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第1話
天狗には二種類ある。
ひとつは烏天狗。またの名を木の葉天狗と呼ばれる存在だ。烏頭人身で山伏の衣をまとう。これは精霊や妖の一種で自然の霊気が凝って生まれ、通力は弱く、数も多い。
もうひとつは、いわゆる天狗。
人の姿をし、強い通力を備え、聖と魔、両方の属性を持つ。
霊山に住み、烏天狗に比べれば、数は非常に少ない。
なぜか?
天狗は元々単性、男しかいない種族だからだ。
女がいないのだから、人間やほかの生物――妖も含め――のように、つがいをなして子を生むということがない。天狗が群れても子は生じないのだ。
では、天狗はどうやって生まれるのか。
その方法はふたつ。
ひとつは、烏天狗と同じように、自然の霊気が凝って生まれる場合。
しかし、天狗をひとり生むためには、きわめて膨大かつ格の高い霊気を要する。天狗を生むほどの霊山は、山間部が七割に及ぶ日本でもそうそうない。
したがって、天狗が生まれる場所が非常に限られているため、数も少ないのだ。
もうひとつは、強い験力を持つ僧や行者が天狗となる場合だ。とはいえ、これもまた、とても珍しいことである。
そもそも、強い験力を持つ人間が少ないのだから、天狗になる者の数も限られる。
このような理由により、天狗は数が少ないのである。
これら、烏天狗と天狗は、大天狗と呼ばれる首領をいただき、集団で生活するのを常としている。
さて、とある地方に天狗が住む霊山がふたつあった。
ひとつは大無間(だいむげん)山といい、大無間山で生まれた巴陵(はりょう)が治めている。
元は十二天を祀る霊山であったが、過疎化により祭祀は絶えて久しく、四体の天狗たちは人の願いから解き放たれて、自由気ままに過ごしている。
もうひとつは御座(おぐら)山という。大無間山より人里に近く、こちらは僧侶から天狗になった高室(たかむろ)が治めていた。
御座山は、頂上に大山祇命の奥宮があり、麓の里宮には今も参拝者が多く、天狗らはささやかに両宮で神使として活動している。
このふたつの山の間は四里ほど。天狗にすればひとっ飛びという、きわめて近い場所にあった。
自由奔放な巴陵と、天狗となってもなお僧としてのありようを守ろうとする高室は、性質は真逆であったが、不思議にウマが合った。
このふたつの山の烏天狗たちは、しばしば他愛のないことで喧嘩をするが、大天狗同士の仲裁ですぐに仲直りをして、うまいことやっていたのだ。
とはいえ、ここ半年ばかりは険悪な状態が続いていた。
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