。あなたは冗談のつもりでも、本気にしますよ。
それが言えなくて、冗談にもできなくて、曖昧に笑った。
男がふと言った。
「あの、村岡さん。お会いしたばかりでこんなことを頼むのは、すごく図々しいのですが……」
「なんでしょうか?」
「さっき話した読み聞かせ、おれに代わってしていただくことはできませんか?」
「え?」
目を丸くした村岡に、男は恐縮した。
「急に、すみません。プロの方にお願いできたら、きっとイベントも盛り上がると思って。謝礼はきちんとお渡しします。もし副業みたいなことがお仕事的にアウトだったら、ボランティアという形で、お食事をご馳走させてもらう、とか。あの、もしよかったら。すみません、ほんと図々しくて」
「え……えっと……。それは、経験も積めますし、読み聞かせ自体は別に……。でも、おれの読み聞かせ、聞いたことはない……ですよね?」
「はい。でも、じつは……村岡さんの読み聞かせはすごく『聞かせる』ってうかがってます。じつはおれ、本を借りにきたのとは別に、読み聞かせを頼みにきたんです」
「え……。うかがってる、って誰に?」
「この図書館の、ある司書さんです。自分が聞いていてもすごくいいし、子どもも熱中して聞いてるって」
うれしいが、誰だろう。村岡はどうしていいかわからず、探りを入れた。
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